「ふぅ、疲れたな……」
少し高めの宿を取り、そのままベッドに腰を下ろす。
しかし一息ついた俺とは反対に、ナーベラルは申し訳なさそうな表情で俯いていた。
「そんな顔をするな。あれはお前の所為じゃないんだから、怒ったりしない」
「……はい」
ナーベラルが返した返事は、本当に消え入りそうな小さな声だった。
「あいつらから巻き上げた金でこんなに良い宿に泊まれるんだから、むしろ褒めてやりたいくらいだ。良くやった、ナーベラル」
ナーベラルがなぜこんなにも落ち込んでいるかというと、事の発端は冒険者登録した後に起こった。
俺が少し目を離した隙に、組合の中にいた顔が赤くなるほど酔っ払った男が、ナーベラルに話し掛けてきた。
その男がどういう意図で話し掛けてきたのかは不明だが、ナーベラルはまるで相手にせず完全に無視を決め込んでいたらしい。
どうやらそれが男の癪に触ったらしく、組合を出た後にその男の仲間と思われる奴らに尾行されることになってしまう。
奴らの尾行なんてひどくお粗末なものだったからすぐに気がついたが、数が多い上にそれなりに組織立って行動していたため、尾行を撒くよりも迎撃する事を選んだ。
だが、騒ぎが大きくなると冒険者としての活動がやり難くなる。
そう思った俺は人通りが少ない路地へと入っていき、わざと襲われやすい状況を作ってやると、連中は俺の狙い通り好機とばかりに襲い掛かってきた。
実害が無かったので流石に殺すのはどうかと思い、気絶させるだけにとどめておいたが、金目の物は全て剥ぎ取ってやった。
そしてナーベラルは、自分の組合での対応の所為で俺の行動を邪魔したと反省しているんだ。
もちろん、俺はそんな風には全く思っていない。本人に理由を聞くまで落ち込んでいる理由が分からなかったくらいだ。
「いい加減落ち込むのはやめろ~」
「い、いひゃいでふ」
あまりに辛気くさい顔をしているので、ナーベラルの頬を引っ張って無理やり笑わせてやる。
む……思っていた以上にナーベラルの頬はスベスベで張りがある。
それに外見は誰もが認める美人だから、いつまでも触っていたいと思うくらいクセになりそうだ。
っと、強く引っ張り過ぎたのか頬が赤くなってしまった。
なので引っ張るのはやめ、ナーベラルの顔を両手で包み込むようにして俯いていた顔を引き上げる。
お、おう……美人の潤んだ瞳はこれほど破壊力があるんだな。
「落ち込んでいるナーベラルもよりも、お前はいつもみたいに生意気そうにムスッとしているくらいがちょうど良いんだよ。それに、どうせなら辛気くさい顔よりも笑顔を見せてくれ。せっかくの美人が勿体ないだろ?」
俺がそう言うと、赤くなっていた頰がボッという効果音が出そうなくらい更に赤くなった。
「か、かわわ、あわ、あわわわ!」
意味不明な言葉を連呼していると思えば、今度は突然きゅ~と言って倒れてしまった。
「お、おい! どうした、大丈夫か!?」
焦ってナーベラルのステータスを確認するが全く問題はない。
おそらくただ気絶しただけだろう。
ただ気絶した理由が分からないので、明日ナーベラルが起きたらポーションを飲ませるか。
倒れている彼女を抱き上げベットに運ぶ。
俺の力は人間だった頃とは比べものにならないほど強化されているので、ナーベラルくらいだったら軽々と抱えられる。
優しくベッドに下ろして布団掛けてやると、見ているこっちが笑顔になるくらい幸せそうな寝顔をしていた。
「……あんまり寝顔を見ているのも可哀想か」
いくら配下とはいえ女性の寝顔を見続けるのは失礼だと思い、俺もさっさと寝ることにした。
次の日の朝、ナーベラルの綺麗な土下座から始まったのは余談だ。
しかし、この日を境に俺とナーベラルの距離が縮まっていったように感じる。
◆◆◆
オロチとナーベラルが宿で眠っている頃、エ・ランテルの地下ではとある陰謀が渦巻いていた。
「ちわー、カジッちゃんに会いに来たんだけど……いる?」
薄暗い地下で、そんな場違いに明るい声が響く。
そんな声を出したのは、金髪のボブカットで整った顔立ちをしている、まだ二十歳ほどの若い女。
これが地下などではなく街中であれば、さぞ異性から声を掛けられていたであろう。
「その挨拶はやめないか……! 誇りあるズーラーノーンの名が泣くわ」
明るい声の女とは対照的にひどく苛立ったような口調だった。
その声の主はかなり高齢の男性だったが、その眼に宿している野望は並みの人間の比ではない。
「それで、いったい何の用じゃ」
「くふふ。こ~れ、持ってきてあげたんだよ?」
女は老人の苛立った声を気にした様子もなく、ティアラのようなものを指先で回しながらそう告げた。
そして、今まで無表情だった老人の顔がそれを見て初めて崩れる。
「そ、それは……! 巫女姫の証である叡者の額冠。スレイン法国の最秘宝のひとつではないか……!」
しゃがれた声で驚く老人に気を良くした女は、上機嫌で話を進める。
「そうだよ~。可愛い女の子がこれを着けてたんだけどさ、奪ってやったら……ふふふ、発狂しちゃったんだよね」
まるで玩具が壊れたとでも言うように話す女。
実際、彼女にとって人間はその程度にしか感じないのであろう。
それを聞いた老人も彼女と同類であり、それを聞いても不快に思うことはなかった。
「ふん。お主とて、元は漆黒聖典に所属していたのだ。そんなものを巫女姫から無理に奪えばどうなるか、知らない筈がなかろう」
叡者の額冠とは使用者の自我を封じることで、人間を高位魔法を発動するだけの兵器に変えてしまうアイテムだ。
一度身につけてしまえば簡単には外す事はできず、無理に奪えばその人間の精神はいとも簡単に壊れてしまう。
そして、これを所有していたのは彼女が元所属していた国だった。
なので無理に外したら使用者が壊れることなど、知らないはずがないのだ。
「どうだろうね~」
老人の指摘に、女はニコニコと無邪気な笑顔でそう返す。
「それにそのアイテム、適合する者が圧倒的に少ないではないか。いくら強力なアイテムであっても、使えなければただのガラクタに過ぎない」
「だからさ~、同じ秘密結社ズーラーノーンの幹部として協力しない? ――カジット・デイル・バダンテール」
女の口からその名が出た時、初めて老人が動揺したように表情を歪ませた。
「っ! ……デイルはすでに捨てた名だ。それで協力とは?」
それでもすぐにその動揺を隠すことが出来るのは、それだけこの老人が老獪な証拠だろう。
「このエ・ランテルの街には、どんなアイテムでも使用可能にするタレント持ちがいるんでしょう? そいつならこのアイテムも使えるんじゃない?」
「攫うくらいなら、我と協力せずともお主ひとりで十分ではないか。何故わざわざ我に協力を持ち掛けた?」
「ふふふ、どうせなら派手にいきたいと思ってね。できるだけ騒ぎを大きくしたいんだ。その方が面白いでしょ~?」
端正な顔を邪悪に歪ませ、ケラケラと笑いながらそう答えた。
彼女は自分が楽しめれば他人の事などまったく気にしない。そういう歪んだ精神の持ち主なのだ。
「ふん、良いだろう。我の計画に協力するというのなら、一時的に手を組もうじゃないか、クレマンティーヌ」
そして方向性は違うが、老人も目的のためなら手段を選ばないという危うさがある。
こうして、ある意味似た者同士の悪人たちが手を組むことになった。
しかし彼らは知らない。
この街には今、自分たちでは想像もつかない程の力を持った人物がいることを。