朧げに光る月明かりと頼りないランタンの灯りだけを頼りに、数人の男女が暗闇に包まれた森を進んでいる。
その身のこなしや身につけている装備から全員がかなりの実力者だと一目で分かるのだが、彼らの表情は皆一様に暗いものだった。
少なくとも現状に不満を抱いているのは間違いない。
「……なぁ、俺たちこれからどうするんだ?」
「そんなの決まっているだろうが……! どこか別の国で力をつけて再起を図るんだよ! そしてアイツを、オロチを殺す!」
その男――セラブレイトは憎悪を宿した瞳でそう言い放つ。
かつては竜王国に於いて彼こそが英雄だと持て囃されていたのだが、今やその面影は微塵も感じられないほどにその瞳は濁りきっていた。
もはや今のセラブレイトの姿は犯罪者と言われた方が納得できるかもしれない。
「あの戦いは何かの間違いに決まっている……! でなければ私が負けるはずないのだ。真の英雄たるこの私がっ!」
セラブレイトは圧倒的な強さを見せつけられ、その強さを身を以て体験し、そしてオロチによって心を折られた筈だった。
しかし、彼の肥大したプライドが見事にオロチへの憎悪を再燃させたのである。
必ず復讐してやる、と。
一度は折られた心を復活させたのだから、ある意味では強靭な精神の持ち主と言えるだろう。
もしもこのことがオロチの耳に入れば、彼我の戦力を見極められないただの愚か者だと鼻で笑われるだけではあるが。
ただ、そんなセラブレイトのことを仲間たちが見る目は冷ややかなものである。
特に背中に大剣を背負った青年はセラブレイトに敵意さえ向けていた。
「ハハッ、これが竜王国最強の『クリスタル・ティア』の末路ってか? 俺たちみたいな負け犬にはお似合いだろうさ。こうしてコソコソ夜逃げみたいな真似をするのも、今の俺たちにはこれ以上ないくらいにピッタリだよ」
「……なに? お前、いつから私にそんな口を利けるようになったんだ?」
仲間の言葉に苛立ちを隠そうともせず、セラブレイトは大剣を背負っている青年に語尾を荒げて詰め寄った。
「ちょ、ちょっと! こんなところで喧嘩なんて止めてよ!」
今にも殴り合いを始めてしまいかねない様子に、仲間の一人である魔法使いの格好をした女性は慌てて止めに入る。
しかし、それでもなお青年は込み上がってくる怒りを抑えられなかった。
「あぁん? 本当のことだろうが。俺たちはオロチって小僧に負けた。そしてそれだけじゃなく、結果が気に入らないと駄々をこね、その上完膚無きまでに叩きのめされるっていう恥の上塗りまでやらかしてんだ。負け犬以外の何者でもねぇよ」
「私は負けていない! あれはきっと奴が卑怯な真似をしたからだっ。入念に準備すれば次は勝てる!」
「ハッ、復讐なら勝手にやってろ。俺はここで抜けさせてもらうぜ。これ以上お前と居ても面倒事に巻き込まれるだけだろうからな。そんなのは御免だね。お前らもこんな疫病神といつまでも一緒にいれば、いつか痛い目をみるぞ」
「そうか、お前は尻尾を巻いて逃げ出すのだな?」
セラブレイトの口からそんな言葉が飛び出してきた。
その言葉で火に油が注がれてしまい、怒りがついに頂点に達してしまう。
「ふざけんな! そもそも、お前があの小僧に喧嘩を吹っかけたのが原因だろうが! 俺たちはそれに無理やり付き合わされただけで――」
「はいはーい、取り込み中ごめんねー? ちょっとだけ私に時間をくれるかなー?」
険悪な雰囲気が漂う中、場違いに明るい声がその場に響き渡る。
クリスタル・ティアのメンバーは声が聞こえてきた方を向き、無意識のうちに武器に手を掛けて警戒態勢を取った。
その動作には一切の迷いはなく、やはりアダマンタイト級冒険者としての実力は十分に兼ね備えているらしい。
「……女?」
しかし、そこに居たのは見覚えの無い可憐な少女。
まだ幼さを残した歳若い少女で、危険なモンスターが徘徊しているこんな深い森の中にいるのはひどくミスマッチだった。
この場でニコニコと笑顔を浮かべていることが、より一層そのアンバランスさを高めている。
だが、セラブレイトだけは目の前の少女にどこか既視感を感じていた。
「何処かで会ったことがあるか?」
「フフフ、これを見たら思い出すと思うよ」
そう言ってその少女は懐から仮面を取り出す。
顔をすっぽりと覆い隠し、笑っているに見える不気味な仮面。
一見なんの変哲も無いような仮面だったが、セラブレイトはその仮面を見て瞬時に少女の正体を理解した。
「なっ!? お、お前はアイツの……確かタマとかいう女。オロチの手下が私たちに何の用だ?」
セラブレイトからオロチという名前が出ると、クリスタル・ティアのメンバーはすぐさま警戒レベルを引き上げる。
それこそ、いつでも目の前の少女に攻撃できるように。
セラブレイト以外のメンバーは直接オロチとその仲間に会ったことはない。
だが、あの決闘だけはしっかりと自分の目で見届けている。
同格であるはずのアダマンタイト級冒険者同士の決闘だった筈が、いざ蓋を開けてみればオロチによる一方的な試合展開で幕を閉じたあの戦い。
そんな人物の仲間がただのか弱い少女? 否、あり得ない。
下手をすれば、アダマンタイト級冒険者である自分たちよりも格上の可能性がある危険な相手だろう。
いっそプライドをかなぐり捨てて逃げ出したいとさえ思っていた。
「フフッ、思い出してくれたみたいで何より。でもさ――」
自然体で佇んでいたタマ――クレマンティーヌの身体が急にブレる。
「っ!? な、なんだと……?」
気づけばクレマンティーヌはセラブレイトの腹部にレイピアを突き刺していた。
「テメェごときがご主人様を呼び捨てにしてんじゃねぇよ……!」
それは荒事には慣れている筈のアダマンタイト級冒険者であっても、思わずゾッとしてしまうような底冷えする声だった。
人間が発した声とは思えないほどに身体が竦み、恐怖する。
これならばドラゴンの咆哮を受けた方がまだマシかもしれない。
「フフフ、今は久しぶりに人間を壊したい気分なんだ。だからさ、楽しませてね?」
クレマンティーヌはレイピアをセラブレイトの身体から引き抜き、そこから後ろに飛んで距離を取る。
そして血塗れのレイピアを構え、邪悪な笑みを浮かべていた。
今までクリスタル・ティアが討伐してきたどんなモンスターよりも邪悪で凶悪、凶暴な笑みである。
そんな彼らの未来を暗示しているかのように、分厚い雲が月を覆い隠してしまった。
この日以降、クリスタル・ティアのメンバーである4人の姿を見た者は一人もいない。
もっとも、敗者となった彼らのことなど誰の記憶にも残っていないのだが。