鬼神と死の支配者84

「ここにいるんだろう!? さっさと出てこい、この卑怯者!!」

 突如として酒場に響き渡った怒声により、先ほどまでのお祭り騒ぎが嘘のように静まりかえる。遠くからの街の喧騒が聞こえてくるほどだ。
 この場にいる多くの者が口をポカンと開け、この状況をすぐには飲み込めていない。

 そんな中、招かれざる客――セラブレイトにひとりの冒険者が詰め寄った。

「おいおい、セラブレイト……お前さんが言う卑怯者ってのは、まさかとは思うが我らが英雄殿のことじゃねぇよな?」

 若干の怒りを滲ませながら問い質すその男は、アダマンタイト級の冒険者には及ばないまでも、オリハルコン級の実力を兼ね備えた冒険者である。
 故に、例えアダマンタイト級冒険者から睨まれようとも一歩引かない胆力を有していた。

「あの男が英雄だと? お前たちはあの男に騙されているんだぞ!? 普通に考えて、数万のビーストマンに打ち勝つなどあり得ない! きっと何か不正を働いているに違いないんだ!」

 その瞬間、この場にいる冒険者たちが殺気立つ。

「テメェ……お前もこの国を憂う戦士かと思っていたが、どうやら違うみたいだな……?」

 オロチは紛れもなくこの国を救った英雄である。
 それは彼が持ち帰った膨大なビーストマンの尻尾を見れば一目瞭然だ。
 現に組合の職員が死にそうな顔で数えているのを、多くの冒険者が目撃していた。

 そして自分たちの英雄が侮辱されて黙っていられるほど、この街の冒険者たちは腰抜けではない。
 彼らは皆、この国がどれほどの劣勢に陥ろうとも故郷を守るために戦っていた歴戦の猛者たちなのだから。

「くっ、何故そんな男を庇うんだ! その男がただのペテン師だと、何故わからない!?」

 一触即発。
 酒場の雰囲気はお祝いムードとは程遠く、もはや今にも殺し合いが起こるのではないかと思うほどに緊迫していた。

 だが、そんな現状に待ったをかけた男がいる。

「まあ待て、そう慌てるな。まずはコイツの言い分を聞こうじゃないか。話はそれからだ。だからそんなに殺気立つんじゃない」

 他ならないオロチだった。
 緊迫したこの場には相応しくないゆっくりとした口調と動作は、何故か見る者の心に落ち着きを生ませる。

 ただ、唯一セラブレイトだけはそれが無性に腹立たしく感じた。
 怒り狂う自分とは対照的なオロチの落ち着き払った態度が、まるで見下しているように思えたのだ。

「……アンタがそう言うなら良いけどよ」

 真っ先にセラブレイトに詰め寄った男は、たとえ勝てないにしても一矢報いるために戦う覚悟はできていたが、他ならないオロチがそう言うならと渋々矛を収める。

 他の冒険者たちもあまり納得はしていない様子だったが、一時的に表面上は大人しくなった。
 ただもしも戦闘が始まってしまえば、我先にとセラブレイトに剣を突きつけるだろうことは想像に容易い。

 自分たちの国を救ってくれたオロチに、彼らはそれほどまでに感謝しているのである。

「じゃあセラブレイト、アンタはいったい何をしにやってきたんだ? 俺たちと一緒に酒を飲むって言うのなら歓迎するぞ?」

「ふざけるな……! お前との勝負は無効だ! 私はお前に、決闘を申し込む!!」

 セラブレイトが声高々に宣言すると、ザワザワと冒険者たちが騒ぎ始めた。

「セラブレイトの奴、自分が何を言っているのか分かってるのか?」

「自分が負けたくせにそれを認めず、あまつさえ相手を侮辱するとは……アダマンタイト級冒険者が聞いて呆れる」

 不愉快そうに顔を顰める者たちがいる中、オロチだけは心底面白そうにセラブレイトに視線を向けた。

「ほぅ……俺と決闘、か。クククッ、良いぞ。暇つぶしにでも受けてやろう。だが――賭けの精算はどうする?」

 スゥっと細められたオロチの瞳は、まるで獲物を丸呑みせんとする蛇のような印象を受ける。
 自分の方が強いと信じて疑わないセラブレイトであっても、一瞬オロチの迫力に呑まれそうになったほどだった。

「だ、だから勝負は無効だと言っているだろう。お前は不正で私に勝ったのだからなっ」

「フッ、無効か。まぁ別にそれで良いさ。元からお前には期待していないしな。決闘の日時もそっちで決めろ。何だったら今からでも構わないぞ?」

 オロチは不敵な笑みを浮かべてそう言った。
 その動じない姿はまさに王者の貫禄であり、子供の癇癪を起こしているようなセラブレイトとはまるで違う。
 誰の目から見ても、どちらが優位に立っているのかなど明らかだった。

「私を舐めるのも大概に……! ――勝負は明後日だっ。場所はこの街の闘技場で行う。せいぜい束の間の幸福を噛み締めておくんだな!」

 そんな捨て台詞を吐き、セラブレイトを鼻息荒く去っていった。

「……本当に受けても良かったのか? アンタがセラブレイト負けるとは思っていないが、それでも別に受ける理由が無いだろう?」

「さっき言った通り、ただの暇つぶしだ。しばらくは何もすることがないからちょうど良い」

 オロチがそう言い放つと、その冒険者の男は唖然とした。
 アダマンタイト級冒険者との決闘をただの暇つぶしと言い切る強者が、果たしてこの世界にどれだけいるのだろうか。
 少なくとも自分は出会ったことがない。

 そして、オロチから予想外の返答を聞いた数秒後には大声で笑い始める。

「ガッハッハッハ! そうか、ただの暇つぶしか。それなら俺たちもその戦いを肴に、また酒を飲んで騒ぐとしよう。なあ、そうだろお前ら?」

 再びこの酒場に活気が戻り、元どおりのお祭り騒ぎ……いや、それ以上の宴会が始まったのだった。

 

 ◆◆◆

 

「ふざけるな……! ふざけるなふざけるなふざけるな!! あの男が英雄だと? この国を救った救世主だと? 今までお前たちをビーストマンから守ってやったのはこの私だろうがっ!」

「キャインッ!」

 セラブレイトは湧き上がってくる怒りのまま、偶然視界に入ってきた野良犬を蹴り飛ばす。
 腐っても最高位であるアダマンタイト級冒険者による一撃だ。
 酔っ払いの蹴りとは文字通りレベルが違い、そんなものをまともに食らった野良犬はその一撃によってあっさり息を引き取った。

「ふんっ、邪魔な畜生め。私の邪魔をするからだ」

 しかし、セラブレイトは道端の野良犬になど興味がない。
 例え自分の八つ当たりでどうなろうが、せいぜい虫を追っ払った程度にしか感じていなかった。

 今まで取り繕っていた外面のメッキが音を立てて剥がれていく。

 少し前までは自分は正しく英雄だった。
 だが、かつて自分が命を救った者たちは今や誰もが口を揃えてオロチを称えている。

 何故だ?
 何故自分を称えない?
 この短い期間でいったい何があった?
 そんな疑問が頭の中を駆け巡る。

 しかし、オロチへの嫉妬がセラブレイトから正常な思考を奪い、それが真実に蓋をした。

「何としてもあのペテン師に勝てなければ……そう、どんな手段を使っても、な」

 セラブレイトは端正な顔を憎悪で歪ませる。
 そしてその瞳には、おぞましいほどの狂気が渦巻いていた。

 もはや彼に英雄の面影は微塵も感じられない。
 かつて竜王国を支えていた英雄は、今この瞬間に死んだのである。

「お前だけは絶対に許しはしない。オロチ、お前はこの手で息の根を止めてやる……!」

 そんな呟きを残し、セラブレイトの姿は暗闇へと消えていった。

 

   

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