鬼神と死の支配者138

 書類の束がこれでもかと積まれている王の執務室。
 常人であればこれを見るだけでも頭が痛くなりそうな光景だ。
 そしてそんな場所に、一枚一枚丁寧にサインをして奮闘している女性の姿があった。

「あー! 終わらん! 次から次へと宰相が紙の束を持ってくるし、いくら名前を書くだけでも追い付く気がしない! このままじゃ仕事が終わるよりも先に私が過労死してしまいそうだ……」

 内容にサラッと目を通し、自分の名前を書き殴って横に重ねる。
 一体この作業をどのくらいの時間行なってきただろうか。
 オロチが都市の開発へ行くと早々に旅立ってからというもの、寝る時間以外はほとんどこうして同じようなことを繰り返していた。

 いくら夫を支えるのが妻の役目だとしても、これではむしろ自分の方を支えてもらいたくなってくる。

「……私、都合のいい女みたいになってないか?」

 ドラウディロンは机に突っ伏し、ふと自分の現状を鑑みてそんなことを呟いた。
 オロチに王位を譲位することに関する書類、オロチが行なっている都市の利権に関する書類、オロチが提案した発明品についての書類、オロチへの嘆願書という名のファンレターetc……。

 ほぼ全ての書類にオロチが関係しており、しかし当の本人はこの場にいない。
 初めは大人しく黙々と作業をしていたドラウディロンも、そろそろ彼への怒りが爆発寸前という所まで来てしまっていた。
 夫婦としての生活に憧れを持っていた分、それとの落差があり過ぎて鬱憤が溜まっているようだ。

「大体、妻である私を放置するとは何事か! 政略結婚に近いとは言っても、一応は新婚なんだぞ!? だからっ、ちょっとくらい私に構ってくれてもいいじゃないか……」

「なんだ、俺に遊んで欲しいのか?」

「どわぁああああ!?」

 急に近くから聞こえてきた声に飛び上がり、その勢い余って椅子から転げ落ちてしまう。
 すぐに声がした方に視線を向けると、そこには今の自分よりも若く見える少年の姿があった。
 窓が開いていることから、どうやらそこから侵入してきたらしい。
 何のためにドアや階段があるのかと小一時間ほど問い質したい気分になる。

「ははっ。お前って、初めて会った時にも椅子から転げ落ちてたよな? そのうち怪我するかもしれないから気を付けろよ?」

 そう言って無邪気な笑みを浮かべて手を差し伸べてくるオロチに、ドラウディロンは思わず頬が緩みそうになった。
 この光景にものすごく既視感があったからだ。
 しかし、すぐにいかんいかんと緩みそうになる頬を引き締め、さっきまで抱いていた怒りを再燃させる。

 そもそもの話、自分が椅子から転げ落ちたのも、自分に仕事を押し付けていったのも、目の前で笑っているオロチのせいに他ならないのだ。
 いくら彼が王だとしても、ここは妻としてガツンと言ってやらねばと奮起させた。

「……一体誰のせいだと思ってるんだ?」

「さぁ? 誰だろうな。俺にはさっぱりわからん」

 オロチの手を握って立ち上がり、再び椅子に座り込む。
 そして、いかにも怒っていますと言わんばかりに腕を組んだ。

「私は怒っているんだ。見ての通り、次から次へと舞い込んでくる書類の山のせいで殺されかけているからな!」

「ははっ、そう怒るなって。仕事を頑張ってくれていたんだろ? ありがとう、感謝しているさ」

「……ふんっ、言葉一つで収まるような怒りではない」

 そう言いつつも、口元は分かりやすくつり上がりそうになっている。
 言葉一つでもある程度の効果はあったらしい。
 それを見たオロチもすかさず次の言葉を投げかけた。

「ずいぶん疲れているみたいだ。どれ、俺がマッサージでもしてやろう」

「ちょ、まだ話は終わって……ひゃんっ!?」

 オロチは有無を言わさず背後に回り込み、そのまま肩のマッサージを開始した。
 突然自身の身体に触れられたことで、ドラウディロンの口から裏返ったような声が出てしまう。
 迫ってくる手から逃れようとしても、それをオロチが上手くかわして続行する。

 オロチが行なっているのはただのマッサージではない。
 魔力を適量流し込むことによって凝り固まった筋肉を揉みほぐし、絶妙な心地良さを体験させるというものだ。
 害こそ無いが、とてつもない快楽を感じるとはナーベラルの言である。

「な、なんだこれは? こんな珍妙な技で私を篭絡できるとぉ、思わない、ことだ」

「労っているだけだって。それより、若作りするのは止めたのか?」

 今のドラウディロンの姿は、幼女ではなく二十歳すぎくらいの年齢に見える。
 オロチは一度だけこの姿を見たことがあったが、それっきり幼女姿の彼女しか見ていなかった。
 もっとも、今は頬を蒸気させてあまり良い子には見せれない姿となっているが。

「若作り言うな。あれは、ほら、宰相にそっちの方が良いと言われていたから仕方なくやっていただけだ。私の意思ではない」

「あれって宰相の案だったのかよ……。つまりあの男はロリコンの変態って訳か。自分の主人に幼女の姿を強要するなんて、流石に国の重要人物ともなると業が深い。真面目そうな顔しているやつほどエゲツないってのは本当だったか」

「……一応宰相の名誉の為に言っておくが、あやつは魔法で性欲が無くなっている。決してロリコンという訳ではない筈だ。少なくとも子供の姿でいれば、ぞんざいには扱われないだろうというシンプルな考えだと思う」

 配下の者がロリコンの変態呼ばわりされるのは流石に忍びなかったのか、ドラウディロンはオロチに肩をマッサージをされながらその指摘を訂正した。

「魔法で性欲を? そこまでいくと狂気すら感じるぜ……。でもまあ、俺はいまのドラウディロンの方が好きだぞ?」

「すすす、すき!? ……いや、そんな甘言に絆されるような私ではないぞ! 竜の血を引く私が、その程度のことで――ひぃん!?」

「おっ、ここが凝っているみたいだ。念入りに揉みほぐさないと……な?」

「も、もう十分だ! これならもういくらだって仕事ができるからっ!」

「遠慮すんなって。もし遅れたら、そん時は俺も手伝うからさ」

 そう言って満面の笑みを浮かべながらにじり寄ってくるオロチは、まるで悪魔のように見えたという。

 

   

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