鬼神と死の支配者87

 見渡す限りの人の群れ。
 パッと見る限り会場に空席などはひとつも無く、通路にまで観客がギッシリと敷き詰められていた。
 つい数日前まで活気が無かった街とは思えないほどの盛り上がりである。

 実際にこの場に立ってみると、観客席から見る景色よりも遥かに迫力があり、鬼としての血が沸き立つのを感じていた。

(こんなところで正体を現したらマジで洒落にならん。うっかり鬼の力を出し過ぎないようにしないと……)

 そして周囲から伝わってくる異常なほどの熱気と大歓声に、オロチはかつてのユグドラシルでの記憶が蘇ってきそうだった。
 大勢の観客から様々な視線を一身に受けて戦い、一種のパフォーマンスとして死闘を演じる。
 今の状況はゲーム内で開催される大会に非常に酷似しているのだ。

『さぁ、ついに因縁の対決に終止符が打たれる! 月華の英雄オロチ VS クリスタル・ティアのセラブレイト、その試合がまもなく開始されるぞ!!』

 おそらく拡声の魔法を使っているであろう実況の声が流れると、会場にいる観客たちの歓声で大地が揺れるほどの盛り上がりを見せた。
 そして向かい合う両者――オロチとセラブレイトはそれぞれ対照的な表情を浮かべている。

「セラブレイト、今度はふざけた言い訳は通用しないぞ? これだけの観客が居るんだ。またお前が難癖付けてきたとしても、それは竜王国の国民たちが許さないだろうからな」

「フンッ、まさかペテン師にそんなことを言われるとはな。ここで私がお前に勝ち、皆の勘違いを正す。それが私の……真の英雄としての責務だ!」

 忌々しくオロチを睨みつけるセラブレイトに対し、オロチはそれを涼しく受け流して見下すように笑みを浮かべている。
 それは自分が格上だと言わんばかりの態度であり、セラブレイトは口内が切れるほど歯を食いしばった。

 ただ、セラブレイトはオロチの実力を正確に計れない限り、どんな奇跡が起ころうとも万に一つの勝ちもない。
 肥大したプライドからか、ペテン師などと盛大な勘違いをしている時点で敗北は確定していると言える。

「真の英雄、か。クックック、なら俺はさしずめ偽物の英雄と言ったところか? だが、この戦いは俺の仲間たちが期待して見ているんだ。そんな中で無様な姿を晒すことはできない。だから、せめて英雄らしく盛大に散らしてやるから感謝しろよ?」

 オロチが挑発するようにそう告げると、セラブレイトは憤死するのではないかと心配してしまうほど顔を真っ赤にし、怒りで身体を震わせた。

(煽り耐性が皆無だな。もしもコイツがネットユーザーなら、周りが面白がって発狂するまで煽り散らしていたかもしれん。戦いは相手の冷静な思考を奪うことから始まるってのに)

 そんなことを考えていると、オロチの脳裏にとある人物の顔が浮かび上がってきた。
 ギルドメンバーの一人であり、舌戦最強無敗の男。
 そのあまりに過激な発言から運営に数回のアカウント一時停止を食らうも、決してアカウントBANまでは受けたことがない不滅にして幸運の持ち主。

 その名は――『チグリス・ユーフラテス』。

 もしも彼が自分の立場ならば、沸点の低いセラブレイトのような性格は格好の標的であり、嬉々として全力で煽りにいくだろう。
 それこそ、スキルを駆使すれば実際に剣を交えずとも相手を憤死させることができるかもしれない。

 そして会場がなんとも言えない空気に包まれる……そこまでの道筋がはっきりと想像できたオロチは、思わずプッと吹き出してしまった。

「き、貴様……! 私の顔を見て笑うなど、侮辱するのも大概にしろ!」

「ああ悪い。別にお前に笑った訳じゃ……いや、それほど間違ってはいないから違うとも言い切れないか。まぁ、とにかくすまん。こればっかりは俺が悪かった」

「――ッ!」

 オロチの言葉に、もはや耳まで赤くして激昂するセラブレイト。
 今回は意図せずに煽ってしまった事故のようなものだったが、これ以上怒らせれば本当に憤死しかねないとそれ以降は口を噤んだ。

(まさかチグリスさんのことを考えるだけで相手を挑発することになるとは……。記憶だけでも取り扱い注意だな)

 チグリスはギルドを設立した初期の頃からの仲間だが、長い間仲間であったが故に苦い思い出も多くあるのだ。
 思い出してもろくなことが無いので、それは厳重に頭の奥底にしまっておくことにした。
 それでも、ある日ひょっこりと顔を覗かせるのがチグリスという人物の濃さを物語っている。

 そして、オロチとセラブレイトが沈黙したのを見計らってなのか、タイミングよく審判らしき男が舞台の上に上がってきた。

「まずはこの決闘のルール説明をさせていただきます。勝負は相手が降参するか戦闘不能になるまで続けられ、もしもこの戦いで相手が命を落としたとしても罪に問われることはありません。なので、命の危険を感じたら早めに棄権してください」

 相手が死ぬまで戦う……決闘と聞いてそんな物騒なことを考えていたが、どうやらこの審判の話では途中棄権することもできるようだ。
 もっとも、オロチもセラブレイトも中途半端にやられただけでは降参などしないだろう。

 この戦いは、お互いの未来が掛かった大事な一戦なのだから。

「では両者、準備は良いですか? 問題が無ければ決闘を開始させていただきますが?」

「俺は問題ない」

「私もだ。さっさと始めろ」

 審判は小さく頷き、そしてゆっくりと口を開いた。

「では――始め!」

 審判の合図と共に動き出したのはオロチ……ではなくセラブレイトの方だった。

「死ね、オロチぃぃぃぃ!!」

 地面が抉れるほどの踏み込みでオロチへ肉薄し、その勢いのまま剣を振り下ろす。
 自分で真の英雄を名乗っておきながら、相手を口汚く罵って斬りかかるのはどうなのかと、ついオロチはそんな関係ないことを考えてしまう。

 接近するセラブレイトを迎撃するのかと思いきや、オロチは身体を逸らしてギリギリで回避した。
 これにはオロチを応援しにきた観客たちもヒヤリと肝を冷やす。
 一瞬斬られてしまったと錯覚してしまうほど余裕の無い回避に、セラブレイトはやはりオロチの実力は自分以下だと安堵した。

 そして次々と攻撃を繰り出し、相手に反撃の隙を与えないように神速の剣撃を披露していく。

「どうした! 私の攻撃に手も足も出ないのか?」

 そんな挑発を受けても、オロチはひたすら回避に徹している。
 僅か数ミリずれていれば確実に斬られてしまうであろう距離でギリギリ攻撃をかわしており、側から見ればオロチが一方的に押されているように見えていた。

 時折、オロチのファンであろう女性の悲鳴が上がるなど、誰の目から見てもオロチの劣勢、セラブレイトの優勢は明らかだった。
 ただ、一部の者たちから見ればその評価はガラリと変わるだろう。

 なにせ、オロチはまだ一度も攻撃しようとさえしていないのだから。

「――もらったっ!!」

 そんな声と共に、ついにセラブレイトの剣がオロチの身体を切り裂いた。

 

   

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