ナーベラルと別れたオロチは、群がるスケルトンを蹴散らしながら神殿のような建物に到着していた。
「やっと着いたか。あまりにもスケルトンが鬱陶しいもんだから、いっそ墓地ごと更地に変えてやろうかと思ったぞ」
そんな物騒なことを呟くオロチ。
事実、オロチにはそれができるだけの力があるのでまったくの冗談というわけでは無かった。
むしろ本当にそれを実行してしまいそうな危うさがある。
この世界に転移してからは配下たちの手前薄れていたが、本来のオロチは脳筋と呼ばれる部類の人間だった。
その圧倒的な戦闘力から、考えるよりもぶん殴った方が速いと碌な戦略を立てずに戦うことの方が多かったくらいなのだ。
もちろん、アインズをはじめとしたギルドメンバーの指示に従い、それを実行するだけの理解力はあるのでただの馬鹿というわけではない。
なのでもしこの場にアインズ、もしくはナザリックの参謀担当であるデミウルゴスが居れば、この場を更地にしてやろうなんて言葉は出てこなかっただろう。
もっとも、さすがに面倒だからという理由でそんな向こう見ずな真似はしなかっただろうが。
「ひぃ、ふぅ、みぃ……9人か。これだけ居ればひとりふたり死体が無くてもバレないかな?」
オロチの視線の先には怪しげな集団。
全員がローブを羽織っており、マジックキャスターであることは一目瞭然だった。
オロチが近づいているにもかかわらずその集団は儀式を続けている。
(これは襲い掛かってみろと挑発されているのか? それほど強い相手ではないと思うが……)
このマジックキャスターたちの行動はユグドラシルプレイヤーからすれば初心者以下の愚行だ。
相手が目前にまで迫っているのに儀式を続けるなど、自分を殺して下さいと言っているようなものだろう。
敢えてそういう作戦を取り、相手を油断させる上級プレイヤーもいるのだが、オロチには目の前にいるマジックキャスターたちがそれほど腕の立つ者には見えなかった。
精々、集団の中心にいる赤いローブ姿の老人が中級下位といったところだ。
どちらにせよオロチの相手ではない。
「あー、お前ら。一応聞いておくが、あのスケルトンを呼び出したのはお前たちで良いんだよな?」
「……ふん、忌々しいネズミが入り込んだと思ったらガキではないか。見たところ、ゴールドランクに上がって調子に乗った愚か者と言ったところか?」
そう答えたのは赤いローブの老人だ。
オロチの質問には答えておらず、彼のことを完全に舐めているのが発した言葉から読み取れる。
一般的なゴールド級冒険者の実力は精鋭の兵士と同程度とされているので、この老人の反応も仕方のないことなのかもしれない。
だがもし、少しでも武術の心得があるならオロチの実力を多少なりとも推し量れただろう。
しかしこの老人は純粋なマジックキャスターであり、そういったものには非常に疎かった。
だからゴールド級冒険者としてしかオロチを見ることができない。
(純粋なマジックキャスターでも、最低限相手の力量くらいは見破って欲しいもんだがな)
オロチがそんなことを考えていると、建物の中から若い女の声が聞こえてきた。
「カジッちゃん、そいつをただのゴールドの冒険者だと思わない方が良いよ~。下手するとオリハルコン……ううん、アダマンタイト級の力を持ってるかも」
そこから出てきたのは、おそらく二十歳前後の若い女。
整った顔立ちに似合わない下品な笑みを浮かべ、しかしオロチへの警戒はしっかりと行なっている。
老人――カジットはそんな言葉が信じられないのか目を見開く。
無理もない。オロチの姿は少年と言っても良いくらいの見た目なのだ。
こんな子供が、英雄と呼ばれる者たちの領域に入り込んでいるとは到底信じられることではなかった。
しかし、カジットにとってこの女の言動こそ不快だったが、決してつまらない嘘はつかないことを知っている。
だからすぐにオロチへの警戒を引き上げた。
(うんうん、やっと戦いの雰囲気になってきた。あからさまに油断している奴らを倒しても面白みがないからな)
そしてオロチもまた、この場が戦場のように張り詰めた空気に変化したことを敏感に感じ取り、目の前にいる敵に向かって獰猛な笑みを浮かべる。
それと当時に久しく発動していなかったスキル、『鬼の波動』を発動させた。
その瞬間、まるで空間が歪んでいると錯覚してしまうほどの圧迫感がこの場を支配する。
ユグドラシルでの『鬼の波動』というスキルは、低レベルの者に対して発動するデバフ効果があった。
だが、言ってしまえばそれだけのスキルだ。
低レベルのプレイヤーやNPCなんてスキルを使わずに瞬殺できるため、あまり使い勝手の良いスキルではない。
しかし、本来のこのスキルには威圧効果などありはしなかったが、それが現実のものとなったことでスキルの効果が微妙に変化し相手を威圧する効果が追加された。
それにより格下相手を怯ませることができるため、この世界では非常に使い勝手の良いスキルへと生まれ変わったのだ。
そして、そんなものを受けた者たちはあまりの威圧感に後ずさってしまう。
それはカジットやオロチの力量をある程度見破った女――クレマンティーヌも同様だった。
彼女はオロチの力量を自分と同じ、もしくは少し上という評価をしていたのだ。
この威圧を受けて一番面食らったのは間違いなく彼女だろう。
今、クレマンティーヌの感情を支配しているのは紛れもなく恐怖だ。
圧倒的強者を前にして全身が震え、体が今すぐ逃げ出せと危険信号を発する。
戦いから逃げたいなどと思ったのはこれが初めてかもしれない。
しかし、クレマンティーヌの戦士としてのプライドがそれを許さない。
なまじ英雄の領域に踏み込んでいるという自負が、このときばかりは悪い方に働いた。
「お前たちに選択肢をやろう。大人しく降伏するなら命だけは助けてや――これが返答か?」
オロチが降伏を促している途中で、いきなりクレマンティーヌが刺突武器であるスティレットを突き刺そうとしてきた。
オロチはそれを余裕を持って躱し、そのまま腕を掴んで投げ飛ばす。
しかし空中で体制を整えて綺麗に着地したクレマンティーヌ。
その様子を見たオロチは、まるで猫のようなだなという場違いな感想を抱く。
「何突っ立ってんだよ! テメェらもさっさと攻撃しろ! ぶっ殺すぞ!」
クレマンティーヌが呆然と立ち尽くしていたカジットたちに苛立ったのか、罵声を浴びせて攻撃を命じる。
彼女の怒りは当然だ。自分が攻撃を仕掛けたのに、援護もせずそれをただ見ていたのだから。
戦闘に慣れているマジックキャスターであれば間違いなく援護するような場面。
だが、それをカジットたちに求めるのは酷というものだろう。
彼らはマジックキャスターと言えども戦闘経験はほとんどない。
それどころか、中には実戦が初めてという者も居たくらいなのだ。
使える魔法が多くても、それは使えるだけで使いこなすことは難しい。
オロチの凄まじい威圧を受けていれば尚更だった。
もちろんクレマンティーヌからしてみれば、これから相手にするのは自分より遥か高みに位置する規格外の存在なのだ。
一瞬の判断ミスが死に繋がるようなギリギリの戦いになることが容易に想像できる。
なのに味方であるこの連中の動きはなんなのだ、と憤慨しているのも仕方のないことだろう。
クレマンティーヌに叱咤されたマジックキャスターたちは慌てて魔法を発動し、オロチに向かってそれぞれが得意としている魔法を放つ。
火、水、風、雷……。多くの魔法がオロチ殺到し、その全てがオロチに命中する。
「やったか!?」
マジックキャスターのひとりがそんな言葉を口にした。
砂煙に包まれてよく見えない。
しかし、この場にいる全員がオロチの死を願っているのは間違いない。
――だが、彼らのその願いは決して届くことはないだろう。
「ふむ、この程度の魔法では何度やっても時間の無駄だぞ?」
砂煙が晴れると、そこには傷ひとつないオロチの姿があった。