闘技場内に用意されている選手の控え室、そこには戦いという名の一方的な見世物を終えたオロチの姿があった。
対戦相手が刀を使うという話を聞き、少しだけ期待していた部分もあっただけに、先ほどの試合はまったくと言っていいほど不完全燃焼である。
今後、彼の口からエルヤーという名前が出てくることは無いだろう。
もはや自分の手で殺めたその剣士の名は、オロチの頭からごっそりと抜け落ちていた。
半ばこの世界の強者に対する期待はするだけ無駄、そんな感情さえ生まれつつあるほどだ。
そしてそんなオロチだったが、今は腕を組んで目を閉じ、壁を背にしてジッと何かを待っているかのように佇んでいた。
遠くから会場の歓声が微かに聞こえてくるが、この部屋の中だけは異様な静寂に包まれている。
突如、その空間に黒い靄が何処からともなく湧き始めた。
靄が徐々に人の形を象っていき、怪しげなフードを被った男が姿を現す。
オロチの前に姿を見せたその男は、淀みない動作で主人に対して跪く。
「オロチ様、ご命令通り任務は完了いたしました」
目をゆっくりと開き、オロチの紅い瞳がフードの男を捉えた。
「ああ、ご苦労さん。急に仕事を頼んで悪かったな。それで、どれくらい集まったんだ?」
「手元には今、金貨1300枚ほど御座います。私益だけ計算しますと、プラス1100枚ということになります」
「ほぅ、中々集まったな。精々これの半分くらいだと思っていたが、俺の想定以上にこの街には金持ちが多くいたらしい」
オロチはフードの男の報告に満足げな表情を浮かべた。
実は今回、オロチは配下に命じてとある金策を企てていたのである。
それは配下に自分の勝利にベットさせる……だけではない。
簡単に言えばそれが全てではあるのだが、それではあまりに芸がなさ過ぎるとオロチが一計を案じたのだ。
「お見事に御座います。オロチ様は天下無双の豪傑ではありますが、まさかアインズ様にも勝るとも劣らないほどの知謀まで兼ね備えれておられるとは……。このカシンコジ、自分の無知に深く恥じ入るばかりで御座います」
そして、このフードの男こそが今回の要である『カシンコジ』というナザリックの配下だ。
彼は幻術系の魔術を得意としている人型のモンスターで、見た目は魔術師というよりも和風な妖術師といった風貌である。
そのためか、口調もどこか古風な喋り方だ。
「よせよせ、所詮は凡人の思い付きだ。それを実現できたのはお前の力だし、子供でも思いつくような簡単なものだ。策とも言えんさ、こんなもの」
オロチが用意した策とは、カシンコジの能力を使って興奮作用のある催眠を観客にかけることであった。
それも見た目が裕福そうな者に限って、だ。
するとどうなるか。
正常な判断力が失われた金を持て余している者たちは、こぞって大穴であるエルヤーに大金をつぎ込むというわけだ。
そうすることで不自然には見えない倍率操作が可能であった。
約1名ほど、身につけていた護身用のアイテムによってカシンコジによる催眠を弾いたにもかかわらず、エルヤーにベッドした物好きもいたが、それを除けば暗示をかけられた全ての貴族なり商人はすんなり催眠にかかった。
その結果がエルヤーが10倍、オロチが6.5倍というオッズのカラクリである。
「この金貨1100枚という結果が全てを物語っておりまする。いくら考え抜かれた緻密な策であれ、結果が伴って来なければ全てが無用な愚策。その点、オロチ様はこの短時間で大量の資金を獲得なされた。十二分にオロチ様は優れた策士であらせられると愚考します」
「そう褒められるとむず痒いな……まぁいい。ここにある金貨は全てアインズさんに渡しておいてくれ。これだけあれば、しばらくは金に頭を悩ませる必要はないだろう」
「はっ、かしこまりました」
そう言って立ち去ろうとするカシンコジをオロチが引き止める。
「待て待て、これをお前にやろう。今回の仕事の褒美だ。受け取ってくれ」
「な、なんと! 私のような者にオロチ様から直接、このような貴重な物を……! 有り難き幸せ!」
恭しくカシンコジがオロチから受け取ったのは短刀だ。
ユグドラシル産の装備品であるその短刀は、現在カシンコジが装備している物よりも数段上の性能を秘めている。
ただ、オロチが所持している装備品の中での評価は下の下。
何か特別な効果があるわけでもなく、特に思い入れがあるというわけでもない三流装備だ。
長所を何か挙げるとするならば、頑丈で斬れ味がそこそこであるという点だろうか。
もちろん、ユグドラシルでトップクラスだったオロチから見て三流装備というだけであり、この世界ではそれこそ破格の性能を秘めた魔剣クラスの装備である。
「気にするな。これからもナザリックのために励んでくれ」
「ははっ」
それにどうせストレージの肥やしになっていた装備だから、とは口には出さなかった。
ストレージの肥やしになっていたのは事実だが、わざわざ配下のやる気を削ぐようなことを言う意味はない。
配下に対してならば、それくらいの思いやりは当たり前である。
「では、私はこれにて失礼いたします」
「おう。アインズさんによろしくな」
カシンコジは一礼して、現れた時と同様に身体が靄のように消えていく。
そしてそれからそう間を置くことなく、控え室のドアがコンコンとノックされた。
「誰だ?」
あまりのタイミングの良さに、オロチの声にも多少力が入る。
(カシンコジとの会話を聞かれたか? ……いや、別に聞かれていても問題はないか)
オロチは先ほどのカシンコジとの会話を聞かれたかと一瞬警戒したが、すぐに会話を思い出して特に問題は無かったと判断した。
「アルシェ、アルシェ・イーブ・リイル・フルト。入ってもいいかな?」
「なんだお前か、入っていいぞ」
恐る恐るといった様子で部屋に入ってくるアルシェは、パンパンに何かが詰まっている麻袋を後生大事そうに抱きかかえていた。