鬼神と死の支配者83

『ねぇご主人様、セラブレイトとかいう冒険者のことだけど……私に任せてくれない?』

 未だ酒場の喧騒が鳴り止まぬ中、クレマンティーヌがオロチだけに聞こえる声量でそう言った。

「セラブレイトを? 一体どうするつもりだ?」

『フフフ、アイツの事は気に入らなかったんだー。ここ最近はモンスターばかりを相手にして人間と戦っていなかったし、ちょうど良いからアイツで戦闘勘を取り戻しておこうと思って。……ダメ?』

 可愛らしく小首を傾げるクレマンティーヌ。
 つまり、彼女はセラブレイトを闇討ちして殺そうとしているのだろう。
 こうも簡単に抹殺という考えが浮かび上がる時点で、ナザリックの面々と同じくらい凶悪な思考をしている。
 同族に対する感情と考えれば、クレマンティーヌの方がいくらか凶悪と言えるかもしれない。

 ただ、しっかりとオロチに確認を取っているあたり、誰彼構わず噛み付く狂犬ではなく、主人には絶対的な忠誠を誓う猟犬と言える。
 オロチは少しの間腕を組んで考え込み、そして口を開く。

「今はダメだな。良くも悪くも俺たちは注目され過ぎている。ここで騒ぎを起こせば余計な問題が増えかねない。だが――俺の予想が当たっていれば、そう遠くないうちにセラブレイトを消すことになる。その時にお前に任せよう。それまで我慢できるか?」

『フフッ、もっちろんだよ。後にとっておいた方が楽しみは何倍にも感じるからねー。それに私はお利口さんだから、ご主人様の指示ならちゃんと待てるんだー』

 オロチからの返答はクレマンティーヌが望んでいたものではなかったが、その声からは一切の不満を感じられなかった。
 仮面を付けているのでオロチには表情が分からなかったが、クレマンティーヌは仮面の下でもニコニコと笑っている。

 なぜなら……

「よしよし、えらいえらい」

『ふへへ……』

 そうすればオロチから褒められると思っていたからだ。
 そして見事にその思惑は的中し、彼女は頭を撫でられることに成功していた。
 仮面の変声機能によりずいぶん機械的な声だったが、そんな声だとしても十分に喜んでいることが分かる幸せそうな声である。

 セラブレイトを自分の手で切り刻むのはさぞ心地よいことだろう。
 だが、クレマンティーヌにとってはそれ以上にオロチに褒められることの方が心地よいと感じるのだ。

 どれだけの人間を切り刻んでも、オロチのひと撫でには遠く及ばない。
 猟奇的な性格は相変わらずだったが、それ以上に彼女の心はオロチによって支配されていた。

 それに、オロチの言葉は『少し待て』である。
 決して禁止されている訳ではない。
 もちろん、例え禁止されたとしてもクレマンティーヌは大人しく従っていたが、いずれ許可が出ることを考えれば迷う要素など少しも無かった。

 そうしてオロチはクレマンティーヌの頭を撫でていると、ふと違和感を覚える。

「……そういえばナーベラル、今日は怒らないんだな。以前はあからさまに不機嫌になっていただろう?」

 いつもならオロチがクレマンティーヌを撫でていると、『でしゃばるなよ、駄猫が』と言わんばかりに不機嫌な表情をクレマンティーヌに向けていたのだが、今日に限っては何故かそれが無かった。

「今の私は婚約とはいえ、オロチ様のつ、妻ですから。多少駄猫への慈悲を見せるくらいの余裕は必要だと思いまして」

『流石はご主人様の奥さんだねー。やっぱりご主人様の隣はナーベラルさんがピッタリだよー』

「そ、そうかしら? 貴女も徐々にだけど、オロチ様のペットに相応しくなっていると思うわよ?」

 ナーベラルは満更でもない顔で、彼女なりにクレマンティーヌを褒めた。

(クレマンティーヌのやつ、どうやらナーベラルを上手くコントロールする方法を見つけたみたいだな。ま、当人同士がそれで良いなら俺が口を挟む必要も無いだろうけど。……ポンコツなナーベラルの方が可愛いし)

 オロチは微妙にナーベラルを貶しつつも、コントのようなやり取りをしている仲間たちの姿をどこか楽しげに眺めていた。

 クレマンティーヌはオロチが動くラインを見極めるのが本当に上手い。
 もしも彼女がナーベラルを陥れようとしたり、それに準ずる行為をした場合、今まで培ってきたものなど関係なく即座に排除されていただろう。

 だが、クレマンティーヌは決してナーベラルを排斥しようとはしない。
 オロチがナーベラルを言葉では言い表せないくらい大切にしている、それが分かっているからだ。
 この忠犬は決して主人の不利益になる事はしないのである。

 すると、既に酔いが回っている冒険者のひとりがオロチの方へとやってきた。

「なぁ月華の英雄さんよぉ、戦闘ではアンタに勝てそうに無いが……こっちの方はどうなんだ?」

 そう言ってその男は持っている大きなジョッキを掲げる。
 それを見た周囲の冒険者も興味がそそられたのか、口々に煽るようなことを言って囃し立て始めた。

「いいぞバッカス! 竜王国一の酒呑みの力を見せてやれ!」

「お前から酒を取ったらただのダメ親父だぞ!」

「さぁ、英雄殿はこの勝負を受けるのか!?」

 酔っ払い特有の盛り上がりをみせる冒険者たちに呆れながらも、オロチは愉快そうに笑みを浮かべる。
 こういった雰囲気は嫌いではない。

「ははっ、まさか俺に向かってくる奴がいるとはな。いいぜ、その勇気に免じて受けてやろう」

『うおおおおぉぉぉぉ!!!』

 オロチが男――バッカスからの挑戦を受けると宣言すると、会場が割れんばかりに盛り上がった。
 ちょうど酒場の前を通りがかった住民たちも、そのあまりの盛り上がりにいったい何事だと集まり始める。

「へっへっへ、そうこなくっちゃな! おいお前ら、さっさと中央を空けろ! どいたどいた!」

 中央の一番目立つ場所に舞台が用意され、話を聞いていた酒場の店員が大樽を運びこみ、あっという間に準備が整った。
 そして、ついに飲み比べのゴングが鳴り響く。

 時に、オロチの種族は鬼だ。
 古来よりかなりの酒豪として言い伝えられるほどの伝説的な酒呑みである。
 そしてその中でも、さらに鬼神という最上位の鬼。

 そんな者が酒に弱い? ――否、ありえない。

「う、嘘だろ……?」

 次々と酒が入ったジョッキを空けていき、終いには大樽のままそれを飲み干してしまうオロチ。
 序盤こそなんとか食らいついていくバッカスだったが、所詮は人間の域をでない程度の酒呑みである。
 文字通り次元の違いを見せつける結果となった。

「ふぅ、まだやるかい? バッカス君?」

「……降参だ」

 その言葉を最後に、バッカスはゆっくりと倒れていった。
 会場に再び割れんばかりの歓声が飛び交う。

「ナーベラル、その男に魔法をかけてやってくれ」

「はい、かしこまりました」

 アルコールを抜く為に解毒の魔法をかけられたバッカスは、それでも気を失ったままだったが幾分か顔色が良くなった。
 これで時間が経てばそのうち目を覚まさすだろう。

「す、すげぇ……! 本当にバッカスの野郎に勝っちまいやがったぜ!」

「これぞ英雄の中の英雄だ! はっはっは、ホントに凄い男だ!」

 どうやらオロチが勝利したバッカスという男は酒豪で有名だったらしく、そんな男を相手して未だ余裕がありそうなオロチに惜しみない賞賛の嵐が降り注いだ。

 ――しかしそんな時、入り口のスイングドアが吹き飛ぶような勢いで開かれる。

「ここにいるんだろう!? さっさと出てこい、この卑怯者!!」

 そんな怒声が酒場のムードを一瞬でぶち壊した。
 この場にいる冒険者が唖然とした表情を浮かべる中、この場でただ一人……オロチだけはその口元を歪ませ、自分の想定通りだと嗤うのだった。

 

   

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