まだ完全にお日様が上がっておらず、少し肌寒いくらいの早朝。
朝練が始まるよりも30分ほど早くに準備を済ませた俺とクリス先輩は、屋内練習場のブルペンにまでやって来ていた。
肩を作るためにまずはいつも通りキャッチボールから始め、そこから徐々に球に力を込めて慣らしていく。
「それじゃあ行きますよ?」
「ああ、いつでもいいぞ」
温まってきたところでようやくピッチング練習だ。
フル装備で準備万端なクリス先輩が構えているミットに向かって、俺は全力で『左腕』を振り下ろした。
本来の利き腕ではない左腕から放たれたボールは、パァンッと気持ちの良い音を二人しかいない練習場に響かせる。
今の俺は左で投げても130キロ前後は出すことが出来るが、さっきのも多分それくらいの球速は出ていたと思う。
「ナイスボール」
「それじゃあ次はスライダーいきます」
フォーシームだけではなく変化球だって左でも投げられる。
そしてスライダーに続いてカーブ、チェンジアップと投げ込んでいくが、クリス先輩はその全てを一発で捕球してみせた。
投げているこっちも気持ちよく投げられるので俺にとってもいい練習になる。
俺がこうして朝からクリス先輩とピッチング練習をしているのは、先輩にキャッチャーとしての実力を取り戻してもらう為である。
流石に本来の投球と比較すれば劣るどころの話じゃないが、それでも変化球もいくつか投げられるから捕手としてのリハビリくらいにはなるだろう。
全力の投球を受けることは監督からストップが掛かっているので、右で投げるのは先輩がしっかりとキャッチャーとしての感覚を取り戻してからだ。
尤も、今でもちゃんとミットをブレさせずに芯でキャッチング出来ているから、その日が来るのはそう遠くなさそうではあるけど。
「ふぅ、そろそろ終わりましょうか。他の部員もグラウンドに集まり始めている頃ですしね」
「……もうそんな時間か。ありがとう、南雲。わざわざ俺の練習に付き合ってもらって」
「いいっすよ。左のピッチング練習は俺もしたいと思ってたし」
俺が左の投球練習をするのは身体のバランスを保つためなので、クリス先輩に自主練に誘われたのはちょうど良かった。
御幸も最近はバッティング練習に力を入れていて、左での練習に付き合わせるのはちょっと……そう思っていたから、クリス先輩の誘いは本当に有り難かったのだ。
「俺は防具を片付けたらグラウンドに向かう。だからお前は先に行ってていいぞ」
「あ、じゃあ俺は金丸を起こしてきますよ。多分まだ寝てると思いますしね」
「頼んだ」
俺は室内練習場を出て寮に金丸を起こしに戻る。
初日からこの時間に起きるのは、早起きに慣れていない一年生にとっては中々難しいだろう。
部屋に戻ると案の定、金丸はまだぐっすりと夢の中だった。
「起きろ金丸。もう朝だぞ」
身体を揺すりながらそう言ってやると、金丸は重そうな瞼をゆっくりと持ち上げた。
「おはようさん。ちゃんと寝れたか?」
「……おはようございます、南雲先輩。実はあんまり眠れなかったです。その、今まで家でもこんなに早く起きることはあまり無かったので」
眠そうにしていると思ったら、やっぱり熟睡は出来なかったみたいだ。
こればかりは慣れるまで我慢しかない。
寮で生活していればそのうち嫌でも身体に染み付いていくし、案外慣れれば早起きもそこまで苦ではなくなるだろうからな。
「ほら、これくらいは無理やりにでも食っておいた方がいいぞ。朝練はそこまでキツい練習はしないと思うけど、少しでも何か腹に入れておかないと動けなくなる」
そう言って俺は金丸にバナナを一本渡した。
寝起きだとあまり食い物は受け付けないと思うが、多少無理してでも腹に入れておかないと朝飯までもたない。
当然俺も自主練に行く前に食べている。
「うしっ、それじゃあ練習着に着替えたらグラウンドに集合な。場所わかるか?」
「はい、大丈夫です。ありがとうございました」
「あいよ」
無事に金丸を起こしたので二度寝はしないようにと言い聞かせ、俺も集合場所のグラウンドへと向かった。
すると、グラウンドに到着すると既に結構な数の部員が集まっている。
その中には知らない顔も多く、どこか緊張した様子で待機している一年生が大勢いた。
「お、おい。あの人じゃないか?」
「すげぇ、本物だ……」
妙に一年生から注目されている気がしたが、俺の勘違いだと恥ずかしいので特に何も反応せずに倉持の所まで移動した。
流石に挨拶されたら返すくらいはするけどね。
「あれ、まだ御幸は来てねーのか。そろそろ始まりそうだけど」
「まだ部屋で寝てんじゃねぇかな。今日は見かけてないぞ」
いつもならこのタイミングで眠そうな顔してやって来る頃合いだが、今日は中々姿を見せなかった。
そろそろ監督が来る時間だってのに、あやつは一体何をしているのか。
大方、今日からクリス先輩がキャッチャーとして練習に参加すると聞いて張り切っていたから、夜遅くまで素振りでもしていて寝坊したってところだろう。
呼びに行ってやる時間の余裕も無いので、残念ながらあいつは監督からキツいお叱りを受けるしかないようだ。
「──集合!」
そんなことを考えているうちに監督が到着してしまい、とうとう御幸の遅刻が確定してしまったのだった。