地面に膝をつき、顔を歪ませてこちらを睨みつけてくるセルゲイ・ウラジミール。
常人であれば震え上がってしまいそうな殺気だ。
さっきまでの涼しげな表情の面影はそこにはなく、怒りと殺意を隠そうともせずに感情を露わにしていた。
「レイ・トレヴァー! 貴様はこの私が八つ裂きにして殺してやる!」
「寝言は寝て言え。お前はそうやって地に伏している方がお似合いだ」
俺はそう吐き捨て、最後の力を振り絞ってセルゲイに向かって走り出す。
全身が軋み視界が歪むほどの痛みと吸血衝動が襲ってくるが、それらを自前の精神力だけで抑え込み、ウィルスによる身体強化に集中した。
俺への憎悪で満ちていた表情の中に僅かだが焦りが混じる。
これが最後。
恐らく今残っている全ての力を込めたとしても、奴を殺し切ることは出来ないだろう。
だが、しばらくの間まともに動けなくするくらいなら可能なはず。
俺にとっての勝利はこの場でセルゲイを殺すことではなく、初めから生きてこの洋館から脱出することだ。
だから殺せなくとも、動きを封じる事だけで十分である。
もちろん殺す気でブチかましてやるが、な。
「私を倒してもどうせ貴様は生きて逃げられんぞ! 今頃お前と一緒にいた連中はこの場から離れている頃だろうからな!」
「黙って死んでろ。この――薄らハゲェ!!」
コンクリートの地面が抉れるほどに力強く踏み締めたダッシュで勢いを付けつつ、その勢いのまま全力で足を振り抜いた。
いわゆるサッカーボールキックというやつだ。
ただの人間が行えば普通の蹴りにしかならないが、俺みたいな人外の力を持った者が行えば必殺の一撃となる。
「――ッ!」
グシャ。
皮膚が裂ける音、骨が折れる音、内臓が潰れる音。
生々しくも心地良い音を立てながらセルゲイは吹き飛んでいき、壁に激しく衝突するまでそれが止まることは無かった。
いけ好かない野郎に一矢報いることが出来たと胸がスッとする思いではあるが、やはりあれだけでは奴は死なないだろう。
あの男は咄嗟に致命傷にならないように身体をよじらせ、ダメージを受け流していた。
戦闘に関しては奴の方に一日の長があるのだから仕方ない。
むしろここまで善戦できたのだから大金星だ。
「はぁ……はぁ……俺も早く、逃げねぇと……っ!?」
格納庫の外へと出る為にゲートの方へ移動しようとするが、歩き出そうとした途端にガクンと崩れ落ちそうになった。
鋭い痛みを感じて右の太腿を見てみると、そこにはセルゲイが持っていたブーメラン型のナイフが深々と突き刺さっている。
あの野郎、蹴り飛ばされる直前で俺の脚にナイフを突き立てやがったのか!
大人しくひとりで死んでいれば良いものを、意地でも俺を生かしておくつもりがないらしい。
太腿に刺さったナイフを引っこ抜き、苛立ち混じりにそれを地面にたたきつけるが、まったく気が晴れることは無かった。
「クソッ、マジでピンチじゃねぇか……!」
これくらいの刺し傷ならすぐに治っていくはずなのだが、エネルギーを使い過ぎた所為で傷の治りが遅い。
というか、さっきから治っているような感じがまるでしなかった。
意識がボーッと遠くなっていき、自分が自分じゃなくなっていく気がする。
これはエネルギーが切れて暴走する前兆だ。
無理をしてこれ以上ウィルスの力を使えば、俺は恐らくバケモノに成り果ててしまうだろう。
何故かはわからないが、間違いなくそうなると本能的に理解できる。
もはや俺は歩くだけでやっとの状態であり、気力だけで意識を保っていた。
一度でも倒れたらもう起き上がれないだろうと踏ん張って一歩ずつ足を前に出すが、まともに走れないこんな状態のままだと逃げ切れない。
そんな時、セルゲイが言った言葉がフラッシュバックしてきた。
『今頃お前と一緒にいた連中はこの場から離れている頃だろうからな!』
なんだ……どうして今、そんなことを思い出すんだ?
ナイフが刺さっていた右脚からジンジンと痛みが激しく主張してきている所為で、冷静な思考が徐々に出来なくなっていくのを感じる。
頭を振り払って不快な考えを外へと追いやった。
だがどうする?
どちらにせよ急いでヘリの場所まで走って行かなければ、俺には死ぬ未来しか残されていないんだ。
それならいっそ、向こうで弱っているセルゲイにトドメを――。
「死にそうな顔をしているな。手を貸そうか? あ、何でもするって言うなら助けてやってもいいぞ?」
「……あぁ?」
足を止めようとしていたその時、前方からそんな声が聞こえてきた。
ついには幻聴まで聞こえてきたのかと思い顔を上げてみれば、そこには少し息を切らしているクリスの姿があった。
おいおい、どうせ幻覚を見るならジルかレベッカにしてくれよな。
こんな時につまらない冗談を言う幻覚なんて最悪じゃないか。
「言っておくが幻覚じゃないぞ」
「ならどうして、戻ってきた?」
「俺は決して仲間を見捨てない。お前を残して逃げる筈ないだろう」
……仲間か。
そう言ってボロボロになった俺に肩を貸しているクリスの横顔は、少しだけ記憶の中に眠っていた祖父の顔を幻視させた。
無条件の愛を俺に向けてくれた数少ない人間の内のひとり。
すっかり記憶の中から零れ落ちてしまったと思っていたその顔が、今になって鮮明に頭に浮かんできた。
「そうか、助かったよ。――ありがとう」
俺の口からそんな言葉が出ていったのは、きっとその所為だろう。