伊佐敷の次のバッターである増子もヒットで続き、連打を浴びたことで焦ったのかバッテリー間でのミスにより追加点が青道に入るも、そこからは息を吹き返した真木が続くバッター達を三者凡退に打ち取り流れをかき消した。
試合を決定付けかねない場面だっただけに、それを最少失点で切り抜けた真木の投手としての力量が垣間見えた瞬間だった。
とはいえ、先制点を挙げた青道はこれで大幅にリードしたことになる。
点差はまだ2点だけだが、投手層の厚さで劣る仙泉にとってこれ以上の失点は致命的であり、エースの真木に更なる負担を強いることになるからだ。
仙泉としてはこの回にまずは1点、返しておきたいところだろう。
「まだまだ安全圏には程遠い状態だな。ここで安心して手を抜くとすぐに降谷あたりに交代させられてしまうぞ、丹波」
「わかっているさ。俺は初めからお前を信じて全力で投げ続ける事しか考えていない。勿論、このマウンドを他の誰かに譲ることなんて少しも頭にないがな。これは、俺たちの試合だ」
そう言って丹波はクリスに真っ直ぐな眼差しを向けた。
こうも信頼関係が出来上がっているバッテリーも珍しい。
お互いがお互いの力を認め合い、それを限りなく高め合うことが出来るのがこの二人のコンビだった。
もしも南雲という規格外な存在が青道に居なければ、不動のバッテリーとして君臨していたのは恐らくこの二人だっただろう。
「フッ、最後まで投げ切るつもりなら少しのミスも許されないぞ。さっきの回、カーブが甘く入って危うくホームランだったからな」
「……気を付ける」
ミスを指摘されて丹波のポーカーフェイスが一瞬崩れた。
だが、不思議と嫌な気分にはならなかった。
意外にも気の弱い丹波と、こうして気兼ねなく言い合えるのは青道でクリスだけしかいない。
何度か試合でバッテリーを組んだこともある御幸の選手としての能力は認めているが、どうしても性格的な相性が悪く、結局最後まで本心で語ることが出来なかった。
包み隠さず言えば丹波は御幸が苦手である。
今思えば先輩として自分から歩み寄れば良かったと少しだけ思う。
この先、丹波はもう御幸とバッテリーを組むことは二度と無いかもしれない。
彼の怪我が完治する頃には自分はもう野球部を引退しているだろうから。
そう考えるとどこか寂しいような気もするから不思議な感覚だった。
「クリス、この試合には関係ないが……ちゃんと御幸を見てやれよ。俺には無理だろうがお前の言葉ならあいつも素直に聞く。次のチームに御幸は必要不可欠だ」
そして、怪我による離脱で御幸が密かに苦しんでいるのを丹波は知っていた。
苦手な相手だからこそ、普段と様子が違うことにすぐ気付くことが出来たのだ。
「……まさかお前も気付いていたとはな。だが、まぁ御幸は大丈夫だよ。誰よりも強い心を持っているし、それにあいつにはちゃんと相棒が付いているからな」
丹波はそれもそうか、と納得した。
あの二人は自分たち以上に相性の良いバッテリーだ。
一緒に居るだけでお互いの力を高め合い、どんな困難にぶち当たろうと勝手に乗り越えていってしまうのだろう、と。
これ以上ここで話していると主審から注意を受けそうだったので、クリスはそこで会話を中断して位置についた。
マウンドに一人残った丹波は気持ちを切り替えて目の前にいるバッターだけに集中し始める。
前のイニングで味方が援護してくれたこの2点のリードを絶対に守ってみせる、そんな強い思いが表情に現れている様だった。
（俺は南雲のように狙って打ち取ることは出来ない。だから、目の前にいる相手を全力でねじ伏せる！）
大きく振りかぶり、そこから丹波の長身を活かした力強い直球が放たれた。
リリースポイントの位置こそ真木よりも下だが、ボールの速度自体は丹波の方が僅かに上回る。
初球からバットを振りに行った打者はその直球に振り遅れ、ギリギリ当てることは出来たものの、打球はファールゾーンを転がって行った。
続く2球目も同じく直球で勝負したところ、丹波の球威に負けてフラフラっと高く打ち上がってしまった。
そのままボールが丹波のグローブに収まりワンアウト。
失点を取り返そうとする仙泉打線を丹波は真っ向から勝負し、見事にその勢いを削ぐことに成功した。
ペース配分を考えられない投手は二流かもしれない。
だが、丹波は敢えての全力投球である。
勿論このまま最後まで自分が投げるという気持ちに変わりはないが、それでも限界が来れば後を任せられる後輩たちがいるからこそ、この選択をしたことに不安は無かった。
「お前たちには1点もやりはしないぞ」
そう呟いた丹波は続く仙泉打線を気迫のこもったピッチングでねじ伏せていった。
まるで魂を燃やしているかのような熱いプレーに青道の選手だけではなく、球場全体の熱気が加速的に高まっていく。
仙泉高校の前に立ち塞がるのは、『怪物』南雲 太陽ではなく──丹波 光一郎という眠れる獅子だった。