鬼神と死の支配者144

 ジルクニフは紅茶を口に運ぶペースが自然と多くなっていた。
 あくまでも平静を装って微笑を張り付けてはいるが、極度の緊張で無性に喉が渇いてしょうがない。
 少しでも気を緩めれば手が震えてしまいそうだった。

 その原因はもちろん――オロチである。

「いきなり押しかけてすまんな。迷惑だったか?」

「そんな事はないとも。オロチ殿であればいつでも大歓迎だ。ただ、こちらとしても歓迎の準備がしたかったものでね。次はできれば事前に一言もらえると助かるかな」

「わかった。次からは出来る限りそうしよう」

 そんな会話でジルクニフはオロチの目的をそれとなく探っていく。
 だが、オロチは涼しい顔で紅茶を飲んでいるだけで、このままでは何をしようとも本題が進まないように感じた。

 これまでの経験から考えると、オロチが絡んだ物事は総じて胃が痛くなるような事ばかり。
 今回もおそらくはその類いだと思われるが、どうせ厄介な話を持ち込まれるのならば、いっそ担当直入に話して欲しいとジルクニフは思っている。

「あ、そうだ。今日は手土産を持ってきたんだよ。手ぶらで来るのも失礼かと思ってさ」

「……手土産?」

 嫌な予感しかしない。
 正直受け取りを拒否すると申し出たいくらいなのだが、弱い立場にあるジルクニフにそんなことが出来るはずもない。
 彼の内心を嘲笑うかのような笑みを浮かべ、オロチは何処からともなくありふれた見た目の袋と紙切れを取り出した。

「まずはその紙から読んでくれよ。色々と笑えることが書いてあるから」

「ふむ、拝見しよう」

 訝しげに文字を読み進めていくジルクニフだったが、一文字読むごとに顔の筋肉が強張っていくのが明らかに見て取れる。
 そしてそれは、次第に引きつった表情へと変わっていった。
 オロチが渡したのはロールソン伯爵から送られてきた脅迫状である。
 端正な顔にダラダラと汗が流れ、まるでその状態が彼の内心を表しているようだった。

「はははっ、なんて顔してるんだよ。別に俺はお前やバハルス帝国をどうこうしようなんて、もう思っていないから安心してくれ。そいつを殺したのは、俺がただムカついたからという簡単な理由だ。直接会っても不愉快な男だったしな。むしろ、お前には事後報告になって申し訳ないと思っているくらいだ」

「それは……私もロールソン伯爵のことはあまり良く思っていなかった。現に先ほど部下に処分するよう命じていたくらいだからね。だからオロチ殿に感謝こそすれ、恨みごとを言うつもりは全くないよ」

 もう少し早く処理しておけば……そんな後悔がジルクニフの胸中に広がった。
 取るに足らない愚物の一人であるジョシュア・ロールソンと、今や一国の主となって益々力を大きくしているオロチ。
 どちらを選ぶかなど考えるまでもないだろう。

 しかし過去の事はどうしようもない。
 今できることは、これ以上オロチとの関係に亀裂を入れないことだけである。

「そう言ってもらえると助かる。ところで、レイナースは元気にしているか?」

「元気にしているさ。ただ、オロチ殿へ熱を上げているようだから少し扱いに困っていてね。そこでどうだろう。この機会にオロチ殿直属の配下として召し抱える気はないか?」

「うーん、いま俺のところに来ても使い道がない。それに前にも言った気がするが、友人のところから人材を引き抜くなんて真似はしたくないんだ。だから遠慮しておくよ。彼女は優秀なんだから、お前さんの役にも立つだろう」

「ははは……そうか。貴殿の配慮に感謝する」

 迷惑だから連れて行けとは言えない。
 この際、以前までと同じようにレイナースを重用した方が良いとさえ思えてくる。
 そうすれば重圧のひとつから解放されるかもしれないのだから。

「なぁジルクニフ、俺はお前のことを結構気に入ってるんだぜ? 出会いこそはちょっとした行き違いで険悪なムードだったが、今はもうそんなことは気にしていない。できれば本当に仲良くしたいと思っているくらいだ。俺は優秀なやつが好きだからな」

「それは、私にとっても喜ばしいことだが……」

「じゃあ決まりだな。実はちゃんとした手土産も用意してあるんだ。一緒に呑もうぜ」

 オロチが取り出したのは酒と二つのワイングラスだった。
 その酒は血のように赤いワインで、実はナザリックで製造されている最高級の逸品である。
 ジルクニフは恐る恐るといった様子でグラスに口を付け、そのワインを口に含んだ瞬間、彼の表情が驚愕に染まった。

「……美味いな。それなりに多くの酒を飲んできたが、これほどまでに素晴らしい物は飲んで事がない」

「気に入ってもらえたなら何よりだ。さ、遠慮せずどんどん飲んでくれ」

「頂こう」

 酒に逃げたい気持ちもあったのかもしれない。
 どんどん酒が進み、ジルクニフは徐々に緊張がほぐれていくのを自覚した。

「おっと、お前が酔い潰れる前にもう一個だけ話があったんだった。むしろそっちが本命なくらいの」

「何を聞かされるのか、正直怖いな。くれぐれもお手柔らかに頼むよ」

 アルコールが入り、さっきまでよりは幾分か緊張が取れた表情でオロチの話に身構える。
 まだ半信半疑ではあるが、少しずつオロチとの共闘体制を築こうとしているのだろう。
 もっとも、それが良い事なのか悪い事なのかはまだわからないが。

「そっちでも既に掴んでいるかもしれないが、実は最近ビーストマンが占拠していた土地に街を建設している。名前は『ヘルヘイム』。街全体が娯楽施設だらけみたいな感じで、とてもロマンがある場所にする予定だ」

「……あの動きはそれだったのか。つまり、バハルス帝国にそれを援助しろということで良いのかな?」

「話が早くて助かる……と言いたいところだが、今のところその必要はない」

「うん? それじゃあ一体、私は何をすれば?」

 てっきりジルクニフは資金や人材を提供しろと言われるのだと思っていた。
 街を建設するというのは、当然だが莫大な費用と人手がかかってしまう。
 無償で手伝わされるのは確かに痛いが、ロールソン伯爵の件でこちらに不手際があったと考えれば、そのくらいの出費は必要経費と割り切れる。
 しかし、それが必要ないとはどういう事なのか。

「はは、別に何かをしろって言いに来たわけじゃないんだ。あ、いや、そうでもないか。少しその都市の宣伝に協力して欲しいってくらいだ。いずれは全ての国から客がくるようにしたいと思っているからな」

「それくらいなら手間でもないし、竜王国と友好的な立場だと他国に強調できるから、此方としても願ってもないことだ。喜んで協力させてもらう」

 

   

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