その日、ビーストマン達はいつも通りの一日が始まり、そして平穏に終わるのだと信じて疑わなかった。
人間の街から攫ってきた食料を食らい、腹を満たして生を謳歌できると誰もが思っている。
何故なら自分達は常に強者だからだ。
優れた力を持っている自分達は奪う者であり、弱者である人間達は常に奪われる者。
そんな考えがビーストマンの中ではある。
故に誰一人として自分達が今日、全てを失うことになるなど想像もしていなかった。
初めに違和感をおぼえたのは、城門の警備に就いていた若いビーストマンの男だ。
人間よりも鋭い五感を持っているビーストマンの中でも、その男は一際優れた直感を持っていた。
そのため、自分達の住処に結界のようなものが張られていることを半ば本能的に察知したのである。
「ナンダ?」
しかし、彼がそれに気づいたのは完全に結界が完成してしまった後だった。
その時にはもう、手遅れだ。
「――ガァ?」
そんな間の抜けた声が男の口から溢れ出た。
視界がガクンと揺れ、自分の意思とは違う明後日の方向に視線が向いてしまう。
立て直そうと体に力を込めてみるが、まるで他人の体のようにまったく反応が返ってこない。
それに感じたことのない妙な浮遊感がある。
そうして彼が最期に見たものは、膝から崩れ落ちていく首の無い胴体と、同じように体から血が吹き出ている同僚達の姿だった。
「数が多いから少し急がないとな」
そんな声を最後に、城門の見張りをしていた男は永遠に意識を失った。
おそらく、最期の瞬間まで自分の身に何が起こったのか分からなかっただろう。
だが、むしろ痛みや恐怖という苦しみを味わわずに死ねた分、彼らはまだ幸せだったのかもしれない。
これからこの街で行われるのは、ビーストマンにとって地獄でしかないのだから。
◆◆◆
人間の男――オロチは、見張りのビーストマン数人を瞬く間に切り捨て、そのまま街に侵入した。
門を潜り抜けると、そこには警備の兵士と思われる多くのビーストマン達が待機しており、一斉にオロチの方に視線が集まる。
まさか人間が一人でやって来るとは考えていなかったのか、オロチを見た彼らは驚愕の表情を浮かべた。
何故こんなところに人間がいる? そんなことを考えているのだろう。
しかし、すぐにその顔は愉悦に満ちた獣のような表情に変化した。
人間を食料とするビーストマンからすれば、食料である人間の方からわざわざ食われにやって来たのだ。
歓迎こそすれ、怯える理由などひとつも無かった。
「ニンゲン、ニンゲンダ! ショクリョウ、ヤッテキタゾ!」
「ニンゲン! ショクリョウ、ムコウカラ、ヤッテキタ!」
ダラダラと口から涎をこぼす節操のないビーストマン。
オロチにはそれが知能の無い獣にしか見えなかった。
彼らは自分達の方がオロチよりも強いと疑っていないのだろう。
もしも人間が大軍で攻めて来るのなら多少厄介だが、見る限りでは人間の姿は目の前にいる一人しかいない。
ならば、例え武装していようが確実に殺せるだけの自信がビーストマン達にはあった。
所詮人間とは、自分達と比べると非力で無力な存在であり、無限に湧き続ける優れた食料でしかないのだ。
さらに人数的にもかなりのアドバンテージがあるので、敗北など微塵も考えていなかった。
おそらく今彼らの頭の中にあるのは、どうやってこの人間を食うか、ただそれだけである。
「オレ、ソイツクウ!」
もう少しビーストマンの知能が高ければ、人間による罠などを警戒したかもしれないが、獣に毛が生えた程度の知能しかない彼らでは、そこまで深く考えることはない。
もっとも、今回に限ってはいくら考えようとも最悪の未来が変化することはないのだが。
「気に入らないな。そんな舐め腐った態度を取られるのは久しぶりだから、新鮮と言えば新鮮だけど」
そう呟いたオロチの姿が、消えた。
いや、正確にはビーストマン達には消えたように見えたのだ。
実際には、オロチが人間よりも優れた動体視力を持っている彼らの目でも、まったく捉えられないような速度で移動したにすぎない。
「ショクリョウ、ドコイッタ?」
「キエタ、ショクリョウ、キエタ! キエタ!」
「サガセ! ショクリョウ、サガセ!」
口々に拙い言葉を話し、キョロキョロと周囲を見渡すビーストマン。
突然目の前から敵が姿を消せば、当然困惑するだろう。
だが、それが彼ら最期の言葉となった。
ビーストマン達は声すら上げる暇もなく、首や胴体から大量の血を吹き出してバタバタと倒れていったのである。
もちろん、これはオロチが斬ったからに他ならない。
彼がやったことは非常にシンプルだ。
ビーストマンが認識できない速度で動き、そして刀で斬り裂いただけなのだから。
ただ、当然それは言葉で言うほど簡単なことではない。
これはレベル100の身体能力と、そしてユグドラシルで培った技術が合わさったことで成せる業なのだ。
おそらく、この世界でこのような芸当ができるのはオロチだけだろう。
技術的にも肉体的にも、戦闘面に関して言えばオロチに勝てる者などこの世界には存在しないのだから。
「思っていた以上に知能が低すぎる。こりゃ、思っていたよりもずっと楽な戦いになるかもな」
既にオロチは斬った者達のことなど忘れ、次の獲物を探すために走り出した。
口元が自然と歪み、敵の本拠地にいるとは思えないほどこの状況を楽しんでいるようだ。
相手は獣とはいえ既に10体以上を葬り去っていた。
しかし、これからその何百、何千という数の敵を相手にしなければならない。
鬼として自分の身体に流れる血が、これほど大規模な戦場に身を投じれることに歓喜しているのである。
戦場の雰囲気に身も心も任せ、目に入ったビーストマンを片っ端から殺戮する。
オロチには獣の性別など判別することは出来ないが、斬った中には女も子供もいたかもしれない。
だが、そんなことは関係ない。
ビーストマンが食欲を満たす為に人間を殺すのなら、オロチは自分の闘争欲求を満たす為にビーストマン達を殺すのだ。
今まで自分達がやってきたことをやられているだけなので、彼らに恨み言を言う資格は無いだろう。
――ドクン
濃厚な血の臭いを全身で感じていると、そんな音が体の奥底から響いてきた。
これは間違いなく、以前漆黒聖典と呼ばれる者達と戦った時に陥った暴走の前触れである。
どうやら濃厚な血の臭いがトリガーとなってしまい、暴走一歩手前の危険な状態になっているらしい。
オロチがそれを意識すると、彼が装備している和服型のワールドアイテムが見るからに邪悪な瘴気を纏い始めた。
この瘴気こそ、妖怪のみが持っている妖気の塊だ。
「へぇ、こうやって自動で妖力を回収してくれるのか。ワールドアイテムなだけあって容量は桁違いだし、これはもう手放せないな」
こうして二度目の暴走はあっさりと未然に防がれたのであった。
なお、これがビーストマンにとって幸運なのか不幸なことなのかは微妙である。