とあるウィルスの適合者26

「――母さん、どうかしたの?」

 憂いを帯びた表情を浮かべる母を見た男の子は、そう言って女性の側に駆け寄った。
 すると母は少しだけ笑みを見せたが、それは子供である男の子から見てもわかるほどに疲れた笑みだった。
 自分を安心させようと無理をしている。
 しかし、なぜ母がそれほどまで追い詰められているのか、男の子には全く検討がつかなかった。

「ごめんね。私の所為であなたにまで辛い思いをさせてしまっている。あなたのことは、絶対に私が守ってみせるから」

 今度は悲哀に満ちた顔へと変わってしまい、縋るように抱き締めてきた。
 暖かい温もり。
 安心する匂い。
 男の子は母の抱擁が大好きだった。
 どうして泣いているのかはわからなかったが、子供ながらに自分が母を守らなければ……という使命感に駆られる。

「ボクなら大丈夫だよ。だって――だから。母さんのこともボクが守るよ。それからおじいちゃんとおばあちゃんも、家族は皆んなボクが守るんだ!」

 母の胸の中でそう宣言すると、優しくなだめるように頭を撫でられる。
 気持ち良さそうに目を細める姿は年相応に愛らしく、幸せそうな親子そのものだ。
 男の子はこんな日が永遠に続くと信じて疑わない。
 母と祖父母、そして自分の四人で幸せな毎日を送っていくのだと。

「フフ、ありがとう」

 そして、これが男の子が母の優しさに触れた最後の日だった。

 

 ◆◆◆

 

 いつのまにか意識が飛んでいた俺と、そんな俺を運んでくれたクリスがヘリに飛び乗った。
 爆発から逃れる為に機体は急上昇して離陸する。
 すぐに爆発音が聞こえ、その爆風で大きく揺れるも、なんとか逃げ延びることができたようだ。

「――レイ!」

 すると、レベッカがボロボロの俺の身体を抱き締めてきた。

「……ずいぶん熱烈な歓迎だな。そんなに心配したのか?」

「もうっ、心配したに決まってるじゃない! こんなにボロボロになって、死んでもおかしくないんだからね!?」

「この通りなんとか生きているから、そこまで心配はいらないぞ。――だが、ちょうど良い」

「え? 何を言って――ッ!?」

 かぷっ。
 レベッカがわざわざ自分の方からやって来てくれたので、遠慮なく血を分けてもらうことにした。
 今は戦いの後は勝利の美酒に酔い痴れるとしよう。

「おい、レイ!?」

「ちょっ……まって……はぅっ!」

 ジルの時のように自我を失うことなく、今度は精神力で意識を保つ。
 干からびるまで相手の血を啜ってしまえという悪魔の囁きが聞こえてくるが、そんなことをしてしまえば二度と彼女のこの血を味わうことが出来なくなってしまうので、ゆっくりと少量ずつ吸い取っていくことにした。

 それに、そういうのを抜きにしても殺したくない。

 これがどうでも良い相手ならば遠慮なくやっていたかもしれないが、俺の中でレベッカとジル……それからついでにクリスは既にどうでも良い相手ではなくなっているのだから。

「ふぅ、ご馳走さん。ジルの時もそうだったが、レベッカの血もどうやら普通より美味かったな。体調も万全……とは流石にいかないが、動き回れるくらいには回復したし」

 そう言って俺は口周りに付いていた血を袖で拭った。
 レベッカからは献血よりも少し多い程度の量を頂いたが、このくらいなら多少立ちくらみが起こるだけで直ぐにまた動けるようになるだろう。
 ジルの時のような過ちは犯さない。

 ただ、その量の割に今俺の身体に流れているエネルギーが多かった。
 そういえばクリスの血も間接的に摂取したとはいえ、想定していたよりもエネルギーを回復していたか。

 この三人の共通点……一体何があるんだろうな。

「っと、大丈夫か?」

 抱き締め状態のままだったレベッカにそう問いかける。
 結構な緊急事態だったから断りもせずに噛み付いてしまったが、パッと見た限りでは腰が抜けているだけのように見えた。

「うぅ……急に噛み付かれたことと、身体が熱いこと以外は大丈夫よ」

「なら問題ないな。少し血をもらっただけだ。ジルの時よりだいぶ少ないし、直ぐに気分も良くなるだろう」

 レベッカは頬を蒸気させて非常に色っぽい事になっている。
 これはジルの時と同じだ。
 副作用みたいなものだからじきに良くなる。

 とはいえ、知らない者が見れば病に侵されているように見えるかもしれない。

「なぁレイ。本当に大丈夫、なんだよな? さっきからレベッカの様子が少し変なんだが……」

「大丈夫だって。何なら、経験者であるジルに聞いてみれば良いんじゃないか?」

 心配そうな表情をしたクリスの視線がジルへと移る。

「うっ、レベッカなら大丈夫よ。少し時間が経てば落ち着くわ。クリスはあんまりジロジロ見てないで、コックピットにでも行って来なさい」

「いや、でも――」

「いいから、早く行って来なさい」

 しっしと、手で追い払うような動作をして有無を言わさずクリスを追いやるジル。
 クリスは完全に納得がいっている訳ではなさそうだったが、大丈夫と言われてしまえば言い返すこともできず、そのままコックピットへと向かった。

 そしてジルは俺を睨みつけ、あの時の事を思い出したのか彼女の顔も赤くなる。
 今のレベッカの状態は言ってしまえば発情状態だ。
 同じ女として、そんな場所にクリスを置いておきたくなかったのかもしれない。

「いつまで抱いてるのよ。とりあえずレベッカを座らせてあげなさい。そのままじゃ危ないし」

「それもそうだな」

「うぅ……」

 一時的に判断能力が低下しているレベッカを座席に座らせ、俺もその隣に腰を下ろした。

「レイ、貴方はこれからどうするの?」

「これから、か。まぁ、適当なタイミングで姿を消すさ。このままお前達と居ても、それはどっちの為にもならないだろうからな」

「ふーん」

 俺は体力が戻ればすぐにアンブレラの人間を殺す為に動き出す。
 そうなれば自然と敵も増えるだろう。
 その敵の中には、もしかすると警察も入ってくるかもしれない。
 こいつらと争うつもりは無いが、『S.T.A.R.S.』とやらが俺の邪魔をしてくる可能性もある。
 だからこそその前に姿を消した方が都合がいい。

「ただ、ジルとレベッカにはまた会いに来る。約束は守って貰わないといけないしな」

「……気が向いたらね。それで、あのいかにもヤバそうな男はどうなったの? やっぱり、あの爆発に巻き込まれたのかしら?」

「いや」

 そっき聞こえてきた爆発音を思い出す。
 あれに巻き込まれれば普通は死ぬだろう。
 確認してはいなかったが、屋敷も恐らく跡形もなく消え去っているに違いない。

 だがあの男――セルゲイが死んだとはどうしても思えなかった。
 それどころか奴とはまた会うような気がする。
 ……いや、そうじゃないな。
 会おうが会わまいが、いずれ必ず俺の方から殺しに行くのだから。
 相手がどんなバケモノだろうが関係ない。

 俺とアンブレラとの戦争は、まだ始まったばかりだ。

 

   

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