去っていくオロチの背中を、ブレインはチラリと横目で確認する。
本音を言えばオロチが戦っている姿を見たかった。
自分より遥か上の高みに鎮座している者が戦う姿を見て、その技の欠片でも吸収したいと考えていたのだ。
しかし、相手にその気が無いとなれば仕方ない。
すぐに意識を観戦から戦闘モードへと自分の中で切り替える。
そして反対に、オロチが去って行く姿に心から安堵しているのはビーストマン陣営だ。
それも無理はないだろう。
自分達を低級の雑魚モンスターのようにポンポン殺していた男が自ら離脱していくのだから。
彼らからすれば天災がようやく収まったような感覚に近く、これ以上無意味に死ななくても済むと安堵するのは当然である。
「《チェイン・ライトニング》」
すると、まずはナーベラルが得意の魔法を放ち、ビーストマンにとっては悪夢そのものである雷の龍が襲い掛かっていった。
その攻撃に誰よりも早く反応したのは、やはり人間に近い容姿をしている特殊個体。
「あの男がいないのであれば、まだ勝機はある……! お前たち、散開して回避に徹しろ! 固まっていればあの魔法の餌食になるぞ!」
腹の底から声を吐き出し、指示を飛ばした。
一度は心が折れてしまったが、皮肉にもその元凶であるオロチが興味を無くしたことで再び自身を奮い立たせたのだ。
何とか戦況をこれ以上悪化させないように、青年の姿をしている個体が仲間のビーストマン達へ注意を促している。
ただ、それでも強力かつ生き物のように迫ってくる龍を模した雷の魔法を完全には攻略出来ていなかった。
それどころか確実に味方が減っているのが現状である。
「おいおい、俺のことも忘れてもらっちゃ困るぜ?」
おまけに注意すべき者はナーベラルひとりではない。
彼女が派手な魔法を繰り出している中で、ブレインは俊敏に動き回って着実に敵の数を減らしている。
確かにオロチが居なければまだ彼らにも勝機はあるだろう。
だが、マジックキャスターであるナーベラルはかなりの強敵だし、青髪の剣士ブレインも決して弱くはなく、むしろ十分に強者に分類されるであろう実力を兼ね備えていた。
今のビーストマン達の状況は、絶対に勝てないと言い切れるほどではないという、そんな僅かな可能性に全てを賭けなければならない絶望的なものである。
「もう諦めたらどうですか? このまま戦っていても、あなた達に待っているのは死以外にはありません。大人しく死んでくれるのなら、慈悲の心で痛み無く殺して差し上げますよ?」
雷の魔法以外にもいくつかの魔法を放っているナーベラルは、時間稼ぎをしているビーストマン達に対してうんざりした様子でそう言った。
「ふざけるな! それのどこに慈悲の心があるというのだ!」
「……蛆虫共が。貴様らは愚かにもオロチ様の期待に応えなかった。その時点で地獄行きが決まっている。今すぐ死なないのであれば、ありとあらゆる苦痛を与え、その上で死後も未来永劫こき使ってやろう」
端正な顔を邪悪に歪め、その上で嗤いながら虫けらに向けるような視線で見下してくる。
その姿には自然界には無かった『狂気』が宿っていた。
「くっ、この悪魔め……!」
すると、ナーベラルのその異様な空気に押されたのか、それまで自分からの攻撃はしてこなかった特殊個体が自ら接近してくる。
考えての行動ではない。
殺気や怒りなどではなく、今まで感じたことのない恐ろしい悪意を目の当たりにして、ついに正常な判断が出来なくなっていたのかもしれない。
「ナーベラルさん!」
接近してしてくる男を迎え撃つべく、ブレインが前へと飛び出した。
構えるのは愛用の木刀。
元々モンスターの血で赤黒く染まっていたそれが、今ではビーストマンの血で更に上書きされている。
この戦いでブレインも多くの敵を葬っていた。
魔法で一気に一掃しているナーベラルと比較すれば流石に劣ってしまうが、それでも役に立っていると言えるくらいには貢献している。
そして、当然その分の経験値を獲得し、停滞していた彼のレベルは急上昇していた。
「邪魔だ、退け!」
「ふっ、生憎だがそれは出来ないな。本当は師匠が戦っている所を見たかったんだが、その願いが叶わない以上はお前を俺の糧にしてやることにした。構いませんか、ナーベラルさん?」
「まぁいいでしょう。しかし、殺しては駄目ですよ。その者はただで殺すなどと生温いことはしません。苦痛を与えてから、処分します。手足を切り飛ばして行動不能に追い込んでください。制限時間は私が残りの虫けら共を消すまでです。いいですね?」
「わ、わっかりました!」
ブレインは内心でナーベラルのことをおっかないと思いながらも、自分が戦うことを許可してくれた彼女に感謝する。
だが、その戦いに水を差す者たちがいた。
「オウニ、カセイ、スル!」
「アイツ、コロス」
ビーストマンとは指揮官が居なければ基本的に烏合の衆だ。
逐一指示を出さなければ本能で動いてしまう獣。
自分たちの上位者である男が戦っているとなれば、それに加勢しようとするのも当然である。
「実に愚かですね。あなた達の相手はこの私ですよ。《ツインマジック》《エレクトロ・スフィア》」
ナーベラルは両手に現れた電撃の球体を、それぞれビーストマンに向けて発射する。
放たれた二つの球体は着弾するなり一気に拡散して雷撃が広範囲に影響を及ぼした。
その威力は地面が焼け焦げるほど。
しかし、不思議なことに重傷を負ったビーストマンは何体かいるが、この攻撃によって命を落とした個体は一体もいなかった。
「グァ……イ、イタイ……!」
「安心してください。ジワジワと痛めつけるまですぐには殺しませんから」
瀕死となって地に伏していたビーストマンの顔を踏みつけ、嗤う。
ナーベラルはわざと致命傷を避けるように魔法を放ったのだ。
一瞬で殺すことなく、宣言した通りジワジワと痛めつけるために。
彼女がそうする理由はただ一つ。
「――貴様らはオロチ様のご期待に応えられなかった。だから、その罪を償え」
今ナーベラルと戦っている者たちは、これまでどんな時でも戦う意思を宿していた優秀な戦士だ。
それこそ特殊個体の心が折れた時でも諦めてはいなかった。
しかしこの瞬間、彼らは生まれて始めた悲鳴を上げた。