バハルス帝国では、他国と比べてワーカーと呼ばれる者たちの活動が盛んに行われている。
彼らは冒険者組合では受けられない仕事……例えば殺人などの犯罪行為であっても報酬次第では請け負うため、危険は多いがそのぶん実利も多いのだ。
なので問題を起こして冒険者を続けられなくなった荒くれ者や、単純に大金を得たいという者がワーカーとなる。
中には単に冒険者組合が肌に合わず、自ら進んでワーカーとなった者もいるが、世間一般では冒険者のドロップアウト組という認識だ。
故に、基本的にワーカー達は日陰者として扱われている。
そして今、そんなワーカー達が集う場所である『歌う林檎亭』という酒場に、とある冒険者が足を運ぼうとしていた。
「あそこがそのワーカーって奴等が集まっている酒場なのか?」
「そだよー。でも、まだ昼間だからワーカーたちも出払っていないと思うよ? もしワーカーたちに用があるなら、やっぱり夜に行くのが一番だねー。ウザいくらいに大勢いるから」
「今回は場所を確認したかっただけだから、別にワーカーに会えなくても大丈夫だ。でも、折角だから飯でも食って行こうぜ。小腹がすいた」
「わーい、デートだぁ」
そう言ってクレマンティーヌはオロチの腕をギュッと抱きしめ、身体が触れ合う距離まで身を寄せた。
ここまで彼女が大胆に行動できるのは、今はナーベラルが一時的に別行動しているからだ。
そうでなければ、これほど命知らずな真似はできないだろう。
クレマンティーヌは束の間の時間を満喫しているようで、仮面の下では満面の笑みを浮かべている。
オロチにしてみれば犬や猫が戯れ付いてくるくらいにしか感じないので、わざわざ喜んでいるところに水を差す理由もない。
(最近、よく役に立っているしな。これくらいなら別に良いだろう)
そしてオロチとクレマンティーヌの二人は、腕を組んだ状態のまま酒場に入っていく。
中には酒場のマスターが一人いるだけで、ワーカーどころか客は一人もいない。
酒場の中はかなり清潔感があり、どこか落ち着いた雰囲気のある店だった。
ワーカーという荒くれ者たちが根城にしているというから、一体どんな場所なのだろうかと考えていたが、想像よりも遥かに上等な場所のようである。
「何か食える物は出せるか? できれば美味いのが良い」
オロチはカウンターに銀貨を二枚置いてそう言った。
「……酒場の注文とは思えないな。ま、金さえ払うんならいくらでも作ってやるよ。好きなとこに座ってな」
「助かるよ、マスター」
少し無愛想な店のマスターは奥の厨房に消えていく。
すぐに料理を始めた音が聞こえてくるあたり、もしかすると料理を作るのは手慣れているのかもしれない。
すると間もなく、マスターが消えていった奥の厨房から、何やら食欲を掻き立てられるような香りが漂ってきた。
酒場の飯なのでそこまで期待していなかったのだが、その香りを嗅いだ今、オロチの中でどんどんハードルが上がっていく。
(これで不味い料理が出てきたらブチキレる自信がある。ここまで食欲が掻き立てられる香りなんだから、美味くないとか詐欺だろ)
内心でかなり理不尽なことを考え、期待に胸を膨らませるオロチ。
ナザリック以外の料理にここまで期待するのは初めてであり、それだけこの料理に対する期待が大きいことを表している。
食材の質や料理人の腕前は遠く及ばないだろうが、色々と規格外なナザリックと比較するのは酷というものだろう。
「ほら、できたぞ。お望みの料理だ」
厨房から戻ってきたマスターは、オロチとクレマンティーヌの前に料理が盛り付けてある皿を差し出した。
「これは……なんだ?」
「牛型モンスターの肉をメインに使った賄い料理だ。仕込み前だからあまり手の込んだものじゃないが、味は保証するぜ」
自分の料理の腕に絶対の自信があるのか、マスターはニヤリと笑って断言した。
そこまではっきり言い切られると、オロチの中で上がったハードルがさらに跳ね上がる。
これで不味かったら本当」に許せないかもしれない、そんな思いを抱きつつ、オロチはさっそくフォークでその料理を口に運んだ。
噛むごとに広がる肉の旨味、鼻を通り抜けるスパイスの香り、それらを上手く調和させている野菜とソース。
今まで食べてきた料理の中で、一番と言っても差し支えない一品だった。
……もちろんナザリック以外で、だが。
「うん、美味いな。高価なスパイスもいくつか使っているみたいだし、これで賄い料理ならいずれちゃんとした料理が食べてみたくなる」
「そいつは光栄だ。夜に来てくれれば、これとは比べ物にならない最高の料理を食わせてやるよ。もちろん金はもらうがな」
自分の料理をもっと食べたいと言ってきた相手に負の感情を抱くはずもなく、マスターは満更でもなさそうな無骨な笑みを浮かべた。
横にいるクレマンティーヌもこの肉料理を気に入ったのか、仮面を少しずらして黙々と食べている。
ただ、決してマスターからは素顔が見えないように配慮している点は流石と言うべきであった。
「そうだ、マスター。少し聞きたいことがある」
オロチは自然な流れでマスターに話しかけた。
「なんだ?」
「最近とある貴族が遺跡の探索をワーカーに依頼しているという話を聞いた。それについて詳しい話を知っているか?」
そう言ってオロチは金貨数枚をカウンターの上に取り出す。
いきなり金貨を渡されたマスターは一瞬目を見開き、ささっとその金貨を懐にしまい込むと、オロチとクレマンティーヌの姿をよく観察し始めた。
「お前たち、ワーカーって訳じゃなさそうだが一体何者……いや、何でもない。そうだな、俺が知っているのはその依頼主ってのがフェメール伯爵で、莫大な資金をばら撒いて有力なワーカーを集めているらしいってことくらいだ」
「なぜ冒険者には依頼を出してないんだ?」
「その遺跡が他国にあるからだ。流石にどこにあるのかは知らないが、チラッと聞いた限りではリ・エスティーゼ王国らしい。帝国の貴族からの依頼で他国へ侵入するなんて、それこそ問題にしかならないからな。そういう時のためのワーカーって訳だ」
「なるほど……情報感謝する」
オロチは短くそう言うと、料理を食べ終わるまでマスターに話し掛けることは無かった。
その時のオロチが少しだけ不機嫌そうに見えたのは、おそらく見間違いではない。