「どうかされましたか?」
首を傾げながらそう尋ねてくるナーベラルの表情は、オロチの目から見てもいつもと変わらないように思えた。
オロチが配下二人に手を出したことは既にナザリック中に広がっているので、彼女がそれを知らないとは考え難い。
ただ、ナーベラルは普段からあまり表情を表に出さないため、実は内心では……ということも十分に考えられる。
かなりの時間を過ごしているとはいえ、まだ完全に彼女の表情から感情を読み取れる訳ではないのだ。
安易に判断しては、思わぬ落とし穴があるかもしれない。
「おっと、まずはコンスケに薬を飲ませないとな」
「きゅ、きゅぅ」
コンスケが今も苦しそうに唸っているので、それを放置してこのまま観察を続けている訳にはいかなかった。
まずはコンスケの方をどうにかしてやらなければ、落ち着いて話すこともできないだろう。
「では、こちらもどうぞ」
ナーベラルは自分のストレージからペットボトルのような容器に入った水を取り出し、それをオロチに差し出した。
「おっ、ありがとう。助かるよ」
水が入った容器を受け取り、彼女から初めに手渡された小さめの袋から錠剤型の胃薬を一粒だけ取り出す。
そして、その胃薬をそのままコンスケの口に放り込む。
「ほらコンスケ、まずはこれを口に入れろ。それからこの水を……」
「きゅい」
次に容器に入った水を口元まで持っていってやり、ゆっくりと飲ませる。
すると、この薬は普通の胃薬ではないのか、飲み込んでから数秒で苦しそうな唸り声を上げなくなった。
流石にお腹はパンパンに膨らんだままだったが、コンスケの顔がすっかり穏やかな表情に戻っている。
科学が発展していた地球の技術力でもここまで即効性のある薬はなかった。
もしもこれを売り出せば、それだけで一財産を築くことも不可能ではないだろう。
……もっとも、世界を企業に支配されている今の地球では、なんの伝手もない一般人がこの薬を発表したところで、根こそぎその成果を奪われて終わりだろうが。
とはいえ、この胃薬に凄い効果があるのは事実。
あまりに効き目が凄すぎて、副作用が無いのかと若干心配になるくらいだった。
そんなオロチの表情を察したナーベラルが、コンスケに飲ませた薬の説明をする。
「この薬はアインズ様の研究によって開発された薬だそうです。なんでも、この世界のポーションを再現しようとした結果生まれた副産物だとか」
「そうだったのか……。あの人は結構凝り性な所があるからな。そうでなきゃ、魔法も700以上暗記なんてできないだろうし」
何故ポーション作成の過程で胃薬が生まれるのか疑問ではあるが、ポーションは科学では説明できない魔法薬なので、そういうこともあるのだと無理やり納得した。
そして、この薬はアインズが作成したものだと聞き、オロチは納得と安堵の表情を浮かべる。
彼はゲーム時代から研究などの地道な作業が得意だった。
オロチは一度だけそういった作業の手伝いを申し入れたことがあったのだが、そのあまりに細々とした作業の連続に、わずか数十分で投げ出してしまったほどである。
そんな作業を黙々とこなしていく当時のモモンガに、敬意の念を深く覚えたことは今でも鮮明に記憶していた。
「アインズさんが作ったのなら安心だ。あの人が危ない薬を配下に渡す訳ないし」
「ええ、私も詳しくは知りませんが、大量のモルモット(人間)を使って念入りに治験を行なったそうです。アインズ様の偉大な研究に携われて、彼らも光栄に思っていることでしょう」
(……いや、普通に考えて実験体にされて喜ぶような奴は居ないと思うぞ)
ナーベラルの言葉に、オロチは内心でツッコミを入れた。
彼女は本心からモルモットにされた人間が幸せだと思っている。
ナザリックに住まう元NPCにとって、それほどアインズとオロチを含めた創造主たちの存在は大きいのだ。
それこそ、創造主の役に立つためであれば自分を犠牲にすることを厭わないだろう。
その事実に少しだけ同情したオロチは、モルモットとして犠牲になってであろう人間たちの冥福を密かに祈った。
ただそんな彼も、あまり興味のない人間のことなど数時間後にはすっかり忘れているかもしれないので、さほどナザリックの面々と変わりない。
「きゅー」
そしてコンスケは無事に苦しみから解放されたが、まだオロチの肩に乗っかるのはしんどいらしく、地べたに寝転がったまま昼寝を始めてしまった。
「……実はコンスケがナザリックで一番の自由人かもしれないな。そういう風に設定したのは俺だけど」
そんなコンスケを見て、オロチは若干呆れながらもポロッと本音をこぼす。
「確かに自由な性格をしていますが、その分オロチ様に似て心優しい面も持ち合わせているので、メイドたちからの人気も高いみたいですよ。ナザリックに居る間は、よく食べ物を貰っているそうですから」
「姿が見えない時は食い物をねだりに行っていたのかよ……」
ほとんどオロチの肩を定位置にしているコンスケだったが、時折その姿が見えない時がある。
昼寝でもしているのだと思っていたが、まさか食べ物を貰う為に彷徨いていたとは知らなかった。
(意外な一面……って事もないか。普段から信じられないくらいよく食べるし、むしろ納得できてしまうな)
「――じゃなくて!」
「え?」
突然オロチが声を荒げ、それに対してナーベラルが困惑の表情を浮かべる。
会話していた相手が突然大声を出せば、当然彼女が驚くのも無理はない。
「あー、ナーベラル。お前にちょっと聞きたいことがあるんだが……いいか?」
「はい。オロチ様に隠しごとなどありませんので、ご質問があれば何でもどうぞ」
質問があると言われ、一瞬不思議そうな表情を浮かべたが、すぐにいつものクールな顔つきに戻る。
ただいざこうして直接ナーベラルと向かい合わせになると、何故か浮気した男が嫁に言い訳しているドラマのワンシーンがオロチの脳裏によぎった。
それを頭の隅に追い払い、ナーベラルをジッと見つめる。
「……ど、どうかされましたか?」
ジッと見つめられるのは流石に恥ずかしかったのか、彼女の頬に赤みがさす。
やはり普段クールな表情を崩さない女性が恥じらう姿は、より一層破壊力がある。
それがナーベラルほどの美人であれば尚更だ。
実は外見の好みだけで言えば、ナザリックに居る配下の中で一番彼女がオロチの好みに近い。
だからだろうか……
「俺と結婚してくれ」
そんな意図しない言葉を口走ってしまったのは。