鬼神と死の支配者171

 とりあえず、といった軽い気持ちでブレインをボロ雑巾になるまでボコボコにしたオロチは、いい汗かいたと言わんばかりに清々しい笑顔を浮かべていた。

「いやぁ、ついつい熱が入ってしまったな。コイツを使えば力を入れて叩いてもダメージは入らないし、ストレス解消にはもってこいだった。次もこれで稽古を付けてやるよ」

 先ほどまで使っていたピコピコハンマーは無害だが、だからといってナザリックの配下やそれに近いクレマンティーヌを相手に使うわけにもいかないので、憐れなことにブレインはちょうど良い相手としてロックオンされてしまったようだ。
 いくら狂気的にストイックな性格をしていても、ほとんど一方的に地獄を見せられた彼は顔を引きつらせる。

「そ、それは……ありがとうございます。またよろしくお願いします」

 もっとも、だからと言って断るという選択肢はブレインの頭の中には存在しなかったようだが。

「ははっ、心配するな。何となくコツは掴んだからな。次はもっと効率よく鍛えてやるさ」

「ありがとうございます!」

 今度は引きつらせた笑みではなく、心からの笑みを浮かべた。

「コイツと一緒なら、どんな苦境でも乗り越えられる気がしますよ」

 そう言ってブレインは大事そうに木刀を撫でた。
 優しい笑み。
 苦楽を共にしてきたその木刀は、彼にとって本当に『相棒』となっているようだ。

 しかし、次のオロチの言葉で現実に引き戻されることになる。

「その木刀はお前が成長すればいずれ折れるぞ?」

「え、俺の相棒、折れちゃうんですか!?」

「お前がモンスター退治をサボっていなければ、そのうち間違いなく折れるな。言ってなかったか」

「そ、そんなぁ。俺の相棒がいずれ壊れる運命だなんて……!」

 まるでこの世の終わりが来たと言わんばかりの表情を浮かべ、オロチに何か方法は無いかと縋るが、残念ながらそんな方法は無い。
 強いて言えば使わなければ良いのだが、強くなることを一番に考えているブレインにとってそれは本末転倒である。

「まぁ、お前が強くなるまでは絶対に折れないだろうから安心しろ。木刀が折れた時、それがお前の成長の証になるんだ。そのぼくと……相棒とやらも本望だと思うぞ(知らんけど)」

「し、師匠……! そう、ですよね。そんな腑抜けたことを言っているようじゃ、相棒に笑われちまう。俺、相棒に相応しい使い手になれるように頑張ります!」

「あ、あぁ。頑張れよ」

 オロチも自分の装備に愛着が湧くことはあれど、流石にここまでではない。
 頭を叩き過ぎておかしくなってしまったのかと本気で心配するが、この男は元から結構おかしい奴だったなと自分を納得させて忘れることにした。

 それにそこまで心配せずとも、ブレインの現時点での強さを考えれば今すぐどうこうなるような問題ではない。
 オロチの予想ではこのペースだと一年、下手すれば数年はかかると見ていた。
 なので気持ちの整理を付ける時間はまだ十分にあるだろう。

 ただ、もしも本当に星の数ほどいるビーストマンの大部分を一人で狩ることが出来れば、急成長を遂げて一日で木刀とのお別れがやってくるかもしれない。
 レベルというのは当然上がれば上がるほど多くの経験値が必要になるが、それを補うほどの数のビーストマンがいることが確認されているからだ。
 その瞬間が訪れれば、命の次に木刀を大事にしているブレインは複雑な気持ちになるかもしれない。

 とはいえそんな未来のことを心配するよりも、今はブレインに渡す装備について考えなければならなかった。

「――よし、お前にはこれをやろう。これなら今のブレインでも装備できる。レア度の割に中々性能の良い装備だし、長い期間身に付けておけるはずだ」

「こ、これは……っ!」

 オロチが差し出した装備一式は、聖遺物級のレア度を誇る『グレイムリンシリーズ』と呼ばれる物だ。

 頭、胴、両手、両足、全身をこの『グレイムリンシリーズ』で固めると、耐久値に補正がかかるという効果があるので非常に壊れにくくなる。
 ユグドラシルでは中級者くらいまでのプレイヤーに人気の装備で、入手するのにそれほど手間が掛からないことからNPCにはひとまずこれを装備させる、そういうプレイヤーも多くいたほどだ。

 灰色で統一された防具を一つ一つ割れ物を扱うような手付きで着込んでいき、数分ほどかけて装着を完了させた。

「まあまあ様にはなっているじゃないか。次の戦闘では必ずそれを着て来いよ。それを装備していれば、よほどのヘマをしない限りは死なないだろうから」

「ありがとうございます! これらの逸品に恥じぬ戦いを必ずや師匠に見せてみせます!」

 現金なもので、この世界では貴重なレア装備を受け取ってすっかり気が変わったようである。

 

 ◆◆◆

 

「え、ボクがですか?」

 女の子向けの可愛らしい洋服に身を包んだ薄黒い肌を持つダークエルフの少女……否、男の娘であるマーレ・ベラ・フィオーレ。
 階層守護者の一人でもある彼は今、ナーベラルからとある話を持ちかけられていた。

「そうです。オロチ様がマーレ様に是非手伝って欲しいと仰っていました。ただ、別の仕事があればそちらを優先しても構わないとのことです。如何ですか?」

 ナーベラルが話した内容はもちろんビーストマンの件についてだ。
 以前よりも遥かに数が多いので、オロチは階層守護者たちの誰かに手伝ってもらおうと考えていたのだ。
 もしも彼に断られれば、その時はアウラかシャルティアに話がいくことになるだろう。
 ただできれば、マーレにこそ受けて欲しい理由がひとつあった。

「――わかりました。ボクの力がオロチ様のお役に立てるのなら、喜んで協力しますよ。オロチ様にはボクがすぐに向かうと伝えてください」

「かしこまりました」

 生きる為に食料を求めて侵攻しようとしているビーストマンは、自分たちが与り知らぬところで確実に滅びへの道を突き進んでいた。
 彼らの不運は間違いなくナザリックがこの世界に転移して来た事だろう。
 ビーストマンの戦力を考えれば、竜王国全土を食料庫にすることも出来たかもしれない。

 だがそれも、一番敵に回してはいけない者たちを無自覚の内に敵対してしまったことで滅亡への片道切符へと早変わりしてしまった。
 もはや彼らを救う未来は完全に閉ざされてしまっている。

 

   

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