鬼神と死の支配者104

 狂気さえ入り混じるほどに熱狂し、眼下の選手たちの一挙一動に雄たけびを上げる観客たち。
 やはりどの国でも死闘を間近で観られる闘技が人気なのは変わらないらしい。
 ただ、竜王国の会場と比較してみると、バハルス帝国にあるこちらの会場の方が大きい上に観客たちの熱量も上だと感じる。

 それもそのはずだ。
 バハルス帝国では闘技場で行われる試合は一種の興行として扱われており、賭けも公に行われ、たった1日で莫大な金額が動くのである。
 歴史も古く、帝国民の間では代え難い娯楽として多くの人に親しまれていた。

 それだけにこれだけの熱量にも納得ができるというものだった。

 そして皇族専用の貴賓室にて、バハルス帝国皇帝ジルクニフも固唾を飲んで試合の開始を今か今かと待ちわびている。
 そして彼は、普段まったく信仰していない神に、今だけは心の底から祈りを捧げていた。

(頼む……! どうか、どうかあの男を葬り去ってくれ!)

 ジルクニフの視線に先にいるのは、少年。
 それも頭に絶世のという言葉が付くような、並みの女よりもずっと美しい小年だった。
 とてもじゃないが血と汗と怒号が飛び交うこの場には似つかわしくなく、彼がいる空間だけが別世界のように感じる。

 その上、その少年がいる場所は闘技場の中でも最も彼に相応しくないであろう出場選手の待機場所だ。
 それはつまり、彼が次の試合の出場選手ということであり、この血生臭い見世物に参加する剣闘士であることに他ならない。

 しかし、ジルクニフは知っている。
 あの美しい仮面の下にあるものは、自分でさえ測ることのできない深い深い闇だということを。
 巷では蛮族に滅ぼされそうになっていた国を単独で救った英雄だと持て囃されているが、ジルクニフから言わせれば人の皮を被った悪魔でしかない。

 いや、悪魔どころかあの者こそが魔王だと言われても納得してしまうだろう。
 オロチとジルクニフが実際に会ったのは一度だけだが、その一度だけでそれほどまでに強烈な印象を受けていた。
 下手すればバハルス帝国始まって以来の窮地に陥っているのかもしれない。
 そんな考えが脳裏を過ってしまうほどに、ジルクニフはオロチを恐れているのだ。

(誰でもいい! あの男を……オロチを殺してくれ……!)

 表面上は眉さえピクリとも動かさず、内心では嵐のような激情を抱えながらそう願うジルクニフ。

 とはいえ彼も本気でその少年――オロチがこんなところで簡単に死ぬとは思っていない。
 もちろん死んでくれれば……というような淡い期待は抱いているのだが、ジルクニフは現実主義者だ。
 ほぼ訪れないであろう理想に縋るほど、楽観視できる性格ではなかった。

 だがそれでも、オロチが討ち倒されることを期待せずにはいられない。
 矛盾した考えだということを理解しつつも、そんな幻想に期待してしまう弱い心が生まれつつあるのだ。

『ご会場の皆様、大変お待たせしました! 本日のメーンイベント、エルヤー・ウズルスVS月華の英雄オロチの試合をまもなく開始致します!』

 そんなアナウンスが聞こえてくると、会場が一斉に沸き立った。
 どうやら観客たちの一番の目当ては次の試合のようで、ジルクニフも同じくこの試合に一番注目しているのは言うまでもない。

『最終的なオッズは……なんとエルヤー選手が10倍、オロチ選手が6.5倍です! 稀に見る高レートの試合となりました!」

 そして、当然のように賭けも行われている。
 本来ならばもう少しオロチの倍率は低くなるはずだったのだが、熱心にエルヤーを応援するとある金持ちによって大幅にレートが上がった結果、今の倍率に落ち着いたのだった。

(これだけの金額をお前に賭けたのだから、せめて腕の一本でも切り飛ばせ! できないのなら潔くさっさと死ね!)

 そのとある金持ちというのは、どうやらエルヤーのファンではなくオロチに個人的な恨みがあるようだった。
 様々な思惑が入り混じった試合が、ついに始まる。

 

 ◆◆◆

 

 交錯する剣戟。
 刀と刀がぶつかり合い、甲高い音と火花が飛び散った。
 一方が相手に斬りかかれば、もう一方がそれを防ぐか躱して反撃する。
 まさに一進一退の攻防を演じており、お互いの実力は完全に拮抗している……とほとんどの観客たちは思っているだろう。

 しかし、実際には拮抗などしていない。

「あー、つまんね」

「よそ見を、するな!」

「そんなことを言ってもな……お前が弱いんだからしょうがないだろ?」

「――殺す!」

 殺意を漲らせた視線で対戦相手のオロチを睨みつけるエルヤー。
 素人目には高度な次元で刀を打ち合っているように見える二人だが、それはオロチがそう見えるように仕向けているからだ。

 かつて彼がここまで虚仮にされたことがあっただろうか。
 ワーカーとしても剣士としても名声を欲しいままにし、地位も名誉も女も好きなだけ手に入れてきた彼には経験が無いことだった。

 故に冷静さを欠いてしまう。
 エルヤーはオロチから見れば取るに足らない剣士だが、世間では十分に才気あふれる天才剣士だ。
 彼我の実力差を計ることくらいはできる。

 いや……実際にできているのだろう。
 その上で、自分ならばそれをさらに上回ることができると根拠のない自信を持っていたのだった。

(この前竜王国で戦った奴とあんまり変わらないし、刀を使うって言うから期待していたんだがな。蓋を開けてみれば、身体能力で刀を振るっているだけの無能だった。正直がっかりだ)

 もしもオロチが先日、竜王国でセラブレイトと戦っていなければ、もう少し真面目にエルヤーとの試合に臨んでいたかもしれない。
 しかし、それは既に後の祭りである。

 エルヤーが次々と武技を発動させ、身体能力を向上させていく。
 その武技の中には今までオロチが知らないものもあったが、だからといって興味が出てくるという訳でもなかった。

(そろそろ……いいか)

 試合開始から数分が経過した頃、ようやくオロチが動き始めた。
 受領した依頼を遂行するために。

 

   

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