鬼神と死の支配者107

「試合の後で疲れているところを突然すまない。それで、その……賭けの金貨について話がある。だから少しだけ時間が欲しい」

「ああ。見ての通り全く疲れてはいないから気にするな。とりあえず適当に座ってくれ。とはいえ、何ももてなすことはできないけどな」

 言葉通り疲労している様子がまるでないオロチに、アルシェの口から思わず苦笑が漏れる。

 試合開始直後はお互いに斬り合い、拮抗しているようにも見えたのだが、やはりあれは演出だったのだと悟ったのだ。
 オロチにとってあの程度の相手は、文字通り片手間で倒せるレベルだったのだろう。

 そして同時に、今までオロチの見た目に騙され、彼の正確な実力を見抜けなかった自身の未熟さを恥じた。

「はは……あの男を相手にしてそんなことを言えるのは、オロチ殿くらいだと思う。では少しお邪魔させてもらう」

 アルシェはそう言って、部屋の中に設置されているソファーに腰掛けた。

(そういえば、この部屋って闘技場にしては中々豪華だよな。ポゥが手を回してくれたのかもしれん)

 オロチの控え室として用意されたこの部屋は、それこそ高級宿と何ら遜色ない装飾が施されている。
 壁紙や家具、それにフローリングもかなり品の良い物が揃えられていた。
 当然、他の選手の控え室はここまでの部屋が用意されている訳ではなく、まとめて無骨な一室に押し込まれているというのも珍しくはない。

 それはオロチの想像通り、かなりの高待遇で迎えられているのは裏で仲介役であるポゥが根回しした結果だ。
 この依頼の報酬を受け取ればもう会うことも無いだろうが、オロチはポゥの気配りに対して少しだけ評価を上げた。

 そして今まで立ったままだったオロチも、アルシェと対面するところに腰を下ろし、彼女に話しかける。

「そっちからわざわざ来なくても、そのうち俺の方から訪ねるつもりだったんだがな」

「アダマンタイト級冒険者殿にご足労してもらうわけにはいかないよ。それに、こういうのは早い内に片付けておきたい」

 その言葉の中には、暗にアダマンタイト級冒険者であることを黙っていたオロチに対する非難が込められていた。

 オロチとしてはわざと黙っていた訳ではなく、聞かれなかったから答えていなかっただけなので、そんな非難には全く動じなかったが。

「そうか。まぁ、手間が省けて俺は助かるから良いさ。それで……その手にある袋を見る限り、ちゃんと俺に賭けたんだよな?」

 アルシェが大事そうに抱えている袋にはそこそこの大きさがあった。
 明らかにオロチが渡した金貨50枚の時よりも膨らみがあり、それを見て予定通りに荒稼ぎ出来たのだと判断する。

「勿論。でも、まずは礼を言わせて。これで妹たちと一緒に暮らせる、ありがとう」

「よせよせ、お前たちに手を貸そうと思ったのは、気まぐれと暇潰しが重なっただけだ。そんなに改まって感謝を言う必要はない」

「フフ、そう言うんじゃないかと思ってた。クーデとウレイ達じゃないけど、私にも本当に貴方が正義の味方に見えてくる」

 オロチはそれに対して反論しようとしたが、やめた。
 今の彼女には何を言ったとしても、それが良いように捉えられてしまうと思ったのだ。
 このまま押し問答を続けても意味はなく、平行線をゆくだけだろう。

 それに、わざわざムキになって否定するほどでもない。
 良い人を演じるのは面倒だが、良い人だと勘違いされるのに損などないのだから。

 そうオロチが考えていると、アルシェの表情が急に引き締まったものへと変化する。
 そして、手に持っていた麻袋をテーブルの上にそっと置いた。

「今回の賭け試合、私が獲得した金貨の枚数は全部で500枚を越えている」

「へぇ、追加で自分の金をベッドしたのか?」

 オロチにはアルシェがギャンブルをするような人物には見えなかったので、追加で自分の金を賭けるというのは少し意外だった。

「うん、その通り。オロチ殿から受け取った50枚に加えて、私のなけなしの貯金を崩した。オロチ殿になら賭ける価値があると思ったから」

「それは光栄だな」

「今思えば、もっとかき集めれば良かったと後悔しているくらいだよ。それで……どうかな、今回の分け前は折半にしてはもらえない?」

「折半?」

「私としても虫のいい話だとは思うんだけど、実家で雇っている使用人に手切れ金として渡す分を考えれば、それ以上取り分が少なくなると厳しい。だからどうか、それで手を打ってほしい」

 アルシェは再びオロチに対して頭を下げた。
 このままでは地面に頭を付けて、勢いのまま土下座しかねないほどの必死さが伝わってくる。

 ただアルシェが必死な一方で、その相手であるオロチには困惑しかなかった。

「さっきから何を言っている? 俺は最初の取り決め通り、金貨50枚を返してもらえればそれでいいんだが?」

「……本当に良いの?」

「だから良いと言っているだろうに。宝くじ……いや、宝物を拾った程度に思えば良いさ」

 そこまで言ってもアルシェに納得した様子はない。
 オロチからしてみれば、彼女が何故こんなことを言い出しているのか理由がまるで分からなかった。
 初めからそういう約束だったのだから、大人しく頷いていれば良い。

 もしも約束通りに金貨50枚を渡さないというのなら、その時はオロチも色々と考えなければならないと思っていたが、まさか折半にするなどとアルシェの方から言い出すとは思わなかった。

 そして根負けしたのは――オロチの方だった。

「そうだな……そこまで言うのなら飯でも奢ってくれ。双子も連れてきて良いから、祝勝会でもしようぜ」

「っ! うん、わかった! オススメのお店があるの。きっとオロチ殿も気に入ると思う」

 オロチの言葉によって、アルシェはようやく本心からの笑みを浮かべた。

 

   

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