プルトンと少しばかり話し込むと、彼は一区切りついたタイミングで組合の方へと戻って行った。
組合長としてまだ終わらせておかなければならない仕事がまだ残っているらしく、ここでゆっくりしている時間は無いとのこと。
中間管理職が面倒なのはこの世界でも同じらしい。
本人はメイドが用意した茶菓子が気に入ったようで本気で名残惜しそうにしていた。
「きゅーいっ」
「ん、もう起きたのか。気持ちよそうに寝てたけど、その様子だとちゃんと休めたみたいだな」
「きゅい!」
昼寝から戻ってきたコンスケが勢いよくオロチの肩に飛び乗った。
コンスケをメイドに託してからまだ一時間ほどしか立っていないが、一目でわかるくらいには元気が溢れており、その姿に思わずオロチの口元が緩んでしまう。
ブラッシングをしたことで汚れもなく毛に光沢が出ていて、よりぬいぐるみっぽさが増している。
ついつい撫でる手が出てしまうのは仕方がないことだろう。
(このままだらけているのも悪くはないが、そうすると一日が全て無駄になりそうだな。別にコンスケとの時間が無駄とは言わないけど)
さて、オロチがエ・ランテルの街までわざわざやって来たのは、ブレインをビーストマンとの戦いに連れて行く為だ。
プルトンにも了承を得た今、目的の大半は達していると言っていい。
このままコンスケと遊んでいても良いのだが、時間があれば刀を振っておこうと思っていたので鋼の精神でグッと堪えた。
「このところあまり身体を動かしていなかったから、これから少し刀でも振っておこうと思っているんだが……お前はどうする? まだ寝てても良いし、メイドたちに何か食い物でも作ってもらってきても良いぞ」
「きゅい!」
もちろん付いて行く! そんな意味合いが込められた鳴き声。
「いいけど、俺が刀を振り回しているだけだから多分面白くはないぞ?」
「きゅいっ」
「そこまで言うなら何も言わん。飽きたら外で寝ていればいいしな」
自分の腰に差してある『童子切安綱』の柄に触れながら、オロチは庭へと出て行った。
◆◆◆
青髪の剣士――ブレイン・アングラウス。
彼は人間の中でも上位に位置する実力を有している。
今しがた並みの冒険者であれば丸一日かかってしまう依頼を、たった数時間で達成したことを鑑みてもその実力が嘘ではないとわかるだろう。
「お疲れ様でしたブレイン様。ボガードの群れを短時間で討伐してしまうなんて流石ですね」
「いや、俺なんてまだまださ。むしろ所詮はゴブリンに毛が生えた程度の強さしかないボガード相手に遅れを取るようなら、また一から修行し直さなければならないよ」
ブレインの言葉に他意はなく、本心からそう思っての言葉だった。
ただ、どうやら受付嬢はそれを謙遜と受け取ったようで、彼女の中で謙虚な紳士としてブレインの評価がグンッと上昇する。
「あの、ブレイン様。失礼ですが今晩の予定などは……」
「すまないな。今日はこの後予定があるんだ。それも何よりも大事な予定が、ね」
「そ、そうですか」
受付嬢からの熱い視線に気付かず……いや、気付いていながら敢えて気付いていないふりをした。
今の彼には女に現を抜かしている時間は無いのだ。
これまで何度もそういった誘いを受けることはあったが、オロチと出会って以来、自らを高めること以外には時間を割いていない。
狂気的なまでのストイックさである。
「それじゃあ俺は行く。また討伐系の依頼が出たら教えてくれ」
「かしこまりました」
他の冒険者たちから勧誘を受ける前に、そそくさと組合を後にした。
そうして依頼の報告を終えたブレインが向かう先は宿……ではなく富裕層の住宅が立ち並ぶ区画だ。
言わずもがなオロチの屋敷へと真っ直ぐに歩を進める。
その足取りは今にも走り出しそうなほど非常に軽い。
まるで遠足前の子供のよう待ちきれない、そんな様子だった。
(もしかしたら、これで停滞している現状を変えられるかもしれないからな。師匠がわざわざ俺を連れて行くってことは、きっと何か意味があるはずだ)
簡単に言えばブレインは今、成長の壁にぶち当たっていた。
いくら経験値をブーストさせるアイテムである木刀を装備していても、エ・ランテル周辺にいるモンスターが相手では大してレベルが上がらないのだ。
それを感覚的に理解しているブレインは更なる強敵を求めており、今回のオロチの話はまさに渡りに船であった。
たとえそれがビーストマンとの戦争だったとしても、だ。
彼からすればそこがどんな地獄であろうとも、自分が強くなれる場所であればどこでも良かった。
強さを求めることがブレイン・アングラウスの生きる意味。
もちろん剣の道を極めるまで死ぬつもりはないが、もしも道半ばで倒れたとしても本望であると、そう本気で思っているのだ。
(師匠に稽古でも付けてもらえれば、少しくらいは何か掴めるのかね? ……正直、ボロボロにされるか殺される未来しか見えないけど)
えらく現実味のある未来を振り払うように歩く速度を速め、オロチが待つ屋敷へと向かう。
そしてそこで彼が目にしたのは、まるで剣の神が地上に降り立っているような光景だった。
(師匠……?)
思わず声を掛けることを躊躇ってしまうほど真剣な表情を浮かべるオロチ。
それだけではなく神秘的な空気すら感じる。
だが刀を上段から振り下ろす、ただそれだけの動作がここまで美しく見えるなど理解ができなかった。
剣筋が目に見えないほど速いわけでも力強いわけでもないのだ。
にもかかわらず、ブレインはオロチから目を離せないまでに魅了されてしまっていた。
そうして一体どのくらいの時間が経っただろうか。
一分程度の短い時間かもしれないし、一時間かもしれない。
オロチが小休憩を挟むまで、ブレインは食い入るようにこの光景を目に焼き付けていた。
自分との差を噛みしめるように。