「おはようございます、オロチ様」
「ああ。おはよう、ナーベラル」
そう言いながら眠そうに瞳を擦りつつもしっかりと返事を返してくれるオロチに、ナーベラルは言い表せないほどの幸福感を感じていた。
オロチと共に冒険者となり、こうして朝を迎えるのはまだ2回目だが、この立場を他のプレアデスの同僚たちに譲りたくないという気持ちが生まれている。
いち配下である自分がこのような気持ちを抱くのは、もしかしたら不敬なことなのかもしれない。
そんなことを思う一方で、この問題の原因は目の前でボケーっとしている自らの支配者にあるとナーベラルは思っている。
普段あれほど頼もしく思える背中が、この時間に限っては普通の少年のような子供っぽい一面を見せてくるのだ。
これこそが至高の四十一人のひとり、タブラ・スマラグディナ様が仰っていた『ギャップ萌え』というものなのかと、ナーベラルは戦慄する。
自分の内側から湧き上がってくるこの感情は不可解だが、決して不愉快なものではない。むしろ心地良くすら感じるのだ。
だからこそナーベラルは、今この瞬間の幸せを誰にも渡したくないと思っていた。
「元々俺は寝起きに弱かったけど、この世界に来てから更に弱くなった気がするな。もしかして唯一弱体化した部分かもしれん」
そう言ってベッドから降りグッと伸びをする。
寝起きで凝っていた体がほぐされ、血液がしっかりと流れていく感覚だ。
そのおかげでしっかりと目が覚めたのか、そのまま洗面所まで行きバシャバシャと顔を洗う。
そして、抜け目なくタオルを用意してくれていたナーベラルからそれを受け取り、顔の水気を拭き取る。
ふと顔を上げて鏡を見てみると、そこにはかつてオロチがユグドラシル内で使っていたキャラが映っていた。
「……って、俺か。未だにこれが自分の顔だって忘れてしまうよ、これじゃあ」
「オロチ様の御尊顔はまさにナザリックの宝。どれほどの宝物よりも価値があります」
「そうは言ってもなー、流石に元の顔から離れすぎて違和感しかない。キャラ自体は見慣れている筈なんだけど」
鏡に映っている姿は黒髪紅瞳の少年だ。
顔中のパーツがひとつひとつ芸術品のようなバランスで配置されており、10人に聞けば10人がイケメンと答えるくらいには整った顔立ちをしている
もちろんオロチの元の顔はこれほどイケメンではない。
それどころか、こんな顔の隣に並べば引き立て役にすらなることは出来ないだろう。
そのくらい今のオロチの容姿は浮世離れしていた。
「そのお姿も芸術品のように素晴らしいですが、戦闘時に見せるあの雄々しい姿も本当に素敵です」
「そ、そうか。ありがとう」
前世では中々お目にかかれないほどの美人であるナーベラルにそう言われ、オロチはどこか照れ臭そうに返事を返した。
ちなみに、オロチは自分の今の容姿を褒められて喜んだのではなく、戦闘時に見せる鬼の姿を褒められたのが嬉しかったのだ。
元々ユグドラシルのキャラメイクで作成したのは異形種である鬼だった。
鬼というのは妖怪系の種族のひとつで、鬼の名に相応しいそれはそれは凶悪なアバターを作成していたのだ。
人間種のイケメンアバターを殺戮していくのが爽快で楽しかったのを覚えている。
ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』にスカウトされてからは、ギルドメンバーである『ヘロヘロ』や『ク・ドゥ・グラース』の協力という名の魔改造も加わり、更に凶悪な鬼へと進化を果たすことになる。
しかしある日、種族レベルを鬼系統で固めていくと『鬼神』という種族を獲得した。
鬼神というのは鬼系の最高位の種族であり、当時のオロチは碌に調べもせずそれを取得して――多少後悔する事になる。
なぜなら自分が愛用していた鬼のアバターが戦闘時だけのものとなり、普段は人間形態のままとなってしまったからだ。
初めはアイテムを使って鬼神を消そうかと迷っていた。
だが、この種族はその点以外は非常に高性能であり、ギルドメンバーにも強く反対されたので渋々オロチは人間のアバターを受け入れたのだ。
そしてその人間形態のアバターも魔改造が施され、自分がかつて鬼として刈り取っていたイケメンたちを軽く越えるアバターが爆誕したのだった。
なお、そのイケメンたちに自分たちよりもかっこよくなったオロチが粘着されることになったのは、オロチにとって苦い思い出だろう。
その後鬼形態のアバターを恐いという者はいても、先ほどのナーベラルのように褒めてくれる人物は非常に稀だったので、思わず照れてしまったのだ。
「あー、うん。早く朝飯を食いに行こう。腹が減った」
誤魔化すようにそう切り出すオロチ。
まさか自分程度の言葉で自らの主人の心をかき乱しているとは夢にも思わず、ナーベラルはいつもの鉄仮面でオロチの後ろに追随する。
(くそ~、配下相手に赤面するなんて……。こうなれば支配者としてのプライドを保つ為にも、このむっつりナーベラルをデレさせてやる! なに、このイケメンアバターなら問題あるまい!)
そう密かに心に誓い、朝食を軽く済ませて宿を出る。
この宿で出される料理は決して不味くはない。それでもナザリックで食べるような物とは比較するだけ無駄、というくらいの明確な差があった。
今日でナザリックを離れて3日目になるのだが、早くも料理長が作った料理が恋しくなってきたところだ。
一流の料理人である配下が調理した料理を思い出し、ついさっき朝食を食べたばかりだというのに空腹感が襲う。
このままではグゥ、と腹が鳴ってしまうと思い、頭を振り払って意識の外へと追いやる。
せっかくナーベラルをデレさせると意気込んでいたばかりなのに、ここでそんな音を出してしまえば全てが台無しになってしまう。
むしろそんなことでも褒め称えてくるナーベラルを容易に想像できてしまい、更なる辱めを受けること間違いない。
「今日は冒険者の仕事はせずにエ・ランテルの街を探索するとしよう。当初の予定だった冒険者稼業は、想定していたより簡単だったからな。偶にはそういう日があっても良いだろう」
「仰せのままに」
こうしてオロチは違和感なくナーベラルを連れ回す理由が出来た。
まずは第1段階完了といったところか。そして次のプランを頭の中で組み立てていく。
(現実世界での女性経験は少ないが、ギャルゲーで鍛えた膨大な量のデートプランに死角は無い!)
オロチの前世での女性経験は少ない。
全く無いというわけではないが、女性を意のままに落とすようなテクニックは持ち合わせていなかった。
しかしギャルゲーでは膨大な数のAIを落としてきた経験がある。
それこそ攻略が困難なキャラクターであっても誰よりも先に攻略してしまうことから、某掲示板サイトで英雄扱いされたこともあった。
だからオロチにはしっかりと勝算があったのだ。
「さぁ、今日は楽しもうじゃないか」
そう言ってオロチは余裕の笑み――というよりも無邪気な笑みを浮かべて意気揚々と歩き始める。
そしてそれを見たナーベラルは微笑ましいものを見るかのような暖かい笑みを溢した。
周りに映っているふたりの姿は友人にも、仲の良い姉弟にも、そして――恋人のようにも見えたのだった。