鬼神と死の支配者126

 たった一声。
 それだけで約半数の戦士たちが恐怖に支配されてしまった。
 先ほどのスキルには恐怖で縛り付けるような効果はなく、彼らが恐慌状態に陥っているのは単純に怯えているからだ。

「な、なんだよ……この寒気は……」

「震えが止まらない……!?」

 モンスターに慣れているはずの冒険者、国のために命をかけている王国兵士、それら関係なく精神的に脆い者はその場にへたり込んでしまう。

 無理もない。
 なんせ相手は『世界の敵』を冠する規格外のモンスター。
 少し戦闘が出来るくらいの人間など、本来ならばこの場にいることさえ許されないほどなのだから。
 むしろ気を失っている者がいないだけ上出来と言える。

 しかし、そんな中で当然オロチは恐怖という感情に支配されるはずもなかった。

「戦う気の無い者はさっさと失せろ! 俺の邪魔をするな!」

 オロチの実力を知らない者がその言葉を聞けば、ほぼ間違いなく傲慢な発言だと思うだろう。
 だが、誰もその発言を聞いても不快にはならない。
 それどころかオロチのその言葉によって、心を奮い立たせ、恐慌状態から持ち直す者さえ出てきている。

 そして、本来ならばオロチの役割を担わなくてはならなかった者――ガゼフ自身もまた、その言葉によって自らの使命を思い出していた。

「……そうだ、なにも臆することはない。我らには『月華の英雄』が付いているぞ! 故にどんなバケモノが相手だとしても、我らが負けるはずなどないのだ。皆、奮起せよ! この国の命運は我らの肩にかかっているぞ!」

 ガゼフは半ば自分に言い聞かせるようにそう言い放つ。

 この場にいる者は皆、大小はあれど街を救おうという気概を持った勇気ある者たちである。
 王国最強の戦士が鼓舞し、伝説級の強さを持っているというオロチが先陣に立っているともなれば、戦意を滾らせるのにこれ以上ない状況だった。

 そうして士気が再び高まるとほぼ同時に、遂に魔方陣からワールドエネミーの本体がゆっくりと這い出てくる。
 初めに現れたのは、腕。
 もちろんそれは普通の腕ではなく、闇が凝縮したかのように漆黒の色をした禍々しいものだった。

「あれは……人間、なのか?」

 冒険者の誰かが呟く。
 完全に魔法陣から出たその姿は、体色を無視すれば人間と瓜二つであった。
 同じモンスターで言えばゾンビ系統のアンデッドが近いだろう。
 そんな人間のような姿をしたナニカは、頭を抱えて苦しげにのたうち回り、ついには『……タスケテ』などという弱々しい声すらあげる。

 いっそ同情を誘うようなその光景は、見た者を困惑させるのに十分だった。

「おい、いま『助けて』って言わなかったか? 回復魔法でもかけてやった方が……」

「馬鹿か。あれのどこか人間だ。俺には地獄の住人にしか見えないぞ?」

 恐ろしいモンスターが現れると身構えていたその冒険者にとっては、正直に言ってその人型のナニカは拍子抜けだったのだろう。
 でなければ、敵に回復魔法などという言葉が出てくる筈がない。

 しかし、そんなふざけた考えは一瞬で吹き飛ぶことになった。

「――タスケテ…………タス、ケテ……タスケテ、タス、ケテ、タスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテエエエェェェェェ!!!」

 人間に近かった姿は、その叫びと共に異形へと変貌を遂げる。
 身体の内側から突き破るように、不快な音を立てながら胸から下が巨大な蛇へと徐々に姿を変えていった。

 体長はおよそ30メートルほどで、胸から上の部分は原形を保ったまま蛇の頭の上にポツンと残されてはいるが、それ以外は完全に巨大な蛇そのものである。
 発せられている圧迫感は並みのドラゴン種の比ではない。
 この姿こそが、ワールドエネミー『嫉妬のレヴィアタン』の第一形態だった。

 誰もが目の前の存在に圧倒されている中、オロチはレヴィアタンを倒すために動く。

(スキルが使えないとなれば、あとは単純にプレイヤースキルが物を言う。他の連中はどうせクソほど役に立たないだろうから、俺がコイツの相手をするしかないよな……)

 そう考えながら、オロチは弱点である人間部分に向かって跳躍する。
 いつも戦闘で使用している『童子切安綱』ではなく、それよりもはるかに強力な力を秘めた『夜叉丸童子』で斬りかかった。

 だが、オロチのステータスを以ってしても、ワールドエネミーに有効打を与えるのは至難の業だ。
 巨体に似合わない俊敏な動きで余裕を持って回避され、その上で反撃を食らってしまう。

「――ァァァアアアアアアアアア!!!」

「くっ、耳障りな声だな!」

 思わず顔を顰めるオロチ。
 人間部分から発せられるこの叫びも、魔力を伴っている立派な攻撃だ。
 常人が聞けばたちまち目や鼻や口から血が吹き出し、発狂してしまうような凶悪な代物。
 事実、オロチも血こそ流れていないがダメージは確実に受けていた。

 だがその程度でオロチが引く筈もなく、ワールドエネミーを相手に一歩も引かない対等な戦いを演じている。

 そして、一人で戦うオロチを目にしてようやく、他の者たちもハッと我に返った。

「私たちもオロチ殿に続け! 少しでもこのバケモノの注意を逸らせば、それだけオロチ殿が戦いやすくなるはずだ! 私たちで血路を切り開くぞ!」

『青の薔薇』のリーダー、ラキュースもレヴィアタンに攻撃を始めた。
 ただ、お世辞にも彼女らの攻撃が効いているとは言い難い。
 分厚い表皮に刃が弾かれ、魔法も使用できないとなれば、ただでさえ格が違う相手にダメージを与えるなど不可能なのだ。

 ワールドエネミーとは本来、ユグドラシルのカンストプレイヤーたちが徒党を組んでようやく届く……可能性があるという存在である。
 中級プレイヤー、下手をすれば初心者プレイヤー程度の実力しかない者たちでは話にもならない。

(まさかこれほどのバケモノとは、ね。私も冒険者として色んなモンスターを討伐してきたけど、これほど勝つビジョンが見えない相手は初めてだわ……。悔しいけれど、オロチ殿に期待するしかない)

 もっとも、対峙した瞬間にラキュースは実力差を理解していた。
 だから自分たちが肉壁や囮になってでも、オロチが攻撃できる隙を作ろうと決死の覚悟で戦っている。

 彼女らにとって絶望的な戦いはまだ始まったばかりであった。

 ――レヴィアタン消滅まで、あと4分。

 

   

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