「おや? つい先ほどぶりですね。お待ちしておりましたよ、オロチ様」
広場へと足を踏み入れると、仮面の悪魔――ヤルダバオトはそう言葉を弾ませた。
オロチとイビルアイが現れてもそれに動じた様子はなく、それどころか待ちわびていた客人のような態度で出迎えられる。
敵であるはずの者に対してそんな態度を取れるのは、強者としての余裕だろう。
この場で唯一緊張しているのはイビルアイだけだった。
そしてオロチは、ヤルダバオトの後ろに控えているメイドたちに視線を向ける。
「こんなに豪勢なお出迎えをしてもらえるとは思っていなかったぞ。できれば一対一で戦いたかったが……まぁいいさ。その熱烈な歓迎に俺も応えようじゃないか。それだけの数がいるのなら、少しくらい本気になっても良いんだろう?」
ニヤリと笑いながら刀を抜き払い、その切っ先をヤルダバオトに突き立てる。
「……できれば多少は手加減していただきたいものですが、そうもいかなそうですね。後ろの部下たち含め、全力で挑ませてもらいます」
「ああ、そうこなくてはな。お前たちの全力を俺に見せてくれ」
数では圧倒的に不利なこの状況の中、オロチはまるでそれを感じていないかのような振る舞いだった。
事実、オロチはこの戦いで負けるなどとは微塵も思っていない。
それはこの戦いが全てデミウルゴスの台本通りだからというだけではなく、彼我の実力差を正確に見極めた上での言動である。
100レベルのデミウルゴスとプレアデスが揃ったとしても、戦闘特化型のガチビルドをしているオロチには遠く及ばないのだ。
(いや、この場にオーレオールがいればまだわからないな。あいつもデミウルゴスと同じレベルがカンストしたキャラだから、もしかすると負けることもあるかもしれない)
オロチはこの場に参加していないプレアデスの末妹、オーレオール・オメガを思い出しながらそう考えた。
彼女はプレアデスの中でも突出した能力を備えており、レベルも100に到達している一人なので、もしもこの場にいればオロチをかなり楽しませてくれただろう。
オーレオールがいないことを少しだけ残念に思った。
とはいえ、彼らが強敵だということには変わりない。
今は別の目的があるのでお互いに全ての力を出し切るという訳にはいかないだろうが、それでも間違いなく一筋縄ではいかない相手だ。
これから始まる戦闘を想像し、オロチは自身の身体を巡っている血が沸き立つような感覚に陥っていた。
(あぁ、やっぱり戦う相手は身内から探した方が良さそうだな。流石はナザリックの階層守護者だ。この肌がピリつく感覚は、そこらの雑魚じゃ絶対に味わえない。後ろにいるユリたちも結構張り切っているみたいだし、楽しませてもらうとしよう)
今のオロチは、かつて暴走した時のように我を失ってしまうことはない。
ワールドアイテムを装備している今、戦いで気分が高揚することはあっても、破壊の化身になることはないのだ。
そんな安心感もあってか、オロチはこの戦いが非常に楽しみだった。
配下たちに稽古をつけるという形で個別に相手をしたことは何度かあったが、こうして複数人数でを相手取るのは初めてだ。
気持ちが昂らないはずがない。
そしてヤルダバオトはふと、オロチの傍に侍っているイビルアイに視線を移動させた。
「ところで、オロチ様の後ろにいらっしゃる方はどなたですか? 貴方のお仲間にしてはずいぶん貧相ですし、ペットか何かでしょうか?」
「くっ、好き勝手なことを……!」
ヤルダバオトからの挑発めいた発言に、イビルアイから悔しげな声が漏れた。
彼女にとっての一番の屈辱は、ヤルダバオトの目には自分の姿がほとんど認識されていないことだろう。
見えていないという訳ではなく、道端の石ころのようにどうでもいいと思われているのだ。
戦いに身を置く者からすればこれ以上ない侮辱である。
怒りと悔しさをグッと堪えていると、そんな彼女にオロチが声をかけた。
「相手の挑発に乗るな。落ち着け、イビルアイ。貴女は連中を倒すことは考えずに、ただ引きつけることだけを意識してくれればいい」
「……あぁ、わかった」
冷静さを失いかけていた頭が急激に落ち着いていく。
そして、イビルアイはそのまま静かな怒りをヤルダバオトに向けた。
頭では冷静に、心ではマグマのような激情を渦巻かせ、それら全てを力に変えようとしている。
するとメイドの中の一人、ルプスレギナ・ベータが一歩前に出た。
「ヤルダバオト様、私に女の方の相手を任せてもらえないっすか?」
「君が、かい? ふむ……構わないよ。ならあの女は君に任せるとしよう。丁重にお相手して差し上げるといい」
ルプスレギナはヤルダバオトに『ありがとうございます』と言った後、イビルアイに体を向けた。
「ほら行くっすよ。私がアンタの相手をすることになったっから、邪魔にならないように場所を変えるっす」
「……いいだろう。ではオロチ様、ご武運を」
「ああ、そっちもな」
こうしてルプスレギナはヤルダバオト……いや、オロチの邪魔にならないようにイビルアイを戦場から程良く遠ざけた。
そもそも彼女がイビルアイの相手役に買って出たのは、オロチが思う存分戦えるようにするためだ。
目撃者としての役割を果たしてもらわねばならないとはいえ、邪魔者が近すぎる場所にいれば目障りにしかならいだろう。
ルプスレギナはオロチに楽しんでもらいたかった。
これでオロチは心置きなく戦える。
ルプスレギナの配慮に感謝しつつ、オロチはヤルダバオトたちをその双眸で見据えた。
「初手はそちらに譲ろう。好きに掛かって来い」
「ではお言葉に甘えて……行きますよ!」
ヤルダバオトを筆頭にして、彼と4人のメイド達が一斉にオロチへ魔法を放ったのだった。