セラブレイトとの決闘が決まった翌日、決闘を明日に控えたオロチは数日ぶりにエ・ランテルの街に足を運んでいた。
「やっぱり2、3日くらいじゃ何も変わらないか。まぁ、多少は懐かしい感じもするが」
エ・ランテルの街を発ち、竜王国へ向かった後は中々に濃い日々だった。
アダマンタイト級冒険者と勝負することになったり、ビーストマンの国を滅ぼしたりと、数日どころか数年分のイベントが一気に押し寄せてきたのである。
そして明日には決闘と、退屈とは無縁の連続だ。
そんな濃い日々を送れば、たとえ数日であってもエ・ランテルの街を懐かしく思ってもそうおかしいことではない。
オロチがそんなことを考えながら街並みを眺めていると、後ろを歩くハムスケが声を上げた。
「大殿、殿がお腹が空いたと言っているでござる」
「きゅい!」
「おいおい……さっき昼飯を食ったばかりだろうに。そんなキラキラした目を向けても駄目なものは――ああ、わかったわかった。そこの屋台で何か買ってやるよ」
「きゅいきゅい!」
初めは否と言ったオロチだったが、コンスケから期待した目を向けられるとその意思はあっさり瓦解した。
時折風に乗ってやってくる屋台の香ばしい匂いに鼻をヒクつかせているコンスケは、嬉しそうにハムスケの体の上で飛び回る。
「じゃあナーベラル、悪いんだけど適当にコンスケとハムスケに買い与えといてくれ。その間に俺とクレマンティーヌで冒険者組合に行っておくから」
「かしこまりました」
そこでオロチ一行は二手に別れた。
わざわざこのタイミングでエ・ランテルの街に戻って来たのには理由がある。
それは――
「師匠ぉぉぉおお!! やはり師匠なのですね!? このブレイン、一日千秋の思いでお待ちしておりましたぁぁ!」
冒険者組合に向かっていると、遠くの方から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
出会った当初はそうでもなかったのに、何を間違えたのか今では無駄に暑苦しい男になってしまったブレイン・アングラウスである。
街中だというのに大声を張り上げ、まっすぐに自分の方へと走ってくるのは正直勘弁して欲しいと思うオロチだったが、そんなことはブレインには関係ない。
いつのまにか彼は常識というものを忘れてしまったようだった。
「またうるさいのが来てしまったな……」
『消してこようか?』
クレマンティーヌからの提案に思わず頼む、と言ってしまいそうになったが、あれでも一応は弟子という扱いだ。
阿呆ではあるがこれはこれで何かと使える男であり、安易に殺してしまうには勿体ない人物である。
なのでオロチはクレマンティーヌに許可することをグッと堪えた。
「殺さない程度にぶん殴ってくれ」
『りょーかーいっ』
「師匠! さっそく俺に――へぶっ!?」
クレマンティーヌの右ストレートが綺麗にブレインの顎を捉える。
脳を揺らされたブレインはその一撃で膝をつくが、なんと驚くことに意識は保ったままだった。
間違いなく気を失うだろうと思うくらいには綺麗に入った拳だったので、フラフラになりつつも立ち上がろうとしているブレインに驚かざるを得ない。
「お前……よく耐えたな」
「お、俺は日々成長しているんです。そいつの攻撃なんて効きやしませんよ」
強がりなのは火を見るよりも明らかだったが、クレマンティーヌの攻撃を耐えたのは紛れも無い事実だ。
いくら手加減していたとしても、格上からの攻撃を耐えきったブレインを少しだけ見直した。
だがしかし、ブレインはクレマンティーヌの性格を甘く見ている。
気絶させるつもりで放った右ストレートを耐えられてしまった彼女が、素直にブレインを賞賛するはずがない。
むしろ、クレマンティーヌのプライドを著しく刺激していただけであった。
「あ」
オロチの口からそんな声がこぼれ落ちる。
その視線の先には人知れずブレインの背後に回ったクレマンティーヌが、今にもかかと落としを繰り出そうとしているところだった。
完全に油断していた意識外からの凶悪な攻撃。
万全の状態であればともかく、既にフラフラの状態で追撃されてしまえば躱すどころか威力を弱めることもできなかった。
そんなクレマンティーヌの無慈悲とも言えるかかと落としによって、ブレインは呆気なく意識を飛ばす。
(……えげつない攻撃だな。流石の俺もちょっと引いた)
かかと落としは押せば倒れてしまうような相手に対して使う技ではない。
これが敵ならばまだ分かるが、ブレインは曲がりなりにもオロチの唯一の弟子である。
少しだけブレインのことを見直していた所だっただけに、オロチは道端にグッタリと転がっている弟子の姿に同情の念を抱いたのだった。
◆◆◆
「久しぶり……ってこともないか。俺が不在の間、この街に何も無かったようで何よりだ」
「そっちはずいぶんと派手に動き回っているようだな。ビーストマンの一件は既に俺の耳にも入っているぞ」
冒険者組合長であるプルトンは、若干の呆れを含んだ視線をオロチに向けた。
そんな視線を受けながらも、オロチはむしろ好都合とばかりに話を進める。
「なら話が早い。俺の今後の予定について、一応アンタにも話しておこうと思ってな」
そう言ってオロチは出されていた紅茶を飲む。
ナザリックの高級茶には遠く及ばないが、それでも組合長から出されているだけあって十分に美味しいと感じる紅茶だった。
「ほぅ? 英雄殿の今後の予定とは非常に気になるな。たしか竜王国の国王になるのではなかったのか?」
プルトンは呆れを含んだ視線から好奇の視線へと変化させた。
組合長としてか、もしくは一人の男として、新たに誕生した英雄であるオロチの情報が気になっているようだ。
「俺は今のところ国王になるつもりはない。しばらくはこのまま冒険者を続けるつもりだ。もちろん、いずれ王様になる予定ではあるが、な。竜王国側もすぐには準備ができないだろうから丁度いいだろう」
「なるほど、冒険者を……それで? 何故その話を私に?」
「アンタとは契約を結んでいたからな。それを一方的に打ち切るのは俺の主義じゃない。今後もブレインはこの街に置いておくつもりだが、俺が王になった後でもこの街の窮地にはこっそり助けてやるよ。今日はそれを伝えに来たんだ」
「それは……なんとも義理堅いことだ。最近の若い連中にも聞かせてやりたいくらいだよ」
プルトンはオロチの言葉に感心する。
リ・エスティーゼ王国にいる『青の薔薇』という例外があるものの、冒険者という存在は基本的に上位になればなるほど自己中心的な考えの者が多い。
そして若い冒険者にはそれが顕著にあらわれるのだ。
故にプルトンはオロチこそが本物の英雄なのだろうとひとり納得していた。
「俺は自分が思っているよりもこの街が好きになっていたみたいでね。今後とも仲良くしようじゃないか」
「ああ、こちらこそよろしく頼む」
そう言って二人は握手を交わしたのだった。
……お互いに打算的な笑みを隠しながら。