ブレインは緊張した面持ちで相手を見据えていた。
なんせ相手は自分よりも格上の存在であり、本来ならば決して戦ってはならないような敵と殺し合いを始めようとしているのだ。
むしろ剣先が震えていないだけ良くやっている。
「そこを退け。お前では私には敵わない。戦えば――死ぬぞ?」
濃密な殺気を全身から放ち、ビーストマンの特殊個体は鋭い視線でブレインを睨みつける。
「おー怖い。でも、アンタの相手はこの俺だ。わかっているんだぜ? アンタ、向こうにいる仲間を助けに行きたいんだよな。このまま何もしなければ、そう時間が経たないうちにナーベラルさんが皆殺しにしちまう。だから俺と戦っている暇が一秒でも惜しいんだろ?」
少し離れた所ではナーベラルがビーストマンを嬲るようにして虐殺を行なっており、今も彼らの悲痛な叫び声が聞こえて来ていた。
そしてそんな声が届く度、ブレインの目の前にいる男の顔が怒りや焦りで歪んでいる。
本当は今すぐにでも助けに行きたいのだろう。
だが、それにはブレインが邪魔だった。
もちろんこの二人の実力差を考えれば、十中八九勝つのは特殊個体の方だ。
ブレインが勝利できる可能性も無いとは言わないが、限りなくゼロに近いと言わざるを得ない。
とはいえ、だ。
ブレインを瞬殺して助けに向かえるほど圧倒的な差があるわけではなく、もしも時間を掛ければその間に仲間はナーベラルによって殺されてしまう。
特殊個体は間違いなく焦っている。
追い詰められているのはブレインではなく相手の方なのだ。
実力で劣っている彼に勝機があるとすれば、焦りからくる相手のミスを見逃さずに徹底的に揺さぶることだろう。
「減らず口を叩くな。お前などすぐに殺せる。そんなに死にたいのなら、お望み通りこの手で殺してくれる!」
焦燥感に苛まれていても元々あった身体能力までが失われることはない。
目にも留まらぬ速さで一気に距離を詰めてきた。
人間よりもはるかに優れた肉体を有するビーストマンの中でも、特殊個体のそれは同じ種族とは思えないほどに並外れている。
ブレインはそんな攻撃を間一髪の所で回避し続けていた。
(あー、くそ。やっぱり強いな。師匠と出会う前の俺なら、既に5回くらいは殺されていただろう。まったく、俺も人間として生まれていなければもっと楽に強くなれるだろうに。神様ってやつは本当に残酷だよなぁ)
種族としての能力の差は決して努力だけでは埋めることは出来ない。
ゲームであるユグドラシルの世界であれば、たとえどんな種族であろうとも育成方法次第では何とでもなるのだが、ここはゲームではなく現実の世界だ。
都合のいいアイテムを簡単に入手は出来ないし、丁度いい絶対に安全な狩り場など存在しない。
人間であるブレインが強くなる為には、努力や才能はもちろんのこと、運やアイテムにも頼らなければならないのだ。
そこまでしてようやく、人間という貧弱な種族のアドバンテージを埋めることが出来る。
だからこそブレインは自身を高めることに余念が無かった。
そして、戦い方にしても彼は弱者の戦い方というものを嫌というほど理解している。
「ちょこまかと動き回らず、正々堂々と私と戦え!」
「はんっ、これが俺にとっての正々堂々だ。悔しかったらお前の土俵に俺を引っ張り出せば良いだけだろうが」
「この卑怯者め……!」
徐々に焦りの色が濃くなってきている中、特殊個体は忌々しいとばかりに鋭い視線を向けた。
その後ろには今もなお虐殺され続けている仲間たちの姿がある。
戦闘中もチラチラと意識がそちらの方に向いてしまっていて、集中できているとは言い難かった。
(まともに戦えばやられるのは俺の方。なら、相手の弱点を徹底的に揺さぶっていくしか俺に勝機はない!)
一方でブレインはほとんど自分から攻撃をしていない。
愚直にカウンターだけを狙って、確実に当たるであろう隙を見逃さず反撃を行なっている。
普通ならば徐々に追い詰められてしまうだけの愚策。
だが、 仲間が危機に陥っていることで相手が焦っているこの状況であれば話が変わってくる。
「へへへ、焦るよな? アンタがこうして俺なんかに足止めを食らっている間、仲間は確実に死んでいっているんだから。さっきから気になって仕方がないって顔をしてるぜ?」
「口だけは達者だな。その口、閉じなければ後悔することになるぞ!」
「確かに普通に戦えば俺に勝ち目なんて無い。だが今のアンタなら……どうだろう、な!」
またもやカウンターによる一撃が綺麗に決まった。
ブレインもやられっぱなしでいる訳ではない。
武器が木刀故に打撃としてのダメージでしかないが、それでもその攻撃は相手にも少なくないダメージを確実に与えていて、当初と比べると相手の動きが明らかに失速してた。
もちろんブレインの方も無傷とはいかず、オロチから与えられた防具にもいくつか傷が入っている。
それらが無ければブレインの骨や内臓はおしゃかになっていたかもしれない。
特殊個体の攻撃は一撃一撃がそれだけ重く鋭いものだった。
だが、今優勢なのは間違いなくブレインの方である。
このままじっくりと追い詰めていけばブレインの勝利が見えてくるだろう。
格上相手に勝利するジャイアントキリングを達成できるかもしれない……と、途中で気が緩んでしまった。
「しまっ……!」
その一度だけ、ブレインは弱者の戦い方を放棄した。
追い込んでいるという状況から慢心し、それまでのカウンター狙いの堅実な戦い方を変えて自分から手を出してしまったのだ。
普通であればそれは隙ではない。
しかし、今戦っている相手は普通ではないのだ。
ギラリ、と。
獲物を狩る獣の目を覗かせる。
特殊個体の男は易々とブレインの木刀を回避し、躊躇なく懐に潜り込んできた。
「がはっ!」
そして、次の瞬間には鋼のように硬い拳がブレインの腹部に突き刺さっていたのだった。