ヤルダバオト――いや、デミウルゴスたちが消えていった場所を呆然と眺めるオロチ。
しかし、いつまでもそう悠長にはしていられない。
いま眼前で発動中の超位魔法は、オロチでさえも気合を入れ直さないと命の危険が伴ってくるものなのだから。
(おいおいおい……! デミウルゴスのやつ、正気か? たかがデモンストレーションに最上位の召喚魔法を使ってくるなんて、正気の沙汰とは思えないぞ!?)
オロチは冷や汗を流しながら赤黒い光を放っている魔法陣を見つめる。
この光景はユグドラシルでも何度も見たことがあった。
ゲームの時よりも派手なエフェクトではあるが、大まかな部分は何も変わっていない。
――この魔法陣は、間違いなくワールドエネミーを呼び出してしまう超位魔法だ。
(たしか名前は《デッドリー・アドベント》。ユグドラシルでは全部で32体存在していたワールドエネミーのうち、『七大罪の魔王』をランダムで呼び寄せるという馬鹿みたいな効果だったはずだ。召喚できる時間は5分くらいだったか?)
オロチは奥歯を噛み締める。
ワールドエネミーは単純なボスモンスターとは比較にならないほどの強さを持つ。
たとえ5分間しか現界できないとはいえ、それが周囲に振りまくであろう脅威は絶大だ。
決して八百長試合に持ち出しても良い代物ではない。
「オロチ様、ご無事で何よりです! それで、私が相手をしていたメイドが急に姿を消してしまったのですが、これは一体どういう状況なのですか?」
軽く現実逃避に入っていると、焦ったように声を荒げるイビルアイが駆け寄ってきた。
仮面の半分が割れており、それがルプスレギナとの戦闘が激しかったことを物語っている。
彼女自身かなり疲労が残っているだろうに、それをオロチには見せない根性は素晴らしいものだった。
「……状況は最悪だ。今から約10分後、ここにワールドエネ……かなり強いモンスターが召喚される。下手をすれば、今度こそ王都が焦土と化すかもしれん。たぶん、ヤルダバオト自身よりもヤバイ相手が飛び出してくるぞ」
「な!? そ、それは本当なのですか?」
「ああ、間違いないだろう。これと同じ魔法を見たことがある。幸いと言って良いのかは分からないが、そのモンスターが召喚された後、ソイツが現界できる時間は5分程度だ。それを過ぎれば消滅する」
「5分、か。それなら何とか……」
5分程度ならば死にものぐるいで戦えば何とかなる、イビルアイはそう思っていることだろう。
だが、それは大きな間違いだ。
確かに5分と聞けば何とかなるような気がしてくる。
相手が逆立ちしても敵わない格上だったとしても、5分だけ耐えろと言われればまだ希望があると思えてしまう。
では、赤子が本気で殺そうと向かってくる大人から逃げれるか?
答えは不可能だろう。
極端な例えではあるが、この街の冒険者とワールドエネミーとではそれくらいの差があるのだ。
防御に専念していればどうにかなるなどという楽観的思考は、極めて愚かだと言わざるを得ない。
「この街の冒険者……いや、全ての住民が一丸となっても30秒保てば上出来だろうさ。今から呼び出される悪魔は、そういう次元の違う相手なんだ。
「う、嘘だろ……? そんな悪魔が、この王都に……」
希望の光を宿していたイビルアイの瞳が、一気に絶望の色に染まった。
他ならぬオロチがそう言うのだから、この話に間違いはないと確信してしまったのだろう。
事実、オロチが話した内容には一つも嘘は入っていない。
「あっ! ならこの魔法陣を破壊すれば――」
「今これを破壊すれば、大爆発が起こるぞ。範囲は少なく見積もって都市全域だ。召喚を防げてもそれでは意味がない」
「……とことん巫山戯た魔法だな」
まったくだ、とオロチは内心でイビルアイの言葉に同意した。
おそらくデミウルゴスはこれくらいならば容易に乗り越えられる、そんな想いがあったのだろうが、いくらなんでもやり過ぎだ。
オロチがワールドエネミーを倒せるか倒せないかで答えるのなら、倒せると断言できる。
だが、今回はただ倒すだけではなく、王都を出来るだけ壊れないように配慮もしなければ意味がなくなってしまうのだ。
それに自身の力を全て解放するのは色々とまずい。
そんな制限付きの状態で勝利できるほど、ワールドエネミーは弱い相手ではないのだ。
オロチはかつてソロでワールドエネミーの一体を討伐したことがあるのだが、それは自身の力を全て出し切った上での勝利だった。
5分耐えきるだけとはいえ、街への被害を最小限に抑えなければならないと考えると、非常に困難である。
(まさかこの世界で初めてのピンチが、身内からの信頼によって生まれるとは思いもよらなかった……。俺とアインズさんが死ぬとすれば、それは配下たちからの信頼による事故死なんじゃないだろうか?)
そんなあり得そうな未来を想像してしまい背筋が寒くなる。
(……いや待てよ? デミウルゴスに限ってそんな危険な方法を取るか? あいつは何事にも慎重で、常に二重三重の保険を掛けておくような男だ。だから今回のこれも、もしかすると――)
「オロチ様、どうかしましたか?」
深い思考に入りそうだったところを、彼女の声で引き戻された。
まずは彼女に指示を出さなければ、とオロチは口を開く。
「とりあえず、イビルアイには急いで他の者たちに今の現状を説明してきてほしい。その際に、死んでも構わないという奴だけを此処へ連れてきてくれ」
「オロチ様は戦うつもりなのか?」
「ああ、もちろんだ。むしろ一番強い俺が戦わなくてどうする。それに、ここまで来て逃げるのは俺の信条に反するからな」
イビルアイにそう言って笑いかけてやると、彼女は感激した様子で身体をくねらせ、割れた仮面から赤くなった頬がオロチには見えた。
「さぁ、無駄話はそろそろ終わりだ。早く行ってくれ」
オロチの言葉にイビルアイが大きく頷いた。
「ああ、一人でも多くの戦士を連れてきてみせる! 待っていてくれ!」
そう言い残し、彼女は魔法で飛び立って行ったのだった。