ダイジョーブじゃない手術を受けた俺106

 結局、びしょ濡れになったあの極意書は燃えるゴミに出す事になった。
 一応タオルで拭いたりドライヤーで乾かしてみたりしたんだが、やはり肝心の文字が滲んでもう読めなくなっていたから仕方なく捨てたんだ。
 もしこれが読んでいる途中とかだったら悔やんでも悔やみきれなかっただろう。
 既に読み終わっていたのは不幸中の幸いだった。

 ちなみに犯人は未だに捕まっていない。
 俺と夏川が見た紫色の影についても、あの後すぐに探してみたが結局何も見つからなかったしな。
 バケツの水をぶっ掛けてきたのは十中八九そいつの仕業なんだろうけど、何故か目撃した人が誰もいなかったんだよね。
 階段での出来事だっただけにまさに怪談である。
 これからは青道高校の七不思議の一つとして囁かれていくことになるだろう。
 知らんけど。

 てか、そういえばあの紫色の生き物、どっかで見たことある気がするんだよなぁ。
 思い出そうとすると何故か頭痛が襲ってくるから全く思い出せないが。
 こうなったら今度見かけた時には意地でも追いかけ回して、あの奇怪な生物の正体を確かめてやるとしよう。
 面倒だから深くは考えないことに限る。

「──今日は軽くな。2、30球くらい投げたらクールダウンして、明日に疲れを残さない程度に調整するんだぞ? わかったか?」

 と、毎度のことながらしつこくそう言って来るのは我が相棒である御幸 一也だ。
 しかし今日だけでも何度も聞いた言葉を耳にし、俺は少しうんざりしながら御幸に返答する。

「はいはい。それ、もう何回も聞いたって。子供じゃないんだからちゃんと分かってるっての」

「お前の場合だと初めは調整のつもりで練習してても、ふと気付いたら元気に動き回ってるんだよ。胸に手を当てて考えてみろ。数々の行いが思い浮かぶだろうが。このやり取りだってもう何度目か分からないぞ」

「……さぁて、早くブルペン行って始めるかー」

 俺はたった今から過去を振り返らない主義になった。
 だから思い当たる事なんてありませーん。

「おい待て逃げんな」

 後ろの方から何か聞こえてきていたが気にせずブルペンに向かう。
 ウォーミングアップがてらキャッチボールで肩を温め、その後に徐々にギアを上げながら投げ込みを開始した。
 球数が少ない分、一球一球に魂を込めるつもりで集中して取り組んだのだが、あっという間に30球に到達してしまう。
 この程度ではちょっと物足りない。

「御幸、あと10球だけえん──」

「延長は無し」

「……あ、はい」

 取り付く島もないとはこの事である。
 一応、ピッチング以外にもいくつか言い渡されている練習メニューもあるにはあるが、俺はやはり投げている時が一番楽しい。
 御幸は俺を置いて早々にバッティング練習に行ってしまったし、お楽しみは明日に取っておけということか。

「はぁ……他の練習メニューもさっさと終わらせて、今日は早目に寝よう」

 明日に控えた市大三高との試合を思うと、果たして横になってもワクワクして眠れるかどうかは分からないが。

 

 ◆◆◆

 

 ここで一度、市大三高の戦力を軽くおさらいしておこう。
 今の市大三高はエースである真中さんを中心にした堅実な野球をするチームだ。
 真中さんが調子に乗ればチームも勢いに乗るが、反対に真中さんが乗り切らないからといってもチームの勢いが衰えることは中々ない。
 そこが厄介なポイントである。

 打線はウチで言う所の哲さんやクリス先輩レベルの強打者はいないが、スタンドまで運ぶだけのパワーは十分にあるから決して気は抜けない相手。
 しかも平均的な打率は攻撃重視のウチとほとんど変わらないらしい。
 コツコツと点を積み重ねていき、相手チームをしっかりと抑えるといった方針の模様。

 元々強豪校なだけあって能力が高い選手がしっかりと揃っているし、選手の層も厚いので総合的に見ると地力はウチよりも上かもしれない。
 こういうチームは実際に戦ってみると想像以上に厄介だったりするから、そう考えるだけでも今からワクワクしてくる。

 ……おっと、いかんいかん。
 さっきもまた御幸に言われたばかりなのに、足が自然とブルペンの方へと進んでいた。
 これは俺が悪いんじゃない。
 言うことを聞かないこの身体が悪いんだ。

 今日の練習メニューは既に全部終わったし、さっさと飯食って風呂入って寝るか。
 これ以上身体が勝手に動く前に。

「あ、南雲君。ちょっと待って」

 練習着を着替える為に部屋に向かう途中、両手にいくつかの荷物を抱えた藤原先輩に声を掛けられた。

「どうかしました?」

「はい、これ。明日の試合で使うユニフォームよ。この間の試合で結構汚れてしまっていたから、ちゃんと洗濯しておいたわ」

 そう言って先輩は紙袋を一つ渡してきた。
 中には洗濯されて丁寧に折り畳まれたユニフォームが入っており、ぱっと見では新品のように綺麗になっている。
 勿論背中には『1』のゼッケンが縫い付けられていて、思わず笑みが溢れそうになってしまった。

「おぉ、いつもありがとうございます。これで気持ち良く試合に出れますよ。あ、お礼に荷物運びでもしましょうか?」

「ううん。そこまで重くはないから大丈夫よ。それよりも明日の試合、頑張ってね。私も明日はスタンドから全力で応援するから」

「はい! 藤原先輩が見てくれている前で負ける訳にはいかないっす。明日の試合は絶対に勝ちます。だから安心して応援してください、先輩」

 俺は当然明日の決勝戦で登板する予定だ。
 怪我もしてないのに決勝戦で投げないエースなんてエースじゃないよね。
 しかも準決勝では投げる機会をちゃんと譲ったんだから、ここで俺以外が登板するなんて聞けば全力で監督に抗議していたところである。

「フフ、相変わらず頼もしいわね。南雲君がマウンドに立っていると、不思議と見ているこっちまで──」

「ん?」

「あ、いえ……やっぱり何でもないわ! 明日の試合、頑張ってね!」

 そう言って藤原先輩は小走りで去っていった。
 変なの。
 藤原先輩、急に様子がおかしくなってどっか行っちゃった。
 ま、顔が赤くなった先輩も最高に美人だったから得した気分にはなったけどね。

 

   

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