エルヤーをこの場で殺害するというのが今回の目的だ。
彼がどういう人間なのかには興味がない。
聖人君子のような善人であっても、はたまた悪逆非道の悪人であっても、そんなものは人間ですらないオロチにはどうでもいいことであった。
大事なのはエルヤーを殺せばユグドラシルプレイヤーが遺したアイテムを受け取れる、ただそれだけなのだから。
そしてこの場で合法的に殺すためには、彼が降参するよりも早く、確実に息の根を止めていなければならない。
下手に追い詰め、命惜しさに降参してしまえば依頼失敗となる。
そうなればポゥが提示した報酬が受け取れず、色々と面倒なことになってしまう。
それは絶対に避けねばならない。
となると、エルヤーがこちらの実力に気がつく前に片を付けなければならなかった。
つまりは一撃で殺す、ということだ。
オロチはエルヤーを見下すように見据える。
この程度の相手にスキルなど不要だ。
小難しい小手先の技を使わなくとも、相手が知覚できない速度で刀を振るい、首を刎ねてしまえばいいだけ。
これは油断ではなく、余裕。
もしかすると蘇生ができるかもしれないが、そこまでは契約に入っていないのでどうでもいい。
エルヤーが蘇生されようともそのまま朽ち果てようとも、それはオロチの知るところではないのだから。
そしてお遊びはここまで、とオロチが纏う空気が一変した。
「……っ!?」
ここに来てようやくオロチの実力の片鱗を感じ取ったのか、エルヤーは息を飲んで後ずさってしまう。
いくら頭に血が上っていても、身体に染み付いた戦士としての生存本能はきちんと機能しているらしい。
だが、既に手遅れである。
もしも今エルヤーが降参を宣言しようとも、それよりも先にオロチの刃が彼の身体を切り裂くのは確実だ。
どんな手段を取ろうが、もはやエルヤーが生き残る道は断たれていた。
今更オロチの実力に気付いても未来は変えられない。
そして――首が宙を舞った。
「はぇ?」
次の瞬間にはエルヤーの視界がグルグルと反転する。
オロチの達人を超えた一閃が、エルヤーの首を見事に刎ね飛ばしたのだ。
彼が最期に見たものは雲ひとつ無い快晴の青空。
それは決して上等な死に様ではなかったが、殺された者にしては苦痛なく逝けた分、マシな死に方だったのかもしれない。
もちろん、本人からすれば殺されるなど堪ったものではないだろうが。
会場が異様な静けさに包まれる中、ポトっと首が地面に落ちる。
その首はずいぶんと間の抜けた表情を浮かべており、自分が死んでいることなど理解していないように思えた。
その後、思い出したように頭の無い首から血が大量に吹き出し、エルヤーの胴体はゆっくりと膝から崩れていく。
おそらく彼には、最後まで何が起こったのかさえ分からなかっただろう。
それほど一瞬の出来事だった。
そしてそれは周囲から観戦していた観客たちも同様で、オロチが何かしたというのは分かっていても、具体的に何をしたのかは戦いの素人である観客には分かるはずもない。
こうしてエルヤー・ウズルスという剣士はその短い生涯を終えたのである。
しかし、彼の死を悲しむ者は驚くほどに少ない。
剣士としての腕前はともかく、その人格はお世辞にも良好とは言えなかった。
その為、エルヤーの死を嘆くのは彼の勝利に金を賭けていた博徒くらいのものである。
惜しみない歓声が周囲から巻き起こるが、相手が弱すぎてオロチの感情が昂ぶることはなかった。
せめてもう少しエルヤーが強ければ、オロチもこの状況を素直に楽しめたかもしれない。
「見世物になるのも飽きたな。さっさと帰って、ポゥの奴から報酬をぶんどってやろう」
既に対戦相手のことなどオロチの頭の中には無くなっている。
歓声が上がる会場に振り返ることなく、オロチはそのままその場を後にした。
ただ、オロチを称える観客たちの声はしばらく鳴り止まなかったのだった。
◆◆◆
「……なんなの、あれは」
そんなアルシェの驚愕を孕んだ呟きは、周囲から上がっている歓声によって完全にかき消された。
後衛の魔術師である彼女には、オロチの実力を正確に推し量るほどの鑑定眼は持ち合わせていなかったが、だがそれでも、アルシェはワーカーとしてそれなりの地位までのし上ったマジックキャスターだ。
オロチが桁違いな強さを持っていることは先ほどの一戦で十分に理解できる。
その上で、アルシェにはオロチという人物が尚更わからなくなった。
(終始圧倒的だったじゃない。それに彼が、オロチ殿があの『月華の英雄』? そんなことは一言も言っていなかったじゃないの!)
アルシェはオロチが噂に聞く英雄だとは思いもよらなかった。
初めて会った時にも、その翌日にも自分が月華の英雄であるとは一言も言っていなかったし、もしも言ってくれていればここまでオロチを心配することもなかっただろう。
だがどうだ?
自分の心配をよそに、オロチはエルヤーを相手に勝利した。
それもただ勝利しただけではなく、闘技場で無敗を誇っていた彼を文字通り完封してみせたのだ。
オロチのことを少し戦闘が得意な戦士だと思っていたアルシェには驚きの連続である。
「……何はともあれ、まずは彼に礼を言わないと」
アルシェは金貨の代わりに受け取った、賭け金を証明する木版をギュッと抱きしめる。
過程はどうであれ、アルシェはオロチのおかげで大金を稼ぐことができた。
彼から預かった金貨50枚に加えて、家から出るための資金としてのコツコツ貯めていた金を今回の賭けにベッドしていたのである。
彼女からすれば今後の生活を左右するかなりの博打だったが、それでもオロチに賭けてみることにしたのだ。
その結果、高レートの試合だったこともあり、目標の金貨300枚を優に超えるだけの額を手にすることができた。
今のアルシェは間違いなくバハルス帝国一のラッキーガールだろう。
そしてそれだけの資金があれば、実家で雇っている使用人たちに支度金としてそれなりの額を渡せるし、姉妹3人がしばらく暮らしていくだけの資金としては十分だ。
(いやいや、でもやっぱりオロチ殿の取り分が元の金貨50枚だけというのもおかしい話。今回私は何もしてないのだし、分け前についてはしっかりと話し合わなければいけないな……)
アルシェの頭には妹たちとの幸せな生活が既にチラつき始めているのだった。