コクン、コクンと頭を揺らしているクーデリカ、そしてウレイリカの姿が視界に入る。
辛うじて起きてはいるが、双子は今にも倒れてしまいそうなほど眠そうだ。
窓から外を覗いてみればオレンジ色だった街並みはすっかり真っ暗になっており、食事を開始してからそれなりに時間が経っていることが伺えた。
大人にとってはまだ夜は始まったばかりだが、まだ幼い子供には少々辛い時間帯なのだろう。
「双子の方はもう寝る時間みたいだな。外も暗いし、そろそろお開きにするか?」
「……そう、だね。この子たちもすごくはしゃいでいたから、たぶんいつもより疲れたんだと思う。今日は楽しかった、ありがとう」
名残惜しい、そんな気持ちがアルシェにはあった。
しかし、眠そうな妹たちを放っておくことなど彼女には出来るはずもなく、その気持ちは心の内に留めておくことにしたのだ。
「それじゃあ俺は一足先にお暇させてもらう。……一人で帰れるか?」
「こう見えて私はワーカー。素人相手に遅れは取らないよ。それに夜と言ってもまだ人気が無いわけでもないし、ここから家までそう遠くないから問題ない」
「そうか、じゃあ一応これをやろう。酔い覚ましには丁度いいはずだ。気をつけて帰れよ」
テーブルの上に酔い覚まし、もとい解毒ポーションをそっと置く。
その名の通り解毒するためのポーションだが、アルコールを分解する効果があることは確認済みである。
「何から何まで済まない。今回の恩は、一生忘れないから」
「別に良いさ。行くぞ、コンスケ」
「きゅい」
オロチが呼ぶと、コンスケは軽やかに肩に飛び乗った。
どうやら今回は食べ過ぎで動けなくなるという事態にはならなかったようだ。
……それでも、物理的におかしいくらいの量を平らげてはいたが。
「ばいばい。お兄さん、狐さん」
「また遊ぼうね」
「ああ、また今度な。コンスケはクーデリカとウレイリカが気に入ったみたいだから、そのうち顔を見せに来るよ。しばらくは帝都を拠点にするつもりだし。なっ、コンスケ?」
「きゅい!」
◆◆◆
「おや、もうお帰りかい?」
食事をしていたテーブルからカウンターまで歩いて行くと、何かと料理をサービスしてくれた気前のいい女性が先に声をかけてきた。
「ああ。俺もコンスケも十分に食ったし、アルシェたちを夜中まで連れ回す訳にはいかないからな。それでいくらだ?」
「たくさん注文して貰ったから、サービスして銀貨7枚にしておくよ」
オロチは言われた通り銀貨7枚を手渡した。
今日の食事代はアルシェが持ってくれるという話ではあったが、この店がオロチの想像以上に良い店だったため、コンスケと共に少々食べ過ぎてしまったのだ。
なので彼女に奢ってもらう機会はまた別にして、今回は自分が支払っておこうと考えたのである。
「ご馳走さん、かなり美味かったよ。機会があればまた来る」
「きゅいっ!」
「そりゃ良かった。アンタや狐さんみたいに食いっぷりの良い客は大歓迎だからね。サービスしてあげるから、またいつでもおいで」
オロチはパタパタと手を振り、その店を後にする。
そして外に出ると、すぐに周囲からガヤガヤとした喧騒が聞こえてきた。
馬鹿騒ぎする酔っ払いの声や、気が短い男たちの怒鳴り声など様々だ。
空はすっかり暗くなってしまっているが、街中の様子は夕方の時よりも今の時間帯の方がはるかに活気があるようだった。
「さっさと帰るか。コンスケも腹一杯食べて眠そうだし」
「きゅぃ……」
双子と同様に、どうやらコンスケにも睡魔がやってきたようだ。
前足で目をこする姿が絶妙に保護欲をそそる。
「ただちょっと寄り道させてくれ。寝ててもいいが、ちょっと揺れるかもしれん」
「きゅい」
コンスケをひと撫でし、颯爽と夜の街を歩いていくオロチ。
気づけば周囲には人気がまったく無い路地裏まで来ており、独特な不気味さを放っていた。
「――そこに隠れている奴、5秒以内に姿を見せろ。出てこなければ殺す」
オロチが鋭い視線を向けた先には誰もいない。
だが、それでもオロチは確信しているかのように一点を見つめて動かなかった。
そして溜息を吐き、腰の刀に手を掛け……
「お、お待ちを! 私です、ポゥです!」
そんな慌てた声と共に、殺害をオロチに依頼してきたポゥが姿を現した。
何らかの魔法、もしくは魔道具の力で風景に同化していたようで、まるでカメレオンのような印象を受ける。
「なんだ、お前か。忠告しておいてやるが、あまり俺の周りでコソコソするな。機嫌が悪い時だとうっかり殺してしまうぞ?」
とてもじゃないがご冗談を、と笑える雰囲気ではない。
今の状況でそんなことを言えるのは馬鹿か狂人かのどちらかだけだろう。
そして少なくとも、ポゥはそのどちらでも無かった。
「……失礼しました。肝に銘じておきます、本当に」
オロチの前で迂闊なことをすれば殺される、その事実に冷たい汗がポゥの背中を流れた。
今日の試合を見て力量を計ったつもりでいたが、それは大きな間違いだったようだ。
叶うことならば、数分前の自分を殴ってやりたい気分だった。
好奇心は猫をも殺すとはよく言ったものである。
以前のような砕けた口調ではなく、しっかりとした敬語を使っているあたり、本当に恐怖を感じているらしい。
「わざわざ俺に会いに来たってことは、依頼の報酬の件について話をしに来たんだよな?」
「ええ、そうです。我が主が是非とも屋敷にオロチ様をご招待したいと仰いまして……。報酬もそこで受け渡しを、と。もちろん、オロチ様のご都合がよろしい時で構いません」
「ふーん、まぁ良い。なら明日だ。明日の昼頃、俺が泊まっている宿屋まで迎えに来てくれ。どうせそこまで調べてあるんだろう?」
「かしこまりました。では明日、お迎えに上がります」
オロチが放つプレッシャーを受け、ポゥの手は僅かに震えていた。
「クックック、そう怯えるな。妙な真似をしなければ俺は何もしないさ。ただ、お前の主人にもそう伝えておけよ? さっきも言ったが、うっかり殺してしまうかもしれないからな」
「……ええ、もちろんです」
脅すのはこれくらいでいいか、そんなことを呟き、オロチは軽やかな足取りで暗闇に消えていく。
一方で残されたポゥはしばらくの間、その場からピクリとも動くことが出来なかったのだった。