オロチはただひたすらに刀を振り続けていた手を止め、先ほどからピクリとも動かずに自分を観察していたブレインに視線を向けた。
見ていただけなのに彼は大量の汗をかいている。
それこそ、実際に刀を振るっていたオロチ以上に。
大方、少しでも技術を盗んでやろうという腹積もりだったのだろう。
「何か掴めたか?」
「……いえ、何も。お恥ずかしながら、俺程度では推し量れないことをやっているとしか分かりませんでした……」
「今のを見てそれがわかれば十分だろう。俺もできる、なんてふざけた事をぬかしていれば腕がねじ切れるまで刀を振らせていたところだ」
その言葉に嘘はない。
力を見誤っているようならばそれをへし折る必要があったし、自身の弱さを認めることが出来るのは強くなる上で重要になってくる。
その上、技を盗んでやるという気概はオロチも好ましく思っており、その姿勢は共感できるものがあった。
「ブレイン、せっかくだから今から稽古でも付けてやるよ。ビーストマンとの戦いであっさり死なれても困るしな。今日だけで何かが劇的に変わるわけじゃないだろうが、多少は生存率が上がるかもしれない」
「っ! お、お願いします!」
そうは言っても、もし仮にブレインが死んだとしても、オロチは彼を蘇生してやっても良いと思っていた。
無論その時の気分次第ではあるが、よほど面倒だと思わない限りはまだ手元に置いておくつもりでいる。
(さて、とりあえず稽古でうっかり殺してしまわないような武器がいるな。……うん、あれでいこう)
流石に愛刀の刀を使えばどれだけ手加減していても殺してしまう可能性があるので、アイテムストレージの中から非殺傷の武器である『ピコピコハンマー・天』を取り出した。
その名の通り、この武器の見た目は完全に玩具のピコピコハンマーだ。
言わずもがなネタ武器である。
攻撃力は皆無で、どれだけ強く叩いても決して物理的なダメージを負わせられないという効果を持つ武器。
いくらダメージが無いと言っても衝撃はしっかりあるし、何より玩具で圧倒されるという精神的なダメージは計り知れないだろうが。
ただ、オロチが持っているのが武器とは思えなくとも、ブレインに油断する気配はない。
武器で彼我の実力差が変わってしまうなどと自惚れてはいないからだ。
彼はオロチから譲渡された木刀を構え、真剣な眼差しで戦闘態勢に入った。
(とりあえず武器を木刀のままで良いとしても、防具の方はそれなりの物を渡すか。神器級とか伝説級は論外だが、聖遺物級くらいの装備なら腐る程あるし懐も痛まない)
アイテムの等級としては上から順に『神話級』、『伝説級』、そこからガクッと性能が下がって『聖遺物級』、『遺産級』と続いていく。
この世界の一般的な冒険者ではそれらよりも更に下の『最上級』や『上級』といったアイテムを装備している。
アダマンタイト級の冒険者であれば極々稀に『聖遺物級』や『遺産級』を装備しているので、その事を考えればたとえ『聖遺物級』のアイテムであっても泣いて感謝する事だろう。
ちなみに、今はオロチが装備している『ピコピコハンマー・天』は伝説級の装備であり、作製にあたってとてつもなく豪華な素材が惜しげもなく使われているのだが、それは精神衛生上知らない方が幸せである。
「ちゃんと相手をしてやるのはこれで2回目か。前回から少しは成長していると良いんだが……まぁ、とりあえず好きに掛かってこい。もちろん、俺を殺す気でな」
「――参ります」
言うや早いか、さっそく地面が抉れるほどの速度で肉薄し、その速度を殺さずに木刀を突き刺す形で突撃してきた。
なるほど。
ブレインのレベルが上がったことで身体能力が大幅に底上げされているらしく、前回戦った頃と比べても桁違いに強くなっていることがわかる。
彼が振るう太刀はその全てが必殺の力を込めた一撃で、本気で仕留めに来ているというのが伝わってきた。
間違いなくアダマンタイト級の冒険者よりは強くなっているだろう。
今ならばリ・エスティーゼ王国に於いて最強とされているガゼフ・ストロノーフにだって油断しなければ簡単に勝てる筈だ。
「くっ、はぁ! せぇええいっ!」
「まぁまぁだな。思ったよりは強くなっているが、俺が満足できる強さではない。呼吸を乱しても集中は切らすな。一瞬の油断で死ぬぞ?」
しかし、オロチはそれを涼しい顔で回避していた。
どれだけ速く振り下ろそうとも、どれだけ重い一撃を振るおうとも、相手に当たらなければ意味がない。
それどころかこうも打ち合いにすらならないとなれば、どんな体力自慢であっても呼吸が乱れて動きに精彩を欠いていく。
今のブレインの動きはまさにそれだった。
「は、はいっ!」
知らぬ間に熱くなっていた頭を落ち着かせ、再びオロチへと打ち込んでいくブレイン。
心は熱く、頭は冷静に。
それを意識すると身体がスッと軽くなった気がした。
ただ、だからといってこの絶望的な実力差が埋まる訳ではない。
「……これでもまだ底が見えませんか。師匠の足元くらいには立てたと思っていましたけど、まだまだ道のりは長そうです」
そう言って複雑そうに笑うブレインの頭を、ピコンと場違いに可愛らしい音で叩く音が響いた。
もっとも、彼はその衝撃で大きく仰け反ることになり、とてもじゃないが可愛らしい攻撃とは言えなかったが。
「ず、ずいぶんと重い攻撃ですね。でも不思議と身体にダメージが無いような……」
「隙あり」
再びピコンという音と共に仰け反り、体勢を整えようとしたところでまたもやピコンと音が鳴る。
「あ、あの師匠?」
「お前に俺が一発入れるまで続行だ。休憩はない」
あまりにも無慈悲な言葉に、今度こそブレインの表情がひきつったのだった。