「どうした!? 一体何が起こったというのだ!」
ビーストマン達の王として君臨しているその男は、自身が置かれている状況がうまく読み取れなかった。
周囲を覆う反り立つ壁。
突如として現れたそれらは、まるで自分達をこの場から逃がさない為の牢獄のように感じられた。
「ナンダ! ドウナッテイル!?」
「ジメン、アガッタ! アガッタ!」
そして、同胞達が騒ぎ出し徐々に混乱が伝播して大きくなっていくが、今の彼にそれを止まる術はない。
何とか鎮めようと尽力するも、元より大した知能が無く、本能で生きている者たちには中々その声は届かなかった。
「静まれ! 静まるんだ! 今いたずらに動けば大勢の死者が出るぞ!?」
喉が張り裂けんばかりの大声を上げるが、それに耳を傾ける個体はごく僅か。
自身も未だ混乱している状況でこうも収拾がつかないとなると、いくら同胞とはいえもう少し冷静さを持っていて欲しいと嘆きたくなる。
そうして四苦八苦していると、何体かの上位個体のビーストマンが慌てて走り寄ってきた。
「オウ、ナカマ、コロサレテル!」
「ニンゲン、オソッテキタ! ツヨイ! ニンゲンタチ、ツヨイ!」
「マジュウモ、イタ。デカイノト、チイサイノダ!」
「何!? このタイミングで人間が襲ってくるとは……まさかあの壁は人間が引き起こしたというのか!?」
仲間からの報告に思わずそう叫んでしまった。
あの巨大な石の壁が人間の魔法?
いや、そんな事は絶対にあり得ない。
ここまでの広範囲の地形を変えてしまう魔法など、それこそ神話に登場する神や英雄達クラスの詠唱者が必要なのだ。
それを知識として知っているビーストマンの王は、浮かび上がってきたその仮説をすぐさま打ち捨てる。
「恐らくその人間たち以外にも敵がいるはずだ! だが、その者とは何があっても敵対しては駄目だぞ! 絶対に攻撃はせず、私を呼べ!」
「ワ、ワカッタ!」
集まっていた上位個体のビーストマンたちは散りじりに走っていく。
各持ち場へと戻っていったのだろう。
他の混乱している者と比べて非常に頼もしくはあるのだが、状況が状況なだけに何も安心は出来ない。
そして考える。
もしもあの壁を生み出したマジックキャスターが人間の味方だったら……と。
そんな最悪の事態が頭に浮かんでしまい、王と崇められている青年は顔を青くした。
その考えが正しかった場合、その時は大勢の犠牲が出てしまうだろうが、同胞の屍を足場にして壁をよじ登り逃げるしかないだろう。
ふと、自分たちとは別の場所を拠点としていた同胞たちが、文字通り全滅してしまった事を思い出す。
まさか、それを行った者がまた現れたのか?
だとしたらそれは――。
ぐるぐると頭の中で不吉な予感が次々と浮かび上がり、そして消えていく。
思考の渦に落ちかけていると、今度は混乱とは違う別の悲鳴が聞こえてきた。
「今度は何だ!」
「ジメンガ、シズム! タスケ、タスケテ――」
慌てて周囲を見渡してみれば、そこには同胞たちが地面に吸い込まれているという光景が広がっていた。
今まで踏みしめていた固い地面が、今は底なし沼のように身体を呑み込んでいっている。
明らかな異常事態に王は口から血が出るほど歯を食いしばった。
「くっ。木だ、木の上に登れ! そこなら安全だ!」
地面に呑み込まれているのはビーストマンだけで、周囲に生い茂る草木には影響していない。
それを冷静に見極めた王は即座に指示を飛ばし、自身も側にいたビーストマンの首を引っ掴んで素早く近くの大木に飛び移った。
的確かつ迅速な判断。
しかし、それでもほんの数秒判断が遅かったようだ。
「なんと……なんと悪辣な魔法なのだ……! ひと思いには殺さず、じわじわと恐怖を駆り立てて地面に沈ませるとは、恐ろしい。こんな魔法がこの世にあって良いのか!?」
恐怖と怒りが入り混じったような表情を浮かべる。
未だ姿が見えない強大な敵の攻撃によって、同胞たちは全体の半分……いや、大多数が地面に呑み込まれてしまった。
他の場所にいるビーストマンも全滅とは言わないまでも、ここと同じように壊滅的な被害を受けている筈だ。
もはや彼らの臭いも気配も全く感じない。
この魔法がどういった代物なのかは知らなかったが、沈んでいった者たちが死んでいることは明らかであった。
――しかし、生き残った者たちには仲間の死を悲しむ暇すら与えられない。
「ふむ、どうやら私たちがアタリを引いてしまったようです。あれが獣どもが王と呼んでいる存在。さっさと殺してしまいましょう。そうすれば、戦功第一位は私たちのものですから」
「わっかりました!」
若い男女の二人組が地面を歩いて近付いてくる。
魔法の効果が終わったのか、それとも彼らには初めから効果がないものだったのかはわからない。
ただ、話し合いでこの戦いが終わることはないのだと、心のどこかでそう直感してしまった。
そして女――ナーベラルはビーストマンの中心にいる見た目が人間の男のような人物を指差す。
彼女の言葉によってもう一人の男の方が木刀を構え、前衛としての役割を果たすべく一歩前へと出た。
それに慌てたのはビーストマンの王だった。
「お、お待ちください! 我らにはもう戦意はありません。降伏します!」
彼には戦う、という考えは既に無かった。
この二人のどちらかがあの魔法を引き起こした可能性がある以上、準備も無しに戦うなど自殺行為だ。
ここはひとまず頭を下げ、反撃の隙を狙うというのが最善だろう。
「却下です。《ドラゴン・ライトニング》」
しかし、返ってきたのは拒絶の言葉と、龍を模した雷撃だった。