コツコツ、とオロチがゆっくり玉座へと近づき、そしてそこに深々と腰を下ろした。
両脇に控えるナーベラルとクレマンティーヌの影響もあってか、まるでそこに座るのが正しいかのようにその玉座はオロチに馴染んで見える。
「ふぅー。中々良い座り心地だな、この椅子」
場の雰囲気が一気に張り詰めたものへと変わり、オロチのあまりにも突然の変貌ぶりに、宰相の額から一筋の汗が流れた。
とはいえ彼は交渉のプロフェッショナルだ。
オロチのペースに呑まれまいと、自らの心を奮い立たせる。
「……なるほど。それが貴方の本当の顔ですか。どうやら巷で流行っている正義の冒険者という話は間違いなのかもしれませんね。いまの貴方の顔は、まるで悪人のようですよ?」
「はっ、俺は自分のことをそんな風に言った覚えはないな。それに、完璧な人間なんて言われても信用できないだろ? だから今は腹を割って話そうぜ、宰相殿?」
ゴクリ、と宰相が唾を飲み込む音が聞こえてくる。
舌戦ならばオロチに圧勝することも出来るが、もしも癇癪でも起こされればで即座に頭が吹き飛ぶくらいの実力差があるので、本能的に恐怖してしまうのだ。
死ぬかもしれないという考えが脳裏にずっとチラついて離れなかった。
もちろん、宰相も街の暴漢程度の威圧であれば涼しい顔で受け流すことも出来るのだろうが、残念ながらオロチはそんな生易しいレベルではない。
圧倒的な存在であるオロチの圧迫感に抗う術は宰相にはなかった。
辛うじて耐えていられる理由は、偏に国を護らんとする行き過ぎた愛国心ゆえである。
「……貴方の目的は何でしょうか? まさか、竜王国を滅ぼすおつもりで?」
「そんなつもりはない。俺はこの国を繁栄させようという気持ちはあるが、滅亡させるつもりは一切ないと約束しよう。なんなら、神にでも誓おうか?」
「生憎ですが、私は神なんて曖昧なものを信じていません。なので、オロチ様が一番大切にしている名にかけて誓ってください。竜王国の利益の為に尽くすと」
宰相の顔にはわずかに怯えが見て取れた。
だがそんな中でも、彼は竜王国の利益の為に虚勢を張ることが出来る有能な人材だと言える。
この男を上手く使うことこそが、この国を支配するのに一番の近道だろう。
「ああ、良いぞ。では――〝アインズ・ウール・ゴウン〟の名において誓う。俺たち『月華』は、竜王国の繁栄に尽力すると、な」
宰相はその言葉の真意をイマイチ読み取ることが出来なかった。
不敵に笑っている様子からは妙な安心感さえ感じてしまい、不気味に感じている。
『アインズ・ウール・ゴウン』の名にどのような価値があるのかさえ分かっていないし、所詮は口約束に過ぎないのでいつ破られてもおかしくはない。
とはいえ、だ。
彼が国を救ってくれたことは紛れもない事実。
完全に信用した訳ではないし葛藤もあるが、竜王国の利益になるうちは協力してもいいだろうと宰相はそこまで考えて、オロチに対して臣下の礼を取った。
「私は新たなる王を歓迎いたします」
「ああ、それでいい。もしもこの国に俺が必要なくなれば、その時は躊躇なく切り捨ててもらって結構。もちろん、それまでは存分に俺の為にお前の力を振るってもらうぞ?」
「お任せください、陛下」
一応は丸く収まったらしい。
平伏する宰相の姿を見て、オロチも安堵する。
表には微塵も出していなかったが、オロチはオロチで慣れない交渉の場ということもあり、そこそこ緊張していたのだ。
「ナーベラル、そういうことだからそろそろ睨み付けるのは止めてやれ。おいタマ、お前もだ。その物騒なナイフを早く仕舞え」
「かしこまりました」
『はーい』
殺気を飛ばしていたナーベラルと、ナイフを飛ばそうとしていたクレマンティーヌを宥める。
まとまった話も手を出してしまえば白紙に戻りかねない。
そこまでの短慮ではないと信じているが、念のため釘を刺しておかないと、ゆっくり話し合いも出来ないだろう。
「まぁとりあえず、だ。ギスギスした腹の探り合いはこれで終わり。こうしてお互いに分かり合えたところで、俺の方から提示できるものを出そう。人は利益を提示しないと動かないからな。まずはこれを見てくれ」
「では拝見いたしま――な、これはっ!」
オロチから紙の束を受け取った宰相だったが、それに目を通した途端に表情を変えた。
驚きのあまり視線が手元の資料とオロチの顔を行ったり来たりしている。
「俺の方でいくつか政策みたいなものを用意してきたんだ。その中には、現状の竜王国でも行える内容のものがひとつくらいあるだろう。ちなみに、そこに書いてあることは全部実現可能なことだかrな? 何ひとつ嘘はないし、この国で用意できない物は俺の方で仕入れる事もできる。ただ出処は聞くなよ?」
「……そう、ですか」
宰相はやっとの思いでそんな気の抜けた言葉を返した。
オロチが渡した書類の束に記されているのは、様々な分野での理想的な改革案が記されている。
作物の成長促進剤を用いた食糧事情の改善、街道整備によるによる経済の活性化、使役アンデットの運用方法、はては娯楽都市の建設なんてものもあった。
見る者が見ればこれらの価値が分かるだろう。
この紙切れ一枚で、様々な分野の革命が起こってしまいかねない内容だ。
下手をすれば他国との争いの種になる可能性すらある。
そんなものをポンと渡してくるオロチに、宰相はより一層謎が深まった気がした。
「貴方は……いえ、陛下は一体何者なのですか?」
「だからそれはもっと仲良くなってから教えてやるよ。ほら、宰相殿? いまは与えられた仕事をするべきなんじゃないか?」
オロチの言葉に宰相はハッとした表情を浮かべた。
「ええ、そうですね。今はこれらをじっくりと吟味する方が重要でした」
「それをどうするのかはお前の自由だ。どうだ、やる気は出たかい?」
「フフッ。ええ、そうですね。これ以上ないくらいにやる気が出てきましたよ。でもそれと同時に、陛下のことがとても恐ろしくなりました。今後も是非、竜王国の敵にはなって欲しくないものですね」
「だから安心しろって。もうこの国の王は俺だ。自分の国なんだから、破滅させるようなことはない。絶対に、な」