セバスが裏切った――そんな突拍子も無い報告を聞いてから数時間ほどが経った頃、オロチは……自室で優雅に夕食をとっていた。
「あ、あの……オロチ様?」
「なんだユリ?」
「セバス様が大変な時に、部下である私がこうもゆっくりしていて良いのでしょうか?」
オロチの部屋で食事を共にしていたユリが、困惑した表情でそう言った。
ユリとしても今回は念願のオロチとの食事であり、今も小躍りしそうになるくらい幸せな時間であることは間違いない。
だが、執事長のセバスが裏切ったなどという信じ難い報告があった今、自分がオロチを独占していても良いのかという気持ちが生まれたのだった。
しかし、そんなユリを前にしてもオロチは何故か落ち着いている。
「それなんだけどさ、よく考えてみればセバスが裏切る筈ないんだよ。お前もセバスがナザリックを裏切ったなんて思わないだろう? 大方、セバスの正義感が多少の勘違いを生んだとか、そんなところだと思う。アインズさんも結局、多分そうだろうって考えていたし」
オロチはそう言って赤ワインが入ったグラスを口に含んだ。
セバスが裏切ったという報告を聞かされた時は流石に動揺してしまったが、一度冷静になってみれば、裏切りとは程遠い性格をしているセバスが自分たちを裏切る筈がないことが分かる。
だからこそ、オロチはこうして優雅な食事をしている余裕があるのだ。
それにもし仮に、本当に仮にだがセバスがナザリックを抜けるとなれば、その時はきっとオロチもアインズも最終的には快く送り出すだろう。
例え反逆したとしても、愛しい家族には違いないのだから。
「ま、セバスのことは心配だけど、アインズさんに任せておけば大丈夫だ。こういうのは俺が関わるより、アインズさんが色々と動いてくれた方が間違いなく上手くいくからな。折角だから今はこの食事を楽しもうぜ?」
「な、なるほど……オロチ様はそこまでお考えだったのですね。どうか私の浅慮をお許しください」
「気にするな。実際、俺も一瞬とはいえ動揺を隠せなかったし、お前が仲間を心配する気持ちはよく分かる。優しいユリらしいよ」
あまり褒められ慣れていないのか、ユリの白い肌が肩まで赤く染まる。
ナザリックの美人たちを見慣れているオロチから見ても、恥じらっているユリは非常に魅力的に見えた。
「それにしてもユリのそのドレス、凄く似合っているな。自分で選んだのか?」
普段のメイド服姿ではなく、一級品の黒いドレスを着ているユリはまるで王女……いや、女王のような気品が漂っている。
今の彼女を見ても、とてもじゃないがメイドをしているとは思えないだろう。
「お、お褒めに預かり光栄です! このドレスはやまいこ様がご用意してくれたものだったですが、こうして身に付けるのは初めてなのです。オロチ様に喜んで頂けたのなら、我が創造主であるやまいこ様もきっと満足してくれるでしょう」
心臓がドキドキしている……気がするのだが、彼女の種族はアンデッドなのでもちろん鼓動する事はない。
ユリは自身をアンデッドとして創造してくれた『やまいこ』に感謝した。
もしも自分に心臓があれば、緊張し過ぎて破裂していたかもしれないからだ。
「やまいこさん、か。あの人はアインズ・ウール・ゴウンの中では数少ない良識のある人だった。教師っていう立派な仕事に就いていたしな。そういえば、ユリとやまいこさんは雰囲気が似ているかもしれん」
「ボ、ボクとやまいこ様が……ですか?」
「ああ、そうやって自分のことをボクって呼んでいるところとか、結構似ているところも多いと思うぞ?」
「えっ、私の口癖ってやまいこ様の口癖でもあったのですか!?」
「そうだ。まぁ、その口癖を隠そうとしているユリは見ていて飽きないから、俺は今のお前の方が好きだけど」
ニヤリと揶揄うような笑みを向けると、ユリはあたふたし始める。
「あ、あぅ……。そ、それでやまいこ様のお仕事である教師というのは、一体どういうお仕事なのですか?」
「教師っていうのは、そうだな……子供たちに勉強や常識を教える仕事だ。当然、教える立場ともなれば限られた優秀な者しかなることが出来ない。優しさと良識を兼ね備えた人物ってところか」
「凄いですね! 流石はやまいこ様です!」
興奮したように創造主であるやまいこを称えるユリを見て、オロチも思わず笑みをこぼす。
オロチが言った限られた優秀な者しかなれないというのは、大袈裟のようで決して大袈裟などではない。
転移前の世界では義務教育などというものは存在せず、一部の富裕層しか学校に通うことが出来ないのだ。
そんな中、教師という職に就いていたやまいこは極めて優秀な人物だったと言えるだろう。
(一応俺もそこそこ学歴はあるけど、あくまでそこそこだからな。教師をしているやまいこさんや、大学で教授をしている死獣天朱雀さんには全く敵わん)
実を言うと、オロチもそれなりに学歴はある。
だがそれは彼の両親が無理をして学校に通わせてくれたからなので、自身は何も凄いとは思っていなかった。
凄いのは自分ではなく、自分の両親なのだから。
「それじゃあ、やまいこさんの昔話でも披露しようか? 俺も同じギルドの仲間だった
「ぜひお願いします!」
興味津々といった様子のユリに、オロチは気分よくユグドラシル時代のやまいこについて語り始める。
アインズが事実確認を急ピッチで進めている中、オロチはこうしてユリとイチャついていたのだった。
もしこれがアインズの耳に入れば、きっとオロチには彼の怨念が篭った呪詛が送られるだろう。
「それから――」
「なるほど、そうだったのですね」
気づけば楽しそうに会話する二人の距離が、最初よりもずっと近くなっていた。
「…………はっ、何故か妙な胸騒ぎがする。これはきっと……オロチさんが心配しているに違いない!」
そんな不憫なことを呟く骸骨が居たとか居なかったとか。