戦いは既に終盤へと突入している。
オロチとその仲間達が暴れた結果、この広い牢獄の中は濃い血の臭いが立ち込め、すっかり淀んだ空気へと変わってしまっていた。
そこに元々あった綺麗な自然の山々の面影はもはや無い。
あるのは積み重ねられた大量の死体だけである。
これまで倒したビーストマンの数は既に数え切れないほどに膨れ上がり、クレマンティーヌたち現地組……特にブレインには良い経験値となった筈だ。
今回と同じくらいの規模の狩場をあと数回用意してやれば、ブレインもナザリックの一員として認められるくらいには強くなれるだろう。
「ん? あれは……ナーベラルか?」
噂をすれば何とやら。
視線の先、距離にして凡そ数キロほど先にナーベラルの姿が見えた。
何かを追いかけているようで、時折前方に攻撃を放ちながら森の中を魔法で軽やかに飛び回っている。
彼女の少し後ろに視線を向けると、ブレインが必死にそのスピードに食らい付いていっており、何とか離されまいとしているのが見てわかった。
魔法で自由に飛び回れるナーベラルとは違い、自分の足で移動しなければならないブレインは大変だろう。
オロチが密かにエールを送るくらいには頑張っていた。
ただ見たところ、ブレインはともかくナーベラルにはそこまで苦戦している様子は無い。
もしも手こずっているようならば少し手を貸すつもりだったが、こういった戦闘にも慣れている彼女がいる限り、自分たちだけで何とかするだろう。
そう思って進路を別の場所へと変更しようと身体を翻した。
「……おいおい、まさかこっちに逃げてくるとは。手を出すつもりは無かったんだが。まぁ、これは流石に不可抗力か」
しかし、そのタイミングでナーベラルたちが追っていた集団がこちらの方へと近付いてくる気配を感じ取った。
よく目を凝らして見てみれば、十数体ほどの群れがまっすぐ向かって来ている。
出しゃばるつもりは無かったが、敵が自分から向かってくる以上はそれを迎撃する必要があるので仕方なく、しかし全くそうは思えない表情で敵を迎え撃つべく気持ちを切り替えた。
ここまでオロチが乗り気なのには理由がある。
それは、ビーストマン達の先頭を走っている人間のような特殊個体の存在だ。
「恐らくあれが親玉だな。見た目は獣人というよりも人間に近い。報告を聞いた限りでは知能もそれなりにあるみたいだし、ナーベラルが逃走中のビーストマンを仕留め切れていないのも納得か」
時折、周囲のビーストマンへ指示を出して上手く追い付かれないように指揮している個体がいる。
いくら森の中で自由に動けないとはいえ未だ捕まらず逃げられているのは、その高い指揮能力があってこそだろう。
嬉しい誤算と言うべきか。
手強い敵というのはオロチにとって歓迎するべきもの。
味方の手柄を横取りしに行くほどの強さではないとはいえ、他のビーストマンとは一線を画するあの個体ならば、一度は戦ってみたいと思う程度に食指が動く。
「おっ、さっそく来たな」
しばらくその場で待機していると、後ろから追い立てられている集団がはっきりと見えてきた。
ナーベラルの攻撃によって結構なダメージを負っているように見えるが、戦意自体は全く衰えていないようで、張り詰めている気迫をビシビシと感じる。
それを心地よく感じるオロチは、やはり人間として大切な何かを失っているのだろう。
「前方に新手だ! 相手は一人、このまま押し切るぞ!」
「ワカッタ!」
「オレガ、ヤル!」
どうやらオロチを見ても引き返すという事はしないらしい。
後ろには凄腕のマジックキャスターと剣士、前には華奢な身体の人間。
なので、彼らが前者を取るのもわからなくはない。
「――ま、こっちは地獄への一本道だけど」
「ッ!?」
ゾクッ。
先頭を走っていた特殊個体の表情が盛大に引き攣った。
それは本能的な恐怖。
生まれて初めて圧倒的な実力差を持っている者からの殺気を受け、一瞬だけ頭の中が真っ白になってしまう。
そしてその一瞬の隙は、同族達にとって致命的なミスへと繋がる。
「グゥ、シネェ!」
命令を忠実に守る番犬達が恐怖を押し殺してオロチへと殺到したのだ。
すると当然反撃され、その数を瞬く間に減らしていく。
狩りの相手が自分から向かってきてくれているのだから、オロチとしてはこれほど楽なことはないだろう。
「よっ、と。惚けている場合か? さっさと次の指示を出さないと、仲間がどんどん死んでいくぞ」
その言葉にハッとするが既に遅い。
一人、また一人とその間にもオロチは犠牲者を増やし続けていた。
統率者が固まっている間にも、仲間のビーストマンはオロチを打ち倒そうと今も向かって行っている。
生き残っている者達は皆、戦いにも慣れた精鋭だった筈なのだが、それがビーストマン達の半分ほどの身体の者に倒されていた。
「ま、待てお前たち。そいつに攻撃するのは止めるんだ!」
慌てて止めようとするも、それで止まるのは同胞のみ。
敵であるオロチにそれを聞いてやる道理は無く、刀を振るう手は全く緩めない。
「さぁ、どうする? 何もしないのは一番の悪手だぞ」
そう問いかけられても、どうすれば良いのかわからない。
必死に頭を働かせて打開策を模索していた。
しかし、どうしても倒すどころかこの場から逃げ出せるイメージすら湧いてこなかった。
ここまでくれば絶望しか生まれない。
「オロチ様、お手数おかけしました」
バッと後ろを振り返ると、そこには長い髪をひと纏めにした若い女がいた。
「……ここまでか」
もう一つの絶望が後ろから追い付いてきた事で、周囲を鼓舞し続けていた統率者は遂に全身の力が抜けて膝をついてしまった。