鬼神と死の支配者118

「俺に相応しい役ってこれかよ……」

 月明かりに照らされ、構えている刀の刃がキラリと光った。
 妖しい光を放つその刃の切っ先が向けられている先には、仮面を付けた見るからに怪しいスーツ姿の男がいる。

 仮面の男が放っているオーラはまさしく強者のそれ。
 この世界で出会った誰よりも強いと断言できるほど、圧倒的な格の違いを感じられた。

「オロチ様、頑張ってください……!」

 そして、背後にはこれまた仮面を付けた小柄な女が、何故か熱烈なエールを送ってきている。
 確かこの女は先ほど、アダマンタイト級冒険者の『青の薔薇』に所属するイビルアイだと自分で名乗っていた。

 彼女も仮面を付けているので表情を伺う事はできないが、その声の調子からはオロチへの信頼が感じられる。
 恐らく、窮地のところを救ったのが効いているのだろう。

(いやはや、まさか俺に勇者みたいな役をやらせるとはな。デミウルゴスの奴にしてやられた気分だぜ……)

 背後にいる小柄な女に悟られないように、オロチは密かにため息を漏らした。

 今の状況を簡単に説明すると、絶賛出来レース中といったところだろうか。
 デミウルゴスから言い渡されたオロチの役目は、敵役に扮したデミウルゴスを撃退するというものだった。
 そして今、オロチと対峙している仮面の男こそ、その作戦の立案者であるデミウルゴス本人である。

「デミ……ごほん。仮面の男、お前は一体何者だ?」

 オロチがそう問いかけると、敵役に扮したデミウルゴスは慇懃な態度で一礼する。

「私の名前はヤルダバオトと申します。もしよろしければ、貴方のお名前もお教えくださいませんか?」

「俺の名はオロチだ。アダマンタイト級冒険者で、最近では月華の英雄なんて大層な呼ばれ方をしている」

「おぉ……! 何という素晴らしいお名前でしょう。こうしてお会いできて光栄でございます、オロチ様」

 どうやら今はヤルダバオトという偽名を使うらしい。
 うっかり本当の名前が出てこないように、オロチはその名を頭に刻み込んだ。

「それでヤルダバオト、お前の目的は何だ? まさかとは思うが、王都までピクニックをしに来た訳じゃないんだろう?」

「フフフ、もちろんピクニックではありませんね。私の目的はこの王都に流れ着いているとあるアイテムの回収です」

「アイテム?」

「ええ、我ら悪魔を使役することが出来る強力なアイテムで、人間が持つにはあまりにも大きすぎる力。ですので、私がそれを回収しに参った次第です」

 何も驚くことはない。
 事前に聞いていたシナリオ通りだ。
 この会話もオロチが情報を聞き出すというより、後ろにいる女――イビルアイに聞かせる為にしていた。

「じゃあそのアイテムとやらを持って、大人しくここから出て行って欲しかったんだがな」

「私もそうしたいところだったのですが、後ろにいる方のお仲間たちが刃を向けてきましてね。仕方なくお相手して差し上げているのですよ」

 チラリとオロチの視線が遠くに転がっている二つの死体に向けられる。
 あれがヤルダバオトが言ったイビルアイの仲間とやらだろう。
 炎で焼かれたのか黒焦げになっており、微かに漂ってくる異臭が鼻につく。

 イビルアイは仲間の死体を見て、悔しさでグッと奥歯を噛み締めた。

「まぁ、お喋りはこのくらいにしておくか。冒険者に手を出した以上、その仇は冒険者が討ってやらないと……な!」

 不意打ち気味にオロチが高速で斬り込んだが、ヤルダバオトはその攻撃に見事に反応し、爪を刃物のように伸ばして軽々と受け止た。
 キィンという金属音と火花が散り、そこから間を置くことなくヤルダバオトが腕を振り払って反撃に移る。

 そして当然、オロチはそれを完璧に受け流して再び斬りかかる……という風に、二人はまさに一進一退の攻防を演じていた。

 お互いに本気ではないとはいえ、オロチもデミウルゴス……否、ヤルダバオトも100レベルまでカンストさせたステータスを持つ超越者だ。
 たとえ全力の半分にも満たない力だとしても、一つ一つの動作が見る者を圧倒してしまう動きをしている。
 傍から見れば、さぞかし見応えのある戦いとなっているだろう。

「す、すごい。私が一方的にやられていたヤルダバオトと対等に張り合ってる……ううん、対等どころかオロチ様の方が押している……!」

 現に二人の戦いを間近で観ているイビルアイは、そんな感嘆の言葉をこぼしている。

 彼女は並みのアダマンタイト級冒険者よりもはるかに強い実力を有しているのだが、そんな自分が援護すらする余裕が無いなど、俄かには信じ難い光景だろう。
 そして同時に、次元が違いすぎる戦いを繰り広げているオロチへの憧れを一層強めた。

(配下をわざと負けさせるのって、上の立場の者としてかなり終わっている気がする……)

 ただ、一方でオロチは演技がバレないように必死だった。
 この戦いは言ってしまえば、台本通りのパフォーマンスだ。
 主役は勿論オロチであり、自己顕示欲が大して高くはない身からすれば恥ずかしいどころの騒ぎではない。

 いくら配下たちがノリノリだったとはいえ……いや、むしろノリノリだったからこそ謹んで辞退したかったくらいなのだから。

 だがオロチは、『全てデミウルゴスに任せる。お前に任せておけば、全てが良い結果で終わるだろうからな』などと言ってしまったものだから、内容を詳しく聞くことなく承諾している。
 その結果がこの有様であり、ユグドラシルからの悪い癖がここでも発揮されてしまったのだった。

 そうして後悔と恥ずかしさを抱きながらしばらく打ち合っていると、ヤルダバオトが動きを止めて話しかけてくる。

「フフフ、どうやら貴方はそちらに転がっている雑魚や、後ろに隠れている小娘よりもはるかにお強いらしい。とはいえ、このままではお互いに埒が明きませんねぇ? こうして貴方ほどの強者と戦っているのも悪くはありませんが、生憎と私にはやるべきことがありまして……そろそろ失礼してもよろしいですか?」

「ふむ……まぁ良いだろう。なら俺の気が変わらない内にさっさと行け」

 オロチの言葉に、ヤルダバオトではなくイビルアイが反応した。

「なっ!? 貴方ならこのまま戦っていればヤルダバオトを倒せるはずだ。今ここで倒すべきではないのですか!?」

「はぁ……やはり下等な人間は愚かですね。先ほどからオロチ様は、お前を守りながら戦っていることに気付いていないのですか? これだから無能な人間は困ります」

 そう冷ややかな言葉で言われたイビルアイは、誰が見ても明らかなくらいにたじろいだ。

 事実、オロチは常に彼女を背にして戦っていた。
 それは引き攣った顔を見られないようにする為だったのだが、どうやらうまく勘違いしてくれたらしい。

「わ、私が足を……すまない」

 そうとは知らないイビルアイは、自分が知らず知らずのうちに足を引っ張っていた事実を知り、自らの失態を恥じていた。

「アイテムを回収した後、私は王都の一部を地獄の業火で包みましょう。追ってくると言うのなら、煉獄の炎があなた方をあの世へ送ることを約束しますよ」

 ヤルダバオトはそう言い残し、背中から蝙蝠のような翼を生やして飛び去っていった。
 激しい戦闘の余韻と冒険者の死臭だけが、その場に残されているのだった。

 

   

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