市大三高と薬師の試合は思っていたよりもかなり荒れた。
7回の表、同点のまま終盤戦に突入している。
薬師の打撃力の高さは理解したつもりでいたんだけど……まさか初回で一気に3点も天久から奪うとは思いもしなかった。
轟の一振り。
決して甘い球ではなかったスライダーを完璧に捉え、場外にまで飛んで行くスリーランホームランを放ったのだ。
スロースターター気味な天久とは言え、あいつから点を取るのは並みの難易度じゃない。
薬師の打線が危険なのは理解していたつもりだったが、それでも過小評価し過ぎていたらしい。
その後、市大三高も負けじと点を取り返して何とか同点にまで追い付いてきたけど、途中から出て来た真田って奴からはまだ1点も奪えていなかった。
今の3点は先発で出ていた別の選手から奪ったもので、ここまでは得点するチャンスすら作れていないのが現状だった。
「あ、ここで天久が降板か。7回を投げて3失点。初回のホームランを引きずることなく投げ抜いたのはさすがだけど、同点でマウンドを降りるのは市大三高にとってマイナスかもな」
おまけにここに来て天久がマウンドを降りた。
見ていた感じでは体力的な限界を越えて投げ続けていたようだったから、いま交代を決断した市大三高の監督は英断だろう。
ここで交代の判断を下せる監督は中々いないんじゃないかな。
そして、代わりに出て来たのは三年の真中さんだった。
ようやくエースの登場だ。
単純な実力で判断すれば真中さんよりも天久の方が厄介な投手ではあるが、それでも真中さんだって市大三高のエースとして役不足なんてことはない。
総合的に見たら安定しているのがどっちかなんて明らかだしね。
「この試合、御幸はどっちが勝つと思う?」
「俺は薬師かな。このままいけば普通、得点力のある方が勝つだろ。ほら、特にあいつが打ちそうだぜ」
御幸の視線の先には野生的な笑みを浮かべながらバットを振る轟がいた。
確かにあいつなら自分のバットで試合を決めてしまいそうだ。
初回の一発以外にもいい当たりのヒットを放っているし、真中さんの立ち上がり次第では一気に試合の状況が変わってしまうかもしれない。
「ハハハ、かっ飛ばす!」
「こら雷市! テメェの打順はまだだろうが。今は大人しくしてやがれ!」
「ハハハハハ!」
騒がしい声が薬師のベンチから聞こえてくる。
主に騒いでいるのは轟だが、その元気がチームに活気を与えているようにも見えた。
ああいうところは沢村に似ているな。
見た目は全く似てないけど。
初回のスタンドに放り込んだ打席を見てからというもの、マウンドに立ちたいって気持ちを無性に掻き立てて来ていた。
あいつのスイングは俺の投手としてのプライドを刺激する。
今回のトーナメントには今まで出会わなかった強敵がそこら中に転がっていて、俺のモチベーションを常に最高に保たせてくれている。
一度は全国の頂点に立ったとはいえ、まだまだこういう連中が潜んでいるのは非常に喜ばしいことだった。
「逆に聞くけど南雲はどっちが勝つと思うんだ?」
「俺も薬師かな。5回途中から出てきた真田って人も良い投手だったし、やっぱ点の取り合いになれば薬師のが上だと思う」
天久が降板した今、飛ぶ鳥を落とす薬師の勢いを殺すのは至難の業だ。
いくら真中さんでも難しいだろう。
市大三高側が薬師のエースである真田からは点を取れていない、ってのが結構デカい気がする。
「あの、南雲先輩」
「なんだ?」
「あの真中って人、エースナンバー付けてるのになんでここまで出てこなかったんスか? ウチみたいに次戦に備えて温存してた、って訳でもなさそうだし……」
沢村がそんな疑問を口にした。
それがあまりにもっともな疑問だったから、意外とちゃんと見てるんだなと思わず感心してしまったぞ。
実際、あのまま天久が投げ続けても打たれるのは時間の問題だっただろうし。
このタイミングで真中さんが出て来たのは、確かに博打ではあるけれど、その一方で勝利への一手でもある。
市大三高が元々こういうシチュエーションを想定していたとしたら凄い。
監督同士の読み合いは市大三高に軍配が上がるな。
「あー、ほら。あれだよ。エースってのは試合に出るだけが仕事じゃないのさ。チームを勝たせる為に必要な役割を果たす、それがエースだ。今回はあれがあの人の役割だったってことだよ」
市大三高のエースに相応しいのは天久ではなく真中さんだろう。
これまで着実に実績と信頼を獲得してきた真中さんからエースの座を奪うには、それらを吹き飛ばすくらいの力を見せなければならない。
天久がそれをするには少し力不足だった、ってことかな。
そして、天久のスタミナが限界に来たこのタイミングでチームを救う。
それが今回のエースの仕事だったんだ。
「なる、ほど……」
しかし、もしこれで打たれたら、真中さんはとてつもなく大きな傷を負ってしまうことだろう。
それこそ二度と野球が出来なくなってしまうかもしれないほどの。
──そんな俺の心配は9回、轟の打席で見事に的中することになる。