日が落ち始めた帝都アーウィンタール。
まだ夕暮れ時だというのにもかかわらず、飲食店が立ち並ぶ通りには既に酒が回って千鳥足になっている者たちの姿があった。
ある者は同じように酔っ払った者と肩を組み、またある者は酒瓶片手に上機嫌に鼻歌を歌っている。
もう少し日が落ちれば、彼らのように騒ぎ出す者がもっと増えてくるだろう。
この賑わいが帝国の国力を表しているとも言えるかもしれない。
そして、そんな場所にオロチとコンスケの姿もあった。
闘技場での試合から数時間後、オロチはコンスケを肩に乗せ、アルシェに指定された店の前にやってきていたのだ。
「アルシェが言っていたのはこの店か?」
オロチの目前には二階建てのそこそこ大きな店があり、周りにある他の店舗と比べてみても一段と賑わっているように感じる。
そして何より、胃袋を直接刺激するような香りが道にまで広がっていた。
「ずいぶん良い匂いがするな、コンスケ。ってお前、俺の服によだれを垂らすなよ……」
「きゅいっ!」
「わかったわかった。わかったからそう急かすなって」
コンスケの尻尾がブンブン振り回されているところを見ると、どうやらここから漂ってくる料理の香りはかなりコンスケの好みらしい。
目をキラキラと輝かせ、オロチを急かすように尻尾でオロチの頭をペシペシと撫でている。
これ以上ワールドアイテムでもある着物によだれを垂らされては敵わないので、よだれを拭き取りながら急ぎ足で店の中へと入って行った。
「結構な数の客が入ってんな。まだ夕方だからか、それほどガラの悪い輩も居ないし」
店内には様々な客層が集まっているが、家族連れや恋人同士で来ている人が多いように感じられた。
見た目が子供に見えるオロチは目立つ上に絡まれやすい。
大抵の相手はデコピン1発で沈められるとはいえ、鬱陶しいことには変わりなく、そういう輩の姿が無いのは有り難かった。
そうしてオロチが店内を観察していると、店の奥から従業員らしき恰幅のよい中年女性が近づいて来る。
「いらっしゃい! お客さん、お一人さんかい?」
「いや、先に知り合いが来ているはずだ。双子の姉妹を連れた女が来てないか?」
オロチがそう答えると、既にアルシェが話を通しておいてくれたらしく、店員の女性は納得の表情を浮かべた。
「ああ、アンタがアルシェちゃんが言ってた人かい。……ふぅーん? 中々見所がありそうな男だね。こっちだよ、案内するからついておいで」
「はいよ」
何故か値踏みされるような視線を向けられたが、オロチは気にせずその女性の後ろをついて行く。
席はどこも満席近く、何人かの従業員が忙しなく動き回っていた。
「きゅいきゅいきゅい!」
「どうどう。もう少しだから落ち着け、な?」
「こりゃずいぶんと可愛らしい狐さんだねぇ。アンタの従魔かい?」
「まぁそんなところだ。……もしかして店の中に連れてくるのは不味かったか?」
「きゅい!?」
追い出されるかもしれないと思ったコンスケが、そんな悲鳴に近い鳴き声を上げた。
ここまで来てお預けを食らうというのは、この店の料理を非常に楽しみにしているコンスケにとって絶望的なことだ。
とても我慢できることではなく、死刑宣告にも等しい。
しかし、そんなコンスケの心配を吹き飛ばすように、従業員の女性は笑い飛ばした。
「はっはっは。心配しなくても、私らは料理に金を払って、酒を飲んでも暴れなけりゃあ誰でも大歓迎だよ。だから安心してたらふく食べてっとくれ。アンタも、肩に乗っている可愛い狐さんもね」
「きゅいっ!」
「ありがとう、だってさ。コイツは食いモンに関してはかなり煩いから、追い出されなくて助かったよ」
「おや、なら食べる前からウチの料理を気に入ってくれたのかい? そりゃ嬉しいねぇ。今日はアルシェちゃんが初めて男を連れてきた日でもあるし、色々とサービスして上げるよ」
「……変な勘違いをしてないか? 俺は別に――」
「ほらあそこだよ。それじゃ、ごゆっくり!」
すぐにでも勘違いを正そうとしたが、そんな暇もなく女性は去っていってしまう。
まるで嵐のようにパワフルなおばちゃんだ、とオロチは心の中でそう思った。
(まぁいいか。後でアルシェの方から説明しておいてもらおう。俺にあのおばちゃんの相手は、正直しんどい)
気を取り直して、待たせているであろうアルシェたちの所に歩を進める。
彼女たちほどの綺麗な金髪は平民の中では珍しいため、三姉妹が何処にいるのかはすぐにわかった。
真ん中にアルシェ、そして彼女を左右で挟むようにクーデリカとウレイリカの双子がそれぞれ座っている。
3人の姿は小綺麗な服装ではあるものの、あくまで平民の域を出ない程度に抑えられていた。
周りには家族連れも多いので、これならば変に悪目立ちはしないだろう。
オロチが彼女たちが座っている席に近づいていくと、アルシェがオロチに気付き、こちらに手を振ってくる。
「悪い、待たせたみたいだな」
「それほど待ってはいない。どうぞ、座って」
促されるままに席に着くと、前に座る双子からの視線がオロチに刺さった。
その視線からは悪感情が感じられない……いや、それどころか尊敬や憧憬といった好感情が読み取れる。
「……どうして俺はこんなにも見られているんだ?」
「お兄さんは私たちのヒーローなの!」
「なの!」
「ヒーロー?」
言葉足らずな双子の説明では全く理解できず、その答えを求めてアルシェの方に向き直る。
「すまない。今日の所は我慢して欲しい。この子たちに今回の件を軽く話したら……結果はこの通り。ほらクーデ、ウレイ。人の顔をあんまりジロジロと見ちゃ失礼でしょ」
注意された双子は声を揃えて『はーいっ!』と元気に返事をするが、どこまで分かっているのかは微妙なところだろう。
「きゅい!」
「おっと、コンスケが早く料理が食べたいんだとさ。そっちに任せるから、適当に料理と酒を頼んでくれ」
「フフ、了解した。今日は好きなだけ食べてくれ」
そして店員を呼び、手慣れた様子でテキパキと注文していくアルシェ。
料理を待っている間は双子からの質問攻めで時間を潰し、注文をしてから十分ほどで続々と料理が運ばれてきた。
しかし、注文した覚えのない大皿がテーブルの中央にドン!と置かれる。
「これは店からのサービスだよ!」
初めにオロチを案内してくれた中年の女性が、パチリとアルシェにウインクをして去っていった。
運ばれてきた料理もその行動も豪快である。
アルシェは突然のサービスに戸惑っているようで、素直に受け取って良いのか悩んでいるようだ。
「あー、悪い。たぶんさっきの女の人が、俺とアルシェが恋人か何かだと勘違いしているんだと思う。訂正する前に有耶無耶になったんだ。ま、サービスしてくれるって言うんだし、適当に誤魔化しておこうぜ」
「そ、そう……だな。うん、そうしよう」
アルシェは消え入るような声でそう呟いた。