鬼神と死の支配者97

 薄暗い店の中に入ると、まず最初に少し埃っぽいようなカビくさい臭いがツンと鼻についた。
 そして次に、カウンターの奥にズラッと並んだ大量の酒瓶が目に入る。
 質はパッと見た限りでは分からないが、少なくとも量だけならかなりのものである。
 とても衛生的とは言えない場所なので、それを飲んでみたいとは思えないが。

「こちらです」

 ここまで案内した痩せぎすの男はこの店に手慣れているようで、カウンターに居るマスターとアイコンタクトをしてそそくさと奥の部屋へと歩いていく。
 歩くたびに床がギィギィと軋むことを除けば、汚い居酒屋という感じの店である。

 そして奥の部屋に入ると、まずはオロチに着席を促した。

「ささ、どうぞお座りください。表よりは小綺麗にしてあるので、汚くはないはずでさぁ」

「確かに汚くはないな。……綺麗でもないが」

 オロチは極度の潔癖症というわけではなかったが、それでも近くを薄汚れたネズミが元気に走り去っていく姿を目撃していれば、そんな場所にあまり長居はしたいとは思わないだろう。
 しかし、わざわざ拒絶するほどでもないので大人しく近くの椅子に腰を下ろした。

「とりあえず、あっしのことはポゥと呼んでください」

「じゃあポゥ、さっさと話せ。まどろっこしい前置きは必要ない」

 まるで一秒たりとも此処には長く居たくないと言わんばかりの物言いに、ポゥも思わず苦笑いが溢れる。
 ただ、話が早いのはポゥ自身も助かるようで、そんなオロチの態度を気にした様子もなく話し始めた。

「では早速ですが、オロチ殿には受けて欲しい依頼があるんです。今の帝国でこれを達成できるのは貴方しかいない、そう言い切れるほどに高難易度の依頼がね」

「受けるかどうかは報酬と内容次第だな。それと俺の気分。まぁとにかく、話を聞いてみないことには返答できない」

「もちろん、きちんとお話ししますとも。あっしはとある貴族様に仕えているんですがね、その方がどれだけの報酬を支払っても殺したいと言っている相手が居まして……。まあ要するに、貴方に依頼したいのはある人物の殺害でさぁ」

「殺害、ねぇ。で、その相手は?」

「――ワーカーチーム『天武』のリーダー、エルヤー・ウズルス。かの王国戦士長にも匹敵すると言われている天才剣士で、オリハルコン級の冒険者よりも強いなんて噂もある男です。現に帝国の闘技場では無敗の戦績を誇っていますしね」

 すると、それまで一切興味が無さそうにしていたオロチの眉がピクリと動いた。

 王国戦士長であるガゼフ・ストロノーフに匹敵するのなら、この世界では上位に位置する強者ということになる。
 それに天才剣士と呼ばれるほどの技術には少しばかり興味がそそられた。
 闘技場で無敗の戦績というのも素晴らしい。

 つい先日戦ったセラブレイトは正直期待はずれではあったが、それよりはマシかもしれないという期待が高まってくるというものだ。

「ただ殺すだけなら、それこそいくらでも方法はあるだろう? 何故俺に依頼する?」

「依頼主は観衆の目前でエルヤーの屍を晒せと仰いましてね。つまり、あくまで闘技場の演目として殺害しろというご希望なのですよ。よほどエルヤーに恨みを抱いているのか、無様に殺される姿を多くの人の目につかせたいみたいです。それで純粋に実力で殺すとなると、中々取れる手段も限られてきまして……」

「なるほどね。アンタの主人は、どうやらずいぶんとそのエルヤーって男が憎いらしいな。たださっきも言ったが、受けるかどうかは報酬を聞いてからだ。もっとも、今のところ報酬次第では受けても良いと思ってはいるが」

 オロチがそう言うと、ポゥは相好を崩して笑顔を見せる。

「それは有り難い。では報酬についてですが――八欲王の遺産に興味はありませんか?」

「八欲王だと……?」

 ここでポゥの口から思いもよらぬ名前が飛び出してきた。

 八欲王とは、かつて圧倒的な武力によって世界を支配していた者たちの名だ。
 この世界についての情報を集めていたアインズからの報告で、オロチは八欲王を名乗る者たちのことも聞いている。
 おそらく、彼らがユグドラシルプレイヤーである可能性が高いとも。

 そして、そのユグドラシルプレイヤーの遺産ともなれば、そこいらのアイテムよりも遥かに価値がある。
 むしろ回収しておかなければ、いずれナザリックにその力が向けられるかもしれない。
 それは、危険だ。

「その話……まさかとは思うが嘘では無いだろうな?」

 オロチは威圧を孕んだ視線をポゥに向ける。

「……え、えぇ、もちろん。正真正銘、かつて八欲王と呼ばれた者の内一人が所持していたアイテムです。そういう謳い文句で世に出回っているモノは大抵が偽物ですが、今回お渡しするのは間違いなく本物ですよ」

 怪しい。
 怪しすぎる。
 それがオロチの素直な感想だった。

 しかし、それが本当にユグドラシルプレイヤーが所持していたアイテムという可能性がある以上、みすみす見過ごす訳にはいかないだろう。

 ユグドラシルの課金アイテムの中には、下手をすればオロチであっても殺しきるだけの性能を持つアイテムがあった。
 たかが人間一人を殺すだけでそんな代物が回収できるのであれば、その可能性に賭けてみるのも悪くない。

「具体的にそれはどういうアイテムなんだ? 名称は? 効果は?」

「それが、名称や効果は一切不明なんでさぁ。どれだけ高位の鑑定魔法やアイテムを使っても、その全てが弾かれてしまう。ただ、その事実こそが優れたマジックアイテムであることを物語っている……という話です」

「ならどういう形状をしている?」

「真ん丸の玉でしたよ。大きさは……確かこれくらいだったと思いやす」

 そう言ってポゥは、胸のあたりに手でサッカーボールくらいの大きさの輪を作った。

(ふむ……ユグドラシルのアイテムの可能性は十分にあるな。ちょうど暇を持て余していたところだし、暇つぶしくらいにはなるか。ただ、もしも偽物を渡してきたら、その時は依頼主諸共地獄行きだ)

「もしも気に入らなければ、当然金貨でのお支払いもできやす」

 オロチの考えを読んだ訳ではないだろうが、ポゥはそんな代替案を提示してきた。
 それならばなんの文句も無い。
 もしも望み通りのアイテムでなければ、代わりに金貨を受け取れば良いだけだ。

「わかった、良いだろう。この依頼を受けてやる。もう闘技場で戦う日時は決まっているのか?」

「はい、3日後です。どうぞよろしくお願いしやす」

 こうしてオロチは、3日後にエルヤー・ウズルスなる人物と殺し合うことになった。

 

   

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