ダイジョーブじゃない手術を受けた俺183

 マウンドに上がって早々に青道の攻撃を無失点で切り抜けた真田は、ベンチに戻るや否やチームメイトから祝福を受けていた。
 初回に苛烈すぎるほどの攻撃を受け、その次の回では運良く無失点で終わらせることが出来たものの、あのまま行けばコールドゲームとなるのは時間の問題だっただろう。
 青道と薬師にはそれだけ地力の差がある。
 それを考えば真田の働きは値千金の価値があった。

「よくやってくれたぜ真田ぁ! 下位打線とはいえ向こうの連中を実力で抑えれたのはデカい。絶望の中にも僅かだが希望が見えてきたな!」

 選手たちの中に混じって真田に激励するのは監督の方の轟だ。

「おいテメェら! ウチのエースが反撃のきっかけを作ったんだ。まずは一点。死ぬ気で取り返して来い!」

『はいっ!」

 口には出さないが既に薬師は致命的なほどの失点を食らっている。
 ここから逆転するなど、それこそ奇跡でも起こらない限り不可能だった。

 しかし、薬師にはその奇跡を引き寄せる存在がいるのだ。

「頼んだぜ雷市。俺らにはあの怪物ピッチャーからヒットを打つのも難しいんだ。お前のバットで試合の流れを変えてくれ」

「南雲はオレが倒す! カハハハ!」

 この回の先頭バッターである轟はそう言いながら打席に向かって行った。
 チームの中で一番背の低い彼だが、その後ろ姿は誰よりも大きく頼もしく見える。
 彼こそ、薬師にとって唯一の希望。
 この絶望的な状況の中でも、轟 雷市なら何かとんでもない事をやってくれるのではないかという期待を、薬師の選手たちは抱かずにはいられなかった。

「……どうだ、足の調子は」

 ただ、それとは別に不安要素もあった。

「流石にまだ何ともないっスね。スタミナの方も1イニング投げたくらいじゃ問題ないし、多分8回くらいまでなら余裕ですよ」

 そう答えたのはタオルで汗を拭っていた真田。
 最初の3イニングをエースである真田ではなく、別の者が務めたのにはそれだけの理由がある。
 元々、彼にはフルイニングを投げ切る為のスタミナは無く、その上さらに足に負担が掛かる投球フォームをしているので、あまり多くの球数は投げられないのだ。
 青道打線は温存しながら抑えられるような相手ではなく、むしろ理想を言えばもう少し真田を温存しておきたかったくらいだった。

「悪い真田。俺がめちゃくちゃ打たれた所為で……」

「なに言ってんスか。相手はあの青道なんだから、最後まで諦めずにいただけでも十分ですよ。あとは俺に、俺たちに任せてください」

 そんな頼もしい言葉に思わず目頭が熱くなる。
 去年までは自分たちが野球にこんなにも熱くなるなんて思いもしなかった。
 ずっとこのメンバーで戦いたい、その想いでここまでやってきたのだ。
 たとえ相手が全国優勝を果たした強豪だろうと負けるとは思っていない。

 ただ、点を取るどころか未だに出塁すら出来ていないのが現状だ。
 しかも轟以外のバッターには明らかに手を抜いた状態で抑えられてしまっている。
 今はまだチームの士気も高く食らい付いてやるという気概が感じられるが、それもこのまま無得点が続けばいつまで保てるのか分からなかった。

「マジで頼んだぜ、雷市」

 頼みの綱は一人の打者。
 これまでの試合で数々のピッチャーの心を折ってきた天性のスラッガーにして、薬師という無名校に甲子園の夢を見させるだけの力を持つ男。

「カハハハ!」

 この試合、二度目の打席に立つ轟。
 野生的な笑みを隠そうともせず、純粋に勝負を楽しもうとしている。

 大きくスイングし、盛大に空振った。
 南雲のボールはほとんど見えない。
 ただでさえ高校野球では反則級の球速を誇っているにもかかわらず、リリースポイントが見えにくいフォームを使ってくるなど、相手チームからすればもはや反則だと叫びたくなるレベルだった。

 それでも轟なら……と、ベンチから必死の声援を彼へ送る。

 ──ズドン。

 しかし、その声援をかき消すように、荒々しく凶悪な白球が薬師を蹂躙する。
 球場全国が静まり返るほどの捕球音が響き、スタンドの電子掲示板には160キロと表示されていた。

「……おいおい、あんなのガキの中に一人だけメジャーリーガーがいるようなもんじゃねぇか。さっさとマウンドから降りやがれってんだ」

 半分以上は本音であった。
 どこの世界に160キロの直球に多彩な変化球を操る高校生がいるというのか。
 そんな相手がいるチームとただの地区大会から当たるなど、この世の理不尽を目の当たりにしている気分になる。

「ブチかませ雷市! お前なら打てる筈だ!」

 そして第二球。
 身がすくむような冷たい笑みを浮かべながら、南雲がセットポジションから投球した。
 またもや直球、かと思えば手元でシュート方向に変化するツーシーム。
 その配球を予想していた訳ではないだろうが、轟はストライクゾーンに入って来たそのボールに迷わず食らい付いた。

「──カハハハ!」

 頼もしい声と共に快音が響く。
 おぉ! と、期待が高まりながらボールの行方を追えば、打球はレフト線ギリギリの場所に飛んでいく。
 が、惜しくもファールゾーンのフェンスにライナーで直撃し、鋭い当たりだっただけに思わず惜しいという言葉がベンチから溢れた。

 カウントだけを見れば追い込まれているのは轟の方だが、もう少しで『薬師の怪物』は『青道の怪物』に手が届きそうにも見える。
 これこそが薬師の希望──轟 雷市の実力であった。

 

 だが、現実は非情だ。

「ぬッ!?」

 注目の第三球、南雲が放ったのは132キロのチェンジアップ。
 直球との落差30キロ弱という驚異の変化球である。
 轟のアウトを告げる無慈悲な宣告が球場に響いたのだった。

 

   

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