鬼神と死の支配者140

 宰相がオロチに語った内容は、簡単に言えばバハルス帝国の貴族の一人が戦争の準備を行なっているというものだった。
 ただ、戦争と言っても他国に侵攻するという訳ではないらしい。
 その貴族は自国……つまり自身が所属するバハルス帝国そのものに反乱を起こすつもりなのだとか。

「ふむ……それはバハルス帝国というよりも、その末端の貴族が勝手に暴走しているという感じか。あの男も大変だな。敵じゃなく、味方であるはずの貴族に足を引っ張られているなんて」

 宰相の話を聞いたオロチは、笑みを浮かべながらそう言った。
 言葉と表情がまるで一致していないが、現在のジルクニフとの関係性を考えれば妥当な反応だろう。
 いまは敵寄りの第三者……それがジルクニフ、ひいてはバハルス帝国とオロチの関係なのだ。
 極論を言ってしまえば、ジルクニフもバハルス帝国もどうでもいい存在である。

「それが、この問題は帝国だけの問題では無くなって来ているのですよ」

「どういうことだ?」

「先日、その反乱を企てている帝国の貴族から、我ら竜王国にも反乱に手を貸して欲しいという連絡が届きました。具体的には陛下を増援に寄越せ、と。ソシテ皇帝ジルクニフを討ち取った暁には、領土でも貨幣でも望み通りの物を用意する、なんてことも書いてありましたね」

「はっ、戯言だな。放っておけば、どうせ近日中にジルクニフに滅ぼされて終わりだろう」

 ジルクニフは人の中では優秀な支配者だ。
 ナザリックではあまり脅威と捉えられてはいないが、それでも奇跡に奇跡が重なれば、少しくらいはオロチたちに一矢報いる可能性もある。
 そんな相手に反乱を起こすなど、あっさり処理されて終わるだけだろう。

「ええ、取るに足らない者からの要請です。相手にする必要はないかと。しかし、密書にはまだ続きがありまして……」

 宰相は懐から紙切れを取り出してテーブルの上に置く。
 見てみろと促されたので、それを手にとって文字に視線を走らせた。
 前半部分は宰相が言っていたように反乱に協力してくれ、してくれれば褒美を出すということが長々と書き連られている。

 しかし、最後に向かうにつれて段々と本音が見え隠れし始めていた。

「……ぷっ、なんだこれ。もしかして脅してんのか?」

「そうなのでしょうね。この話を断れば、ジルクニフ帝の後に殺されるのは陛下らしいです」

 手紙の終盤には、救援を寄越さなければいずれ竜王国を滅ぼすというのが遠回しに書かれていた。
 この手紙を出した本人はずいぶんと都合のいい未来を見据えているらしい。
 そして、完全にオロチの力を見誤っている。

 今のバハルス帝国は長年争ってきたリ・エスティーゼ王国との戦争さえも、オロチの存在がチラついて様子見に徹している。
 にもかかわらず、こうして部下が竜王国にちょっかいを出して来ているのだから、皇帝のジルクニフが知れば発狂ものだろう。

「首を突っ込んでみるのも面白いかもな」

「陛下はこれがジルクニフ帝の罠ではないとお考えなのですか?」

「こんなつまらん罠を? それこそあり得ない。もちろん絶対という訳ではないが、十中八九ジルクニフは関わっていないと思われる」

「理由を聞いても?」

「ジルクニフは俺のことを恐れているんだ。少し前に行った俺との話し合いがよほど応えたらしい。もしあいつが俺を罠にかけるつもりなら、こんなに中途半端なことはせず、もっと致命的なダメージが与えられるタイミングで仕掛けてくるだろう」

「なるほど。確かにそう言われるとそうですね」

 いまのバハルス帝国の戦力では、到底オロチに対抗することはできない。
 もし仮に正面からぶつかり合ったとしても、圧倒的な力でオロチが一方的に蹂躙するという結果に終わるだろう。

 そして、そんなことはジルクニフもわかっているはずだ。
 呪いを解呪することでオロチ側に寝返ったレイナースからの情報でも、ジルクニフがオロチを恐れて慎重になっているというのは明らかである。

「ちゃんと土産を持って、ジルクニフくんの所に遊びに行くとしよう。俺とあの男は友人だからな。困っていたら助けてやらないと。宰相も来るかい?」

「遠慮しておきます。色々と片付けなかればならない仕事がありますので」

「そうか。なら、ドラウディロンを連れて行っても良いか? ここ最近ずっと仕事をしてくれていたらしいし、たまには息抜きくらいさせてやりたい」

「ええ、構いませんよ。溜まっている仕事より、お二人の夫婦仲の方が大事ですからね」

「ああ、仕事の方は大丈夫だ。昨日のうちに全部終わらせておいたから問題ない」

 宰相は僅かに目を見開く。
 ドラウディロンがため込んでいた仕事量はかなりのものだった。
 彼女はずっと真面目に作業をしていたが、それでも追いつかないほどの量が集まっていたのだ。
 だからこそ、簡単に終わらせたというその言葉を俄かには信じられなかった。

「……あの量を全てですか?」

「もちろんだ。あの部屋にあった物には、パパッと目を通してサインをしておいた。一応もう一度確認した方が良さそうな物もあったから、それはまた別でまとめてある。後で確認してみてくれ」

「確認しておきます。素晴らしい仕事ぶりですね、流石は陛下」

 宰相がオロチの働きぶりに感心していると、遠くの方から聞き覚えのある女性の声で『うぉぉぉぉおおおいいいぃぃぃ!!!』という叫びが聞こえてきた。

「噂をすれば、王妃様がいらっしゃったみたいです」

「……あいつはもっとお淑やかに出来ないのか? いまはもう大人の姿だろうに」

 そして勢いよく開かれた扉には、当然ドラウディロンの姿があった。
 ここまで全力で走って来たのか肩で息をしており、額にはうっすらと汗も滲んでいる。

「た、大変だ! 一大事だぞ宰相!」

「そんなに慌ててどうしましたか?」

「そ、それが……あんなに溜まっていた仕事がすっかり片付いているんだ! それも全部に旦那様のサインが記入してある。一体どういうことだ!?」

「そりゃ俺のサインが書いてあるんだから俺がやったんだろう」

「…………へ?」

 ドラウディロンは素っ頓狂な声を上げる。

「だから俺が終わらせたんだって。ただ流石にちょっと疲れたから、今度はお前にマッサージしてもらうとしよう」

 そう言ってニヤリと笑いかけてやると、ドラウディロンは昨夜の自分の痴態を思い出したのか顔を急激に赤くさせた。

「なっ!? あ、あんな破廉恥なことを私がするわけないだろう!」

「王妃様、今すぐ一流の職人たちにベビー用品を作らせておきますね」

「まだそんなの必要ないわ!」

 そんなやり取りをした後、オロチとドラウディロンはバハルス帝国へと移動した。

 

   

スポンサーリンク

タイトルとURLをコピーしました