鬼神と死の支配者86

『月華の英雄』オロチ、そして『クリスタル・ティア』のセラブレイト。
 両者が行うことになった決闘はいつの間にか街を挙げての一大イベントと化していた。
 決闘の開始まであと数時間はあるのだが、闘技場には早くも多くの国民と冒険者が押し掛け、酒を片手に決闘の開始を今か今かと待ちわびている状態だ。

 既に商魂逞しい者たちが屋台やら酒の売り子やらで商売を始めていたり、一部では賭けまで行われているらしい。
 これだけの客がいるのだから、さぞ良い市場になっていることだろう。

「へぇ、こりゃ凄い。知らないうちにこんなにも大事になっていたんだな。どこを見ても人、人、人……かなりの数の住民がここに集まっているんじゃないか?」

 闘技場の下見に来ていたオロチは、パンパンに人が入っている場内を見渡し、予想以上の盛り上がりを見せていることに驚いていた。

「はい、そのようです。なんでもこの決闘を見るために自分の店を閉めてまでやってきている者もいるようで、結構な数の店が閉まっていました」

「おいおい……それで良いのかよ」

 オロチは呆れたようにそう呟いた。

 会社に勤めていた時のオロチは決して熱心な社員ではなかったが、それでもやる事はしっかりとやっていたし、自分の趣味の為に仕事を休んだことは一度もない。
 なので決闘を見るために仕事を休むという話を聞き、かなりの違和感を感じていた。

『ご主人様って結構真面目だよねー。昨日もわざわざエ・ランテルの街まで行っているし。冒険者なんて案外みんな適当なもんだよ?』

「あー、だからプルトンもあんなに感心していたのか」

 そういえば妙な反応をしていたなと、昨日のプルトンの反応を思い出して納得の表情を浮かべた。

 様々な下心があったので完全な善意という訳ではなかったが、オロチとしては契約を結んだ相手にある程度の情報を渡すのは普通にことだと思っている。
 だが、この世界に於いてはどうやらそれは珍しいことらしい。

(報連相って言葉はこの世界じゃ通用しないみたいだ。前の世界なら問答無用でクビになるのに)

 労働環境だけで言えば、前世とは比べ物にならないホワイトさにオロチは愕然とした。

「おい、あれ見てみろよ。あいつ……いや、あの人がオロチさんじゃないか?」

「え? あっ、ホントだ! 握手してもらわなきゃ!」

 観客の一人がオロチに気がつき、そこから一気に騒ぎが大きくなっていく。
 ただでさえ目立つ容姿をしているのに、この世界ではおそらく存在しないであろう着物を着ているオロチは非常に目立つ。
 このままでは大混乱に陥ること間違いなしだった。

「おっと、さっさとここから出て行った方が良さそうだ。気配を消してここを離れるぞ」

 オロチたちが気配を完全に遮断すると、周囲から『あれ? どこ行った?』という声が聞こえてくるが、その声に振り返ることなくそのまま闘技場を後にした。

 

 ◆◆◆

 

 まるで大人気アイドルのような扱いだったが、騒ぎになることを嫌ったオロチは人気のない場所まで避難してきた。
 根本にある性格はあまり変わっていないのか、どうにも自分がチヤホヤされるのは慣れない。

 ただ、あの熱気に包まれた雰囲気だけ悪くないと感じている。

「あれだけ観客が集まっているのなら、簡単に勝つってのも些か芸がないよな。一体どうしたもんか……」

 当初の予定ではセラブレイトという弱者が相手なのでやる気もなく、パパッと一瞬で終わらせるつもりだった。
 それくらいの実力差がオロチとセラブレイトの間にはある。

 だが、これほどの観客が集まっている中でそれを実行すれば、場がしらけるどころの話ではないだろう
 せっかくここまでの盛り上がりを見せているのなら、何かしら会場を沸かせるような戦いをした方がオロチ自身も楽しめるというものだ。
 酒場で馬鹿騒ぎしていた雰囲気が嫌いではないように、今のお祭り騒ぎも嫌いではないのだから。

 ユグドラシル時代にもこういった見世物としての戦いは何度か経験しており、勝敗よりも盛り上がり重視で楽しんでいたことは今でも鮮明に覚えている。
 そしてこの闘技場には、そんなオロチの記憶を思い出させる〝熱〟が確かにあったのだ。

「きゅいきゅい!」

 オロチがどうしたものかと頭を悩ませていると、ハムスケの身体の上で器用に9本の尻尾を使って屋台の串焼きを食べているコンスケの声が聞こえてくる。

「ん? お祭りなんだから楽しめって? ……いや、別にこれは祭りって訳じゃ――」

 コンスケの方に視線を向けたオロチが固まった。
 そしてニヤリと口角を吊り上げる。

「祭り……久し振りにあれをやってみるか」

「何を思いついたのですか?」

「フッフッフ、それは後のお楽しみだ。たぶんナーベラルも見たことがない戦い方だと思うから、決闘を楽しみにしていてくれ」

 無邪気な笑みを浮かべるオロチを見て、ナーベラルは自然と顔がほころんだ。

「フフッ、それはとても楽しみです。オロチ様の雄姿はしかとこの目に焼き付けておきますね」

『……ハム公、疎外感が半端ない。あの二人の間に入りたいけど、流石の私でも入りこめる隙間がない』

「むしろあそこに入ろうとしていたことが驚きなのでござるが……」

 ハムスケはクレマンティーヌの心臓はきっと鋼で出来ているのだと密かに思った。
 それが彼女にバレると蹴りが飛んでくるので、もちろん面には出していないが。

「そういえば、セラブレイトは『クリスタル・ティア』っていうチームのリーダーなんだよな? 他のメンバーを見たこと無いけど、本当にちゃんと居るのか?」

 気をつかった訳ではなかったが、オロチがクレマンティーヌに話しかける。
 するとすぐにクレマンティーヌの表情がにぱぁ、と変化した。

『そりゃもちろんいるよー。名前までは知らないけど、結構バランスの良いパーティだった気がする。ただ、今回の一件でチーム内に亀裂が入っているっていう噂があるみたい。ご主人様との決闘もセラブレイトのクソ野郎が独断で決めたみたいだしねー」

「いつの間にそんな情報集めたんだよ」

「私って癖でどんな時でも聞き耳を立てちゃうんだー。だから色んな人がそんな話をしているのを聞いたんだよ」

「ほぉー、凄いな」

 オロチの口から思わず称賛の声がこぼれる。
 周囲の声に聞き耳を立てて情報を集めるなど、誰にもできることではない。
 少なくとも、単純にクレマンティーヌよりも聴力が上なオロチであっても真似できない芸当だ。

 褒められたクレマンティーヌは満更でもない様子で嬉しそうにしており、彼女の機嫌が直ったことで八つ当たりの恐れが無くなったハムスケもホッと息を吐いた。

「オロチ様、そろそろお時間です。難癖付けられない為にも、早めに会場へ向かった方がいいでしょう」

「もうそんな時間か。じゃ行こうか」

 今から決闘を行うとは思えないほど軽々しい足取りで歩き出す。
 むしろその表情はどこか悪巧みしている少年のような表情が浮かんでいた。

 

   

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