物音一つ聞こえてこない廊下を歩きながら、オロチは周囲を観察していた。
まったく乾いていない真っ赤な血が辺り一面に広がり、しかし死体が何処にも転がっていないのが不気味さを際立たせている。
ひと昔前のホラー映画に出てきそうな様相を醸し出していて、もしもこの手の雰囲気が苦手であればまず間違いなく逃げ出していただろう。
「壁中に飛び散る血潮、床には大量の血溜まり……なんか幽霊屋敷みたいになっているな」
飛び出して行ったクレマンティーヌとシズの後を追ってオロチも探索を始めたが、中は既にこの有様だった。
彼女たちの張り切り具合が伺える。
とはいえ、懸念していた一般人らしき人間の姿も屋敷内にはなかったようで、目の前にあるおびただしい血を見る限りでは、二人は順調に犯罪者たちを始末していっているようだ。
この調子でいけば予定よりも早く片付くかもしれないので、やる気がある分にはオロチとしても文句は無い。
ちなみに回収した死体はアインズの実験に使われ、ナザリックの新しいアンデット兵士になる予定である。
「俺も手伝おうかと思っていたが、これなら全く必要なさそうだ。むしろ何もする事が無くて暇なくらい……うん?」
歩みを進めていたオロチだったが、そこでふと周囲の様子に違和感を覚えた。
キョロキョロと辺りを見渡せば、常に前へと進んでいる筈なのに先ほどから同じ場所を歩き続けている――まるでデジャブのような奇妙な感覚に陥ったのだ。
(さっきもこの廊下を通った気がするんだが、俺の気の所為か?)
似たような造りになっているから錯覚したのだろうと、初めはそう思っていたがどうもおかしい。
部屋のドアの位置や調度品の配置が同じという程度であれば勘違いで済ませるが、床や壁に飛び散っている血の形がまるっきり同じなのを偶然で片付けることはできなかった。
特に血がべっとりと付着している絵画や彫刻はどう考えても同じ物である。
一度見た物は決して忘れない……などという能力がある訳ではないが、ついさっき見た光景を忘れてしまうほど呆けてもいない。
オロチは前に歩き続けているので、同じ場所をグルグルと回っているなどというマヌケな事はあり得なかった。
となれば、この屋敷自体に何らかの仕掛けが施されているということに気が付く。
「ふむ、中々に面白いな」
傍から見れば敵の術中にはまってしまった緊急事態だが、オロチは今のこの状況を楽しむ余裕があった。
ユグドラシルプレイヤーにとって、この程度のピンチはさほど焦るようなものではなく、ビックリハウスに迷い込んでしまったくらいの軽い気持ちである。
自分を脅かす存在や想定外の出来事が中々起こり得ないので、今も焦燥感より好奇心が勝ってしまっていたのだ。
強者の余裕とも言う。
あまりよろしくはない感情が表に出てきてしまっている事を自覚しながらも、気を引き締めてこの現象について考察を始めた。
(同じ場所に戻ってしまうトラップか。迷宮系のダンジョンなんかでは良くある仕掛けだが、まさかこの屋敷にそんな物があるとはな。犯罪者の癖に結構やるじゃないか。ここにいる連中のトップはずいぶん用心深い人物らしいな)
念のために前ではなく後ろに進んでみるも、結果は同じく元の場所に戻されてしまった。
オロチには状態異常などの特殊効果は効かないが、対象がオロチではなく屋敷全体に作用する効果であれば、実際に今こうしてループしているように例外なく発動してしまうのだ。
なるほど。
偶然だろうがオロチの弱点を突く良い罠である。
こういったトラップには実害があるものが殆ど無く、マジックアイテムの効果によって齎されることが多いとはいえ、一瞬でもオロチの気を紛らわせたのは快挙と言えるだろう。
更にこんな仕掛けがあるとなれば、順調に仕事を進めていると思われていたクレマンティーヌたちもどうなっているのかわからない。
最悪、彼女たちは自分の身を守れるだけの力はあるが、それでも敵の何人かには逃げられてしまう可能性が出てくる。
「……だけどまぁ、ここはあの二人に任せてみるか。何人かに逃げられるかもしれないが、その時はまた探し出して処理すればいいさ。それよりも、だ。この類いのマジックアイテムは確かナザリックの倉庫にも無かったはず。何とか入手して、ヘルヘイムの興行に使えれば最高だな」
しかし、オロチは焦ることなく二人に任せる選択をした。
プレアデスの一人であるシズやオロチに鍛えられたクレマンティーヌは、この世界の人間とは比較にならない戦闘力を有している。
もし万が一にでも二人に危険があるのであればすぐさま助けに向かうが、どう考えても彼女たちを倒し得る存在がいるようには思えなかった。
ならば自分は大人しく探索を続け、この現象を引き起こしているマジックアイテムを探す方が建設的だと考えたのだ。
いつでも潰せる犯罪者より、今はマジックアイテムの方に興味が移っていた。
「そうと決まれば早速アイテム探しを始めよう。まずは、この部屋の中からだな」
手近なドアに手を掛け、慎重に中へと入っていく。
一見何の変哲も無い部屋に見えるが、こういった場所に抜け道が隠されていることも十分に考えられるので、どんな些細な物でも見逃さないように集中していた。
「お前も侵入者たちの仲間か?」
そんな声が聞こえてきたのは、部屋に入ってから数分後の出来事だった。