オロチの身体が胴体のところで真っ二つに切り裂かれた。
もちろん切り裂いたのは対戦相手であるセラブレイトだ。
観客席のあちこちから悲鳴が上がり、オロチの実力を知る者たちは呆然とそのシーン見守ることしかできない。
「…………?」
しかし、当のセラブレイト本人は首を傾げて訝しむような表情を浮かべている。
自分の渾身の一撃だったとはいえ、あまりにも手応えが無さすぎたのだ。
それこそ、まるで実態の無い霧を斬ったような――
「っ!?」
その瞬間、セラブレイトがその場から大きく後ろに飛び退いた。
今まで冒険者として培ってきた経験が今すぐに逃げろと警鐘を鳴らし、セラブレイトの身体が半ば本能的に動いたのである。
そしてその判断は正しかった。
「なに……!?」
自分の手で斬ったはずのオロチの身体がグニャリと形を変え、パッと桃色の花びらが舞ったかと思えば忽然と姿が消えた。
そして気づかぬうちに頬に一筋の切り傷が付けられており、そこからスーッと少量の血が流れている。
いったい何が起きた?
何故アイツの姿が消えた?
何故自分の顔から血が流れている?
何故――
何故――――
「最初の小手調べはちゃんと避けてくれたみたいだな。あれで死ぬようなら流石に興醒めだった。仮にもアダマンタイト級冒険者なら、できるだけ活きのいい姿を観客たちに見せてくれ」
セラブレイトの脳内にグルグルと疑問が渦巻いている中、オロチの声が周囲から聞こえてくる。
だが、その姿はどこにも見当たらない。
それどころか、声自体が反響しているので発生源さえ分からなかった。
「くっ、卑怯だぞ! おかしな術を使わずに、さっさと姿を見せろ! 正々堂々と戦え!!」
セラブレイトは舞い散る桃色の花びら――桜の花びらを手当たり次第に剣で斬りつける。
一振り、二振りと力を込めて剣を振るうが、いくら斬っても手応えは微塵も感じられず、周囲を舞う桜の数も減ることはなかった。
むしろ時間が経つと共に増えている気さえする。
見た目こそ美しいものの、セラブレイトはこの花びらが何か恐ろしいモノに見えてならない。
「勝負の世界に卑怯もクソも無い。あるのは勝つか負けるかのどちらかだ。無様に吠えるだけじゃなく、せいぜい足掻いてみせろ。早々に決着がつけばこの場が盛り下がってしまうだろう?」
もはやオロチの言動は英雄なんて高尚なものではなく、いっそ完全に魔王と呼ぶに相応しいほどであった。
しかし、会場にいる者たちはそんなオロチに大歓声をあげる。
カリスマ性がある悪役は時に主人公よりも遥かに人気が出るように、この場で敢えてヒールに振る舞うオロチに会場が沸き立ったのだ。
もっとも、セラブレイトを主人公と呼ぶには些か力不足であり、オロチも敢えて悪役に成り切っているのではなく、これは本来の性格に限りなく近い。
ただ、それは今この場ではどうでも良いことである。
「っ!? こ、これはいったい……」
舞台の上に無造作に舞っていた桜の花びらが、急に意思を持ったかのようにセラブレイトの周りを回り始めた。
今まで体験したことのない未知の現象を前に戸惑いの声が自然とこぼれ、思わず一歩後ずさってしまう。
「さぁ、第二ラウンドといこうか。真の英雄殿?」
しかし、どこか自分を小馬鹿にしたようなオロチの言葉に、脳みそが沸騰してしまうような熱い怒りが込み上げてきた。
目の前が憤怒で真っ赤に染まり、セラブレイトから冷静な思考を奪い去る。
「……私を馬鹿にするなぁぁあああ! 武技《聖光滅尽撃》ぃぃ!!」
自身の持つ剣に目一杯の魔力を込め、そしてその剣を力任せに振り下ろす。
目を開けていられないほどの眩い光が周囲を飲み込み、おそらくはセラブレイトが持つ技の中でも最上位クラスの破壊力を持つであろうそれは、自分の周辺を不気味に舞う花びらの全てを吹き飛ばした。
「はぁ……はぁ……どうだ? これぞ私が編み出した最強の奥義だ。所詮は偽物でしかないお前では――」
防ぐことなど出来ない、そう言おうとしたセラブレイトが固まった。
「ほぅ、中々に派手な技だったな。これには観客たちも大喜びみたいだ」
視線の先にいるオロチは、倒すどころかダメージひとつ負っている様子がない。
ようやく姿を見せたのでセラブレイトにとっては千載一遇のチャンスなのだが、自慢の武技を無傷で躱されたことにまるで動揺を隠せていない。
「な、なんで、どうして……?」
「なんで、どうして、その答えは簡単だ。お前の攻撃は俺には当たっていなかったから。むしろ感謝して欲しいもんだぞ? 俺があの攻撃を打ち消していなければ、あのまま観客席にまで届いていたんだからな」
「……打ち消し、た……だと? 私の攻撃を、お前が? う、嘘だ。嘘に決まっている。そんな、そんな……」
うわごとのように同じことを呟き、覚束ない視線をオロチに向けるセラブレイト。
どうやら先ほどの武技には余程の自信があったらしく、それを完璧に攻略されたことでポッキリと心が折れてしまったようだ。
この現実を受け止めきれず、軽く現実逃避に入っている。
そんな様子にオロチはため息を吐いた。
「あーあ、これ以上は俺が弱い者イジメしているように見えるからもう終わらせるぞ。もう少し粘ってくれると思ったんだが……やはりお前は期待外れだったようだ」
オロチは身体に蓄えられている膨大な妖力を集め、ひとつの術を発動しようとしていた。
「安心してくれ、殺しはしない。だが――英雄らしく派手に散れ。《桜花千刃瀑》」
現れたのは、龍。
西洋のドラゴンではなく、東洋に伝わる蛇のような龍であった。
しかしよく見てみれば、その龍の身体は大量の桜によって構成されていることが分かる。
オロチの瞳と同じく血よりも紅い瞳が特徴的だ。
「や、止めろ……私はこの国の英雄なのだ。こんなところで終わって良い男ではないっ。そうだ、お前を私の仲間にしてやる。だから……だから……!」
「無様を晒すな、セラブレイト。真の英雄を自ら名乗ったのなら、最後くらいは潔く諦めろ」
そう言ってオロチは手を振りかざした。
すると主人からの許可を得た忠実な下僕は、敵であるセラブレイトに嬉々として襲い掛かる。
「ま、待て。私は降参――」
その言葉は誰にも届くことなく、無残にも桃色の龍に呑まれてしまった。
セラブレイトは跡形もなく消し飛んだ……ということはなく、身体中が傷だらけになって気を失っているようだ。
そして舞台の上には美しい桜がヒラヒラと舞い踊り、それを背景に悠然と佇むオロチの姿がある。
その光景はひどく幻想的で、まるで物語の一幕のような美しさがあった。
「勝者、オロチ!」
『ウォォォォオオオオオ!!』
オロチの勝利を審判が宣言すると、会場から大きな歓声が飛び交った。
尊敬、畏怖、好意、嫉妬……様々な視線を一身に受け、オロチはその全てを正面から受け止める。
この瞬間こそ、竜王国の新たなる国王が生まれた瞬間であった。