鬼神と死の支配者93

 ジルクニフは目の前にいる人の皮を被ったナニカから、一瞬たりとも視線を外すことができなかった。
 見た目は幼さを残した少年にしか見えないのだが、こちらを見下すその姿は魔王と言われても納得できるだけの圧倒的な威圧感がある。
 皇帝という立場でさえなければ、今すぐに全てを投げ捨てて逃げ出したい気持ちであった。

 しかし、バハルス帝国の皇帝であるジルクニフにそんな真似ができるはずもない。

「……ま、まずはお互いに自己紹介から始めないだろうか? どうやら双方の認識にはとても大きな相違があるようだ」

「相違、ねぇ。まぁいいだろう。俺の名前はオロチ、最近では『月華の英雄』なんて大層な二つ名が付いている」

「オロチ、殿。ははは……そうか、まさか貴殿が噂の英雄殿とは思わなかったよ。本当に」

 ジルクニフは自分の顔が引き攣っていることを自覚しながらも、何とか不敵な笑みを浮かべようと必死であった。
 普段はいつ如何なる時であっても涼しげな微笑みは絶やさないが、今ばかりはカリスマ溢れる皇帝の面影は微塵も感じられない。

 目の前にいる人の皮を被ったバケモノがビーストマンの国を滅ぼした英雄?
 それは一体何の冗談だ。
 英雄ではなく悪鬼羅刹の間違いではないか。
 これならば素手でモンスターの大群に突っ込めと言われた方がまだマシかもしれない。

「私はバハルス帝国第6代目皇帝、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスだ。出来れば貴殿や、貴殿の主人という方とは仲良くしたいと思っている」

 そう言ってジルクニフは、精一杯の温和な表情を浮かべた。

「俺たちが仲良くできるかどうかは、今後のお前の対応次第だ。良き隣人になれるかもしれないし、この場でお前の首が吹き飛ぶ可能性だってある。ま、俺個人としてはアンタと仲良くやっていきたいと思っているよ」

「はは、そうか。それは光栄だ。ではまず、事の発端であるフェメールについて弁明させてくれないか?」

「ああ、どうぞ」

「感謝する。それでフェメールの件だが――」

 こうして皇帝ジルクニフによる必死の弁明が始まった。

 もしもオロチの機嫌を損ねれば、比喩ではなく文字通り自分の首が飛ぶ。
 下手をすればビーストマンの国をたった一日で滅ぼしたという最悪で災厄な力が、この帝都アーウィンタールに齎されるかもしれないのだ。

 皇帝として日々重責を担ってきたジルクニフであっても、今この瞬間にのし掛かってくるモノは計り知れないほどであった。

 とはいえ、微量の殺気を放っているオロチを前にして尚、それでも皇帝に相応しい態度を取ろうとするところは流石と言えるだろう。
 果たしてこんな真似ができる支配者がこの世界に一体何人いるのか。
 ジルクニフが優れた支配者であることは間違いない。

「ふむ。ではつまり、フェメールが行なっていた墳墓荒らしは奴の独断だと?」

「その通りだ。私がこの件を知っていたのも直接本人から聞いた訳ではなく、私が独自のルートで入手した情報だったからね。もちろん私はすぐに止めるつもりで動いていたとも。しかし、我が帝国の貴族が貴殿らの住まいに押し入ろうとしたことは揺るぎない事実。故に最大限の賠償を約束しよう」

 ジルクニフの話をまとめると、要はトカゲの尻尾切りであった。
 確かにフェメールが行ったことは独断ではあったが、それは半ば皇帝公認とも言える独断なのだ。
 いざ問題となれば容赦なく切り捨てるという暗黙の了解の下、フェメールは動いていた。
 よってジルクニフはあっさりとフェメール伯爵家を見限ったのである。

 オロチの気が少しでも晴れるのならば、フェメール伯爵の親族全てを処刑することさえジルクニフは厭わないだろう。

「よくもまぁ、ツラツラとそんな言葉が出てくるものだ。だが、そちらの誠意は十分に伝わってきた。賠償を払うと言うのなら、俺が責任を持って主人を納得してみせよう。俺とジルクニフ殿は友人だからな」

「はは……それは有り難い。賠償についてはひと月以内に必ず用意するので待って欲しい。貴殿らが納得できるだけの額を約束する」

「それは重畳。では今日のところはこれで帰るとしよう。しばらくは帝国内に留まるつもりなので、用があればいつでも言ってくれ。冒険者ギルドに言付けてくれれば大丈夫だ」

 オロチが踵を返して背中を見せると、ジルクニフは自身の深淵を覗き込まれるような瞳からようやく解放され、ホッと一息ついた。
 だが、すぐに頭の中で計画を組み立て始める。
 それはもちろんオロチとの友好を今後どのようにして深めるか……ではない。

 むしろその逆。
 このバケモノと戦うには一体どれくらいの戦力をかき集めれば良いのか、今はその思考に彼の持つ全てのリソースを使って演算していた。

 帝国最強の騎士である四騎士、第六位階魔法を使える世界最高の魔法使い、それだけの戦力を注ぎ込めば勝てるだろうか?
 いっそオロチを帝国側に寝返らせ、彼の言う主人なる人物と敵対させることも視野に入れなければならないだろう。

 しかし、そんなジルクニフの考えを読んでいるかのように、オロチは唐突に振り返った。

「――ああ、そうだ。ひとつ言い忘れていたことがあった。ジルクニフ殿のところの四騎士とかいう兵士だが、さっきばったり遭遇してな。少し見所がありそうだったから勧誘してみた」

「……へ?」

「では紹介しよう。今日から俺の配下に加わったレイナース・ロックブルズだ」

 そう言ってオロチは扉を開け放った。
 扉の向こうに居たのは、長い金髪を靡かせた絶世の美女。
 ジルクニフ自身も見覚えのあるその騎士は、何を隠そう帝国四騎士のひとりであった。

「レ、レイナースではないか。これは何かの冗談かな?」

「冗談ではありません、陛下。私の忠義は今日からこのオロチ様に捧げようと思っております。ですので、お暇を頂きたく存じます」

「おいおい、早まるんじゃないレイナース。いきなりそんなことを言ってはジルクニフ殿が困ってしまうではないか。心配するなジルクニフ殿。我々は友人だろう? 友人の部下を強引に引き抜いたりはしないさ。どうか安心して欲しい」

 これのどこに安心できる要素があると言うのだ。
 ジルクニフは叫びたい気持ちを何とか押し殺し、目の前で起こっている茶番劇を努めて平常心で受け止める。

 極度のストレスからか、ジルクニフの金色の髪が数本ハラリと宙を舞った。

 

   

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