オロチが後ろを振り返ると、そこには黒い鎧を身にまとった騎士のような出で立ちの人物がいた。
その佇まいを見る限りではそこそこの実力者といったところだろう。
ただ、オロチの目から見れば物足りないと言わざる得ない。
はっきり言って、視界に入れることさえ億劫になるほどの強さしか感じ取れなかった。
煩わしいと感じ、そのまま黙って自分の前から消えてはくれないものか……そんな事を考えるオロチだったが、当然相手の男はこちらを向いたまま動かない。
それどころか先ほどからずっとこちらを見下したような視線を送ってきている。
思わずため息が溢れそうだった。
すると騎士風の男は、そんなオロチの態度で更に苛立った様子を見せる。
「貴様は口を開くことさえ出来んのか?」
「ん? ……あぁ、何だ。俺に話しかけていたのか。すまんすまん、虫ケラみたいな奴が口を利いていると驚いてしまった。それで何か用か、虫ケラ君」
「はっはっは、俺が侮辱されたのは久しぶりだぞ。この国にもまだそんな無知な奴がいるとはな。これは非常に甚振り甲斐がありそうだ」
ペロリと舌舐めずりをする男。
それを見たオロチは不快感を露わにした。
しかし、この手の人間は余計な事までペラペラと喋ってくれる愚か者が多い。
自分が圧倒的な強者であると油断して、どうせ殺すのだから冥土の土産とばかりに情報を与えてくれるのだ。
故に、その気になれば瞬殺できるであろうこの男を一時見逃し、このまま会話を続ける事にした。
「へぇ、アンタは有名人なのか。そりゃすごい、吃驚だ」
「ふざけた奴だな。自分の状況が理解できない、よほどの大馬鹿者か。世間を騒がせている『狂信者』とやらが、いよいよウチにも来たんだと期待していたのだがな」
そう言って騎士風の男は呆れたような視線を向けてくる。
今は着物の上から黒の外套を羽織っているので、彼はオロチのことをオロチだと認識していないのだろう。
でなければこんな反応が返ってくるはずがない。
たった一人で国ひとつ滅ぼしてしまうような男を相手に、上から物を言うなど自分から地獄へ落ちていくのと同義である。
「ガッカリしているところ悪いんだが、少し聞かせてくれ。この屋敷は一体どうなっているんだ? さっきから同じところをグルグル回っていてな。どうやったら抜け出せる?」
「敵であるお前に言うわけなかろう」
「どうせ俺を殺すつもりなんだから、教えてくれても良いだろ。死ねば一緒じゃないか」
「ふむ、確かにそうだが……」
相手が迷っているこのタイミングで、オロチはとあるスキルを発動させた。
『幻惑の魔眼』。
対象の判断力を少しだけ鈍らせる効果がある魔眼系のスキルだ。
ユグドラシルではプレイヤーには効果はなく、NPC相手にしか効力を発揮しなかったが、この世界では魔力抵抗が低い者であれば誰にでも使用することが出来る。
このスキルの本来の使い方としては、戦闘中に相手に使用する事で一瞬だけ判断力を鈍らせるという使用方法だ。
ただ、プレイヤー相手には無効化されてしまうので、むしろ隙が出来てしまう『外れスキル』だった。
しかし、この世界で油断している相手に会話中で発動すると――。
「……まぁ、別に教えてやっても良いか。それじゃあよく聞けよ? ここから抜け出す為には、どこかに入り口がある隠し部屋に入る必要がある。そしてその部屋に設置されているマジックアイテムを停止させれば、このループも止まるって寸法だ」
「お前が自由に動けるのは何故だ?」
「俺たちにはコイツがある」
男は自慢気に手首のブレスレットを見せてきた。
どうやらそれを身につけていれば、先ほどのループの効果から外れられるらしい。
意外と使い勝手が良いマジックアイテムのようだ。
益々手に入れたくなる。
ただ一方でオロチは、このペラペラと喋る阿呆に感謝すると同時に呆れていた。
スキルを使ったからこそ情報を吐いてくれているのだろうが、ここまで来ると本人の性格という面が強い。
つまり、底抜けの愚か者であったということだ。
こういう輩は見るだけでも疲れてしまう。
「なるほどね。よし、じゃあもういいぞ。俺は見逃してやるから、さっさとどこかに消えろ。気が変わらないうちにな」
「フンッ、恐怖で頭がイかれているらしい。だが安心しろ。貴様もすぐにお仲間のところへ送ってやるから」
「あの二人の相手をするのに、お前たち程度だと役不足だと思うがな」
目の前の男と同程度の実力の者たちが束になったところで、どう考えてもクレマンティーヌとシズを倒せるはずがない。
彼女たちは人間で言うアダマンタイト級冒険者以上の力を有しており、単純な戦闘力だけで言えば、とてもじゃないが人類が勝てる相手ではないのだ。
騎士崩れの犯罪者たちが勝てるなどとは勘違いも甚だしい。
すると、唐突にオロチがフッと笑みを浮かべた。
「どうやら時間切れみたいだ。せっかく人が見逃してやろうと思ったのにな。そいつはもう用済みだ。やれ――シズ・デルタ」
「かしこまりました」
「っ!?」
突然聞こえてきた第三者の声に慌てて振り向き、そして――男は呆気なく最期を迎えた。
背後から音も無く現れたシズは、オロチから渡されていたナイフで的確に頸動脈を切り裂き、その命を死神のような手際の良さで刈り取ったのだ。
彼女の能面みたく冷たい表情も相まって、冷酷無比な殺人マシーンのような印象を受ける。
もちろん、オロチからすればそんな所も愛おしいのだが。
「ご苦労さん。助かったぞ、シズ」
そう言ってオロチが頭を撫でてやれば、シズは僅かに頬を緩ませて少しだけ感情を見せたのだった。