オロチの背後から現れたその女は、安堵と怒りが入り混じった表情を浮かべてまっすぐ姉妹の元へと駆け寄った。
そして、有無を言わせずに姉妹を力一杯抱きしめる。
「お、お姉様……少し痛いです」
「クーデリカの言う通り、私も痛い」
「もうっ! どれだけ私が心配したと思っているの!? 勝手に家を抜け出して、しかもこんな危ないところにクーデとウレイだけで来るなんて……! 本当に、心配したんだから……!」
彼女の目尻には薄っすらと涙が浮かんでいて、声も微かに震えていた。
表面上だけではなく、本気で姉妹のことを思っているというのが伝わってくる。
ここまで自分以外の誰かを大切にできる人間というのも珍しい。
少なくともオロチは、この世界に転移してからはカルネ村のエモット姉妹以外に見たことが無かった。
(この女はたぶん双子の姉だろうし、この世界の姉妹は絆が深いって法則でもあんのか?)
この場に於いてオロチは完全な部外者となってしまっているが、この雰囲気を壊せるほど無神経な男ではない。
かなり居心地は悪いが、感動的な映画を観ている気分でしばらくは空気に徹して見守ることにした。
鬼とは言えど、オロチはその程度の配慮はする理解ある鬼なのである。
そうして三人が抱き合っているのをぼんやりと眺めながらしばらくすると、今度は双子の方が口を開く。
「……ごめんなさい、お姉様。ウレイリカと話し合って、私たちにも何かお姉様のお手伝いを出来ないかって。それで私が街に出てみようって言ったの」
「クーデリカは悪くないよ。私が道に迷ったからこんなところまで来ちゃったの……。でも、このお兄さんに助けてもらったから大丈夫だったよ! まるでお姉様に読んでもらった絵本の正義の味方みたいだった!」
ウレイリカがオロチは指差し、満面の笑みを浮かべてそう告げる。
すると、今まではオロチのことが視界にも入っていなかったのか、一瞬だけ目を見開いてから姉妹とそっくりな女は深々と頭を下げた。
「ありがとう。貴方のおかげでこうして無事にこの子たちを抱き締められた。貴方がこの子たちを助けてくれなければ、二度と会えなかったかもしれない。何かお礼をしないと……」
「いや、別に礼なんていらな……あー、そうだな。それならひとつだけお願いがあるんだ」
「私にできることであれば何でも言ってくれ」
「実は――」
オロチは双子から金貨300枚を欲しいと言われたことを話した。
それを話し終わると、女は申し訳なさそうな顔をしてオロチに再度頭を下げる。
「申し訳ない。何分世間知らずな子供なの。子供が言った戯事だと思って許してやって欲しい」
姉の方は流石にまとまな常識があるようで、そんな謝罪が返ってきた。
しかし、オロチが求めているのは謝罪ではない。
「それは別に良いんだ。それで、ここからが本題なんだが……金に困っているんだろう? だったらアンタの金策を手伝わせてくれないか?」
「……え? ま、待って欲しい。何故そうなる? それではまったくお礼になっていないし、それどころか、さらに貴方に迷惑をかけることになってしまうし。そもそも、今日会ったばかりの人に頼むようなことでは――」
次々と出てくる否定的な言葉を、オロチが手で制して止める。
「俺はこの双子に助けてやるって言っちまったんだよ。だから途中で投げ出すつもりはない。ま、流石に金貨300枚を強請られるとは思わなかったがな」
正直に言えば、助けてやるなどと軽々しく言ったことを少しだけ後悔している。
これではもはや面倒事を通り越して厄介事だ。
オロチが望んでいたのはあくまでも暇つぶしであって、こんなかなりの手間暇が掛かるであろう問題は求めていなかった。
もしも数分前に戻れるのなら、オロチは双子を助けていないかもしれない。
だがそれでも、一度言ったことを反故にするつもりはなかった。
「まぁ話だけでも聞いてくれ。アンタにやってもらうことは簡単だ。3日後に俺は闘技場のとある試合に参加する予定でな。その試合に金を賭ければ良いだけだ。もちろん、出会ったばかりの俺を信用できないというのは分かる。だから――元手は俺が出そう」
そう言ってオロチはストレージから布の袋を取り出した。
「それは?」
「ここに金貨50枚入っている。これを全額俺に賭ければ大金が稼げる。もしも俺が負けたところでアンタは何も損はしないし、俺が勝ったら金貨50枚だけ返してくれればいい。分かりやすくて実に良い話だろう?」
「……何故そこまでしてくれるの? こんなことを恩人には言いたくないけど、騙そうとしていると言われた方がしっくりくる」
女は若干警戒するような視線をオロチに向ける。
たしかに、こんな話に飛びつくのは馬鹿だけだ。
取引というのは両者に利があって初めて成立するものであって、一方だけが得をする取引など、端から相手を騙そうとしている以外に考えられない。
「簡単に言えば――暇つぶしだ」
「え?」
そんなまさかの答えに、姉妹の姉は戸惑いの声を上げた。
「お前たちのことは何も知らないし、正直あんまり興味もない。そして、俺は同情しているわけでも憐れに思っているわけでもない。ただ、助けると言ったからには助けてやる。さっきその子が言ったように、期間限定の正義の味方って奴だ」
オロチがそう言うと、双子の方は『正義の味方ー!』と目を輝かせ、姉の方はポカンと口を開けて間抜けな顔を晒した。
顔がそっくりな分、ひどく対象的に見える。
「はは……暇つぶしでそんな大金をポンと渡してしまうなんて、ずいぶん変わった人なんだね。でも、ありがとう。何故かは分からないけど、貴方は信用できる気がする」
今の言葉のどこに信用できる要素があったのかは、おそらく彼女自身にしか分からないだろう。
だが、彼女がオロチの言動に誠実さを見出したのは確かだった。
取引自体、自分が得をする以外におかしな点が無かったことも、オロチを信用できると判断したポイントだ。
「そういえば自己紹介がまだだった。私の名前はアルシェ、アルシェ・イーブ・リイル・フルト。普段はワーカーとして仕事を請け負っている。それからこの子たちがクーデリカとウレイリカで、私の大切な妹」
そう言ってアルシェはクーデリカとウレイリカの頭を優しく撫でた。
双子も嫌がることなく、それに身を任せて嬉しそうにしている。
「俺はオロチだ。こっちの子狐がコンスケ、よろしくな」
「きゅい!」