鬼神と死の支配者103

「まぁ、俺のことは別に良いんだよ。それよりも……おい双子。ちょっと席外せ。そうだな、向こうでコンスケと遊んできてくれ」

 微妙な空気になってしまった場を変えるため、オロチはそう言って双子をこの場から離れさせようとする。
 純粋に自分を心配しているアルシェを無碍にすることもできず、このままずるずると自分の心配をされても居心地が悪い。
 故に、多少強引にでも話の流れを変えたかったのだ。

「私たちは双子だけど双子じゃないよ? ねっ、ウレイリカ」

「そうだねクーデリカ。私たちにはちゃんと名前があるもんね」

 しかし、そんな双子の言動に、オロチはピキッと青筋を立てる。

 本気で頭にくるほどでは無いが、頭を軽く小突いてやろうかと思う程度にはイラっとした。
 然程信頼関係が築けていない相手からの無邪気な言葉は、時に苛立ちを生むことがあるのである。

 もちろん、その程度で怒りを爆発させるような無様な真似はしないが、もしも同じようなことをいい歳をした大人がやっていれば、ぶん殴って物理的に黙らせていたかもしれない。

 怒りを抑え込み、双子――クーデリカとウレイリカに対し、努めて笑顔を浮かべた。

「……あー、わかったわかった。クーデリカとウレイリカ、ちょっと向こうで遊んで来い。相手を頼んだぞ、コンスケ」

「きゅい!」

 コンスケは『任せて!』と肩から飛び降り、クーデリカの頭の上に華麗な着地を決める。

 頭に着地されたクーデリカも、その隣にいるウレイリカもコンスケのサービスに大喜びだ。
 きゃっきゃきゃっきゃと騒ぎながら、双子とコンスケはオロチたちの会話が聞こえない所まで離れていく。
 それを確認したオロチが、早速口火を切った。

「それで、お前はこれからどうするつもりだ?」

「どうする、とは……?」

「貴族という過去の身分に縋り付こうとする父親」

「っ!」

 オロチが簡潔にそう伝えると、それだけでアルシェには何が言いたいかが伝わったらしく、ビクッと身体を震わせた。

「俺を心配する暇があるなら、それよりも自分たちの心配をした方が良いんじゃないか? ジャイムスって執事の話じゃ、お前の親は貴族に戻ることを諦めていないのだろう? このまま行けばお前だけじゃなく、あの双子にも碌な未来は待っていないだろうさ。それはいくら大金を稼ごうとも一緒だ。お前の両親が心を入れ替えない限り、お前ら姉妹が幸せに暮らせる未来は永遠に来ない」

 そう断言されたアルシェは、項垂れるように俯いてしまった。

 オロチの言う通り、このままでは彼女たち姉妹が悲惨な運命を辿ることは想像に容易い。
 言ってしまえばこの家は沈むことが確定している泥舟である。
 見た目だけは何とか取り繕って立派な見た目をしているが、いずれ間違いなく沈むであろう張りぼての船。
 一刻も早く離れなければ、その盛大な沈没の被害者となってしまう。

(ま、生きるだけなら問題ないだろうな。姉妹揃ってそこそこ整っている顔立ちをしているし)

 ナザリックの美女、美少女たちによって肥えているオロチの目から見ても、アルシェや双子の容姿は優れており、平民ではとても出せない貴族特有の気品も感じられる。
 その気になれば、貴族の愛人にでも妾にでも何にでもなれるだろう。
 上手く立ち回れば生きていくことはそれほど難しくはない。

 もっとも、それがどのような生活になるかはお察しではあるが。

「……私だって、そんなことは分かっている。けど! けど、私たちにとってはあれでも父親なの。ここまで育ててもらった恩もあるし、そう簡単に割り切れるものじゃない。なにより、それではあの子たちから親を奪うことになってしまう。それは――」

「親なんて居なくても子は育つさ。それに、あの双子が求めているものは本当に親か? 俺には……いや、やっぱりなんでもない」

 重苦しい沈黙が二人の間を支配する。
 唯一の救いなのは、クーデリカとウレイリカがコンスケと楽しそうに遊んでいる声が聞こえてくることだった。

 そしてこの沈黙を破ったのは、オロチの方だ。

「紅茶も無くなったし、今日はこの辺で帰る。自分たちにとって何が一番重要なのか、あの二人とちゃんと話し合っておくんだな」

「……わかった。クーデとクレイにもちゃんと相談して、自分たちがどうするべきなのか決める。今日はありがとう」

 オロチは席を立ち、コンスケを呼び寄せてから颯爽と部屋から出て行った。
 本来ならば門まで見送るのが礼儀だというのに、アルシェは咄嗟に立ち上がれないほど気疲れしていたようだ。

 オロチとコンスケをその場から見送ったアルシェはふと、自分のポケットに入っている香水の存在を思い出す。
 それを取り出し、ぼんやりと眺め始めた。

 まだ封も切っていない新品であり、これひとつで金貨数枚ほどの価値はあるだろうかと、ついついそんなことを考えてしまう。
 かつての貴族令嬢だった頃ならともかく、今のワーカーという仕事をしている自分にはひどく不釣り合いな高価な代物だ。

 もちろん、これは自分で買った物ではない。
 こんな物を買う金があれば、アルシェは両親の借金の返済、もしくは妹たちの為に貯金するからだ。
 ではどこで手に入れたかと言うと、この香水は今朝に母親から受け取ったものである。

 当然、その金も借金して手に入れたものだ。
 しかし、父の無駄な散財と比べればまだ使い道がある分、アルシェには母を強く責められなかった。
 というよりも、昔の母との思い出が頭をよぎってしまうのだ。

「…………はぁ」

 思わずため息がこぼれた。
 今の現状にも、自分の覚悟の無さも、全てが嫌になる。
 オロチが言ったことは全て正しい。
 むしろ、正しすぎて精神的に大ダメージを被っているくらいだった。

 鬱屈した気分を変えるように、少し勿体ない気もするが、その香水の封を切って軽く自分に振りかける。
 花の爽やかな良い香りがフワリと広がり、かつて刃物さえ握ったことのなかった箱入り娘だった頃に戻った気分だった。

 しかし、現実はそうもいかない。
 姉である自分が妹たちを守らなければ、何の力も無いあの子たちは潰れてしまう。
 自分は無力な少女ではいられないのだ。
 強く、強くあらねば……。

 そしてあっという間に二日が経ち、気づけば試合当日の日になっていた。

 

   

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