「そっちに行ったぞハム公! 絶対に逃すんじゃねぇぞ!」
「任せるでござる!」
背を向けて逃げ出したビーストマンを、クレマンティーヌとハムスケが二人掛かりで追い詰めていく。
この戦いによって連携がかなり強化され、驚くほどスムーズにお互いのカバーができるようになっていた。
前半こそバラバラに戦って少なからず怪我を負ってしまっていたが、徐々に時間が経つにつれて危なげない戦いができるようになっていったのである。
それはビーストマンを大量に討伐したことでレベルが上がり、ステータスが底上げされたことも理由のひとつだろう。
ただ、何よりもクレマンティーヌとハムスケの連携が上達したことが最たる理由なのは、二人の息の合った戦い方を見れば明白だった。
「お命頂戴するでござるっ!」
そしてそんな時代劇のような台詞と共に、ハムスケが大きな胴体には不釣り合いな短い腕を使ってビーストマンを背後から仕留める。
クレマンティーヌによって既に瀕死に近かったそのビーストマンは、その一撃によってあっさりとした最期を迎えるのだった。
これでもう彼女達の周囲には敵は居ない。
ほかの区画にいるビーストマンは、ナーベラルやコンスケが担当しているので何の心配も必要なかった。
むしろ自分達よりも圧倒的すぎてビーストマンが可哀想なくらいである。
なのでようやく二人はホッと息は吐き、気持ちを落ち着かせることができた。
するとパチパチという手を叩く音が聞こえてくる。
「中々やるじゃないか。レベルも結構上がっているみたいだし、二人の連携も悪くない。……これなら普段の稽古をもっとキツくしても良さそうだな」
聞き慣れた声……クレマンティーヌがその声を聞き間違えるはずがない。
「あー! ご主人様だー!!」
彼女はキョロキョロと周りを見渡し、オロチを視界に捉えるとそんな嬉しそうな声を上げて一直線で駆け出した。
ただ、オロチの『稽古をキツくする』という後半の部分は彼女には聞こえていなかったらしく、反対にバッチリ聞こえていたハムスケの顔が盛大に引きつっている。
「っと、二人とも良くやったな。大した怪我もないみたいだし、見違えるほど強くなっているぞ」
勢いよく飛び付いてきたクレマンティーヌを受け止め、オロチは二人に率直な感想を送った。
クレマンティーヌには取得経験値が上昇する効果を持つ腕輪を、そして魔獣であるハムスケには装備ではなく同じ効果があるポーションを事前に飲ませている。
ハムスケに渡したポーションはあくまで一時的な効果しかないが、その分補正される数値も高い。
そしてその状態で大量のビーストマンを討伐しているのだ。それでこの二人が強くなっていない筈がなかった。
(ただ、しばらくはクレマンティーヌよりもハムスケの方が強くなっているかもしれないな。見た感じハムスケの方が強い感じがするし)
ニコニコと猫のように擦り寄ってくるクレマンティーヌに、オロチは内心そんなことを考える。
今までの彼女達の関係は、いじめっ子といじめられっ子のようなものだったのだが、この戦いで戦闘力が入れ替わってしまっていた。
これまで通りの関係性が崩れ、立場が逆転してしまう恐れがあるのだ。
そこでふと、オロチはクレマンティーヌがハムスケに顎で使われている様子を想像し、思わずプッと吹き出してしまう。
巨大なジャンガリアンハムスターといった外見のハムスケが、尊大な態度をとって威張り散らしている。
可愛いらしい外見をしているので、それがギャグのように見えてしまったのだ。
「ん? どうかしたでござるか?」
「いや、なんでもない」
当のハムスケは、突然吹き出したオロチに首を傾げながらも特に気にした様子はない。
「ところで、ナーベラルとコンスケはどこに居るんだ?」
「あの二人ならそろそろ戻ってくると……あ、噂をすれば」
クレマンティーヌがそんな声を上げる。
彼女につられてその視線の先に顔を向けると、そこには返り血ひとつ無いナーベラルと、彼女の肩に乗ったコンスケの姿があった。
「お疲れ様でした、オロチ様。先ほどハムスケがトドメをさしたビーストマンが、この街にいる最後のビーストマンになります」
「そっか、皆んなご苦労さん。後始末は俺とコンスケで事足りるから、お前たちは休んでいて良いぞ」
「きゅいきゅい!」
コンスケが『任せて!』と張り切った声を上げる。
今回の戦いではほぼ裏方の仕事しかしていないので、まだまだ元気が有り余っているのだろう。
そしてオロチに頼られたことが嬉しいのか、九本の尻尾ブンブンと振り回していた。
反対に、クレマンティーヌとハムスケは一目で分かるほど疲労の色が濃い。
この数時間の間ずっと命の危険があるギリギリの戦いをしていたのだから当然だったが、今にも眠りについてしまいそうなほどの疲労がある。
「私に休息など不要です。もちろん最後までオロチ様にお付き合い致します」
「その気持ちは嬉しいが、できればナーベラルにはコイツらの側に居てやって欲しい。そろそろ限界みたいだし」
「……かしこまりました」
不承不承といった様子でナーベラルはそう返した。
本音を言えばできるだけオロチの側に控えていたいのだろう。
彼女の本分とは冒険者ではなく、あくまでもメイドなのだ。主人であるオロチの側に常に居たいというのは何らおかしな事ではない。
ただ、そのオロチ本人から頼まれればナーベラルが断れる筈もなく、努めて不満を顔に出さないように了承した。
もっとも、それはオロチから見れば……いや、この場にいる者であれば明らかに不満を持っていると一目で分かる程度の演技だったが。
「ところで、いつまでオロチ様にくっ付いているのかしら? しかもそんな汚い格好でよく――駄猫、アナタ少し臭うわよ」
ナーベラルが眉を顰めながらその言葉を口にした瞬間、クレマンティーヌはオロチからバッと距離を取った。
そしてスンスンと自分の身体の臭いを確かめるが、血生臭い戦場にいる所為か臭いを嗅ぎとれない。
数万にも及ぶビーストマンの死体。そこから発せられている強烈な死臭が、クレマンティーヌの鼻を鈍くしているのだろう。
「え? う、嘘だよね?」
いくら頭のネジがいくつか飛んでいる彼女であっても、好意を抱いている相手に自分が臭いと思われるのは嫌なようだ。
ビーストマンを相手にしていた時よりもはるかに動揺しているように見えた。
「嘘じゃないわよ。ハッキリ言って臭いわ。よくそれでオロチ様に抱きつけたわね」
そう言ってナーベラルは、オロチに向かって念入りに〈クリーン〉の魔法をかける。
もちろん、それはクレマンティーヌが擦り付けた汚れを落とす為だ。
もはや彼女の目尻には薄っすらと涙が溜まっていた。
「ハ、ハムスケ……?」
いつもちょっかいを掛けていたハムスケに、そんな縋るような声を上げる。
「そ、某からは何とも。……あ、拙者の鼻はこの血の臭いでおかしいでござる故、よく分からんでござる!」
ハムスケから返ってきたのは、明らかに自分が気遣われている答えだった。
最後の希望とばかりに、恐る恐るオロチの方に視線を向ける。
だが、オロチは何も言わずにそっと顔を逸らした。
ビーストマンの街に少女の涙が降り注いだのだった。