鬼神と死の支配者182

 ブレインの腹に容赦なく突き刺さる拳。
 拳闘士の拳が凶器となるように、その一撃もブレインの身体を貫くような威力を有していた。
 幸いにも装備のおかげで致命傷にはなっていないものの、完全にダメージを防ぐ事は出来なかったようで一瞬彼の意識が吹き飛んでしまう。

「……っらぁああ!」

 だが、あくまでも意識が無くなったのは一瞬のこと。
 ブレインは右手に持っていた木刀を手放すどころか、瞬時に逆手に持ち替えて相手の頭部目掛けて突き刺した。
 半ば気合いで踏ん張ったような攻撃で当たりこそしなかったものの、それでも特殊個体を怯ませるには十分である。

「このくたばり損ないが! 次で決め――」

「まだだ!」

 僅かに空いたお互いの距離をブレインの方から詰めていく。
 そして、渾身の力で木刀を横に振り抜いた。
 これまで培ってきた技術や経験などまるで関係ないような力任せで単調な攻撃だったが、もはや死に体のブレインにしては奇跡のような一撃であった。

 負けたくない。
 ただそれだけの至極単純な感情で、これほどの力を出せるのが人間……ブレインの本当の力なのかもしれない。

「ぐっ、まだこんな力が残っていたのか……?」

 怯んで数歩下がってしまっていた特殊個体のビーストマンはそれを回避することは出来ず、少しでもダメージを殺す為に両手でガードする事を選択する。
 その衝撃が大きかったのか苦悶の表情を浮かべ、体制も大きく崩すことに成功した。

 ただ、ガードされてしまったので決定打にはならないと即座に判断し、すぐに次の攻撃へと移る。
 本来ならばカウンター狙いの戦法で戦う方が勝算があるのだが、今となってはブレインの方が長期戦となると身体が保たない。
 なので自分から動いて一気に決着を付ける必要があったのだ。

 だからこそ、ブレインはここまで隠していた最後の切り札を出す事に躊躇いは無かった。

「とっておきの技だ。お前にくれてやる! 武技《秘剣――鬼気一髪》!」

「ッ!?」

 木刀が微かに赤く光りを放ち、ブレインの神速且つ必殺の一撃が解き放たれた。
 目にも留まらぬ速さで振り下ろされたその斬撃は、刃を持たない木刀であっても物体を斬り裂くほどの威力と鋭さがある。

「はぁぁぁああああ!!」

 気合一閃。
 ブレインが繰り出した武技は、複合武技と呼ばれる完全オリジナルの技だ。
 《領域》、《神閃》、そして《腕力超向上》と呼ばれる3つの武技を合わせた奥の手であり、オロチの背中を追いかけ、もがき、足掻いた末に編み出したものである。
 威力は強靭な筋肉の鎧をまとっている特殊個体の身体を易々と斬ってみせるくらいには強力で、ブレインにとって文字通り必殺の奥義だった。

 しかし、ただ一つだけ、これには使用者に多大なる負担を強いるという欠点がある。
 人の身でありながらオロチの動きを模倣しようとし、自身の身体の限界を超える技を出すのだから当然だ。

 ほぼ立っているだけでやっとの状態からそんな物を発動してしまえば無事では済まない。
 元々万全の状態でも数時間はまともに動けなくなるような諸刃の剣であり、今の状態でそれを使用すればブレインの肉体に降り掛かる負担は計り知れず、間違いなく自身の寿命を縮める行いだろう。

 だが、そんな事はブレインにとって些細な問題である。

(武の頂きへ……俺はあの人がいる場所に少しでも近付きたいんだ……!)

 今よりも先へと進む為には我武者羅に突き進むしかない。
 己にはあの者に優っている部分はひとつも無いのだと、であれば気持ちだけは絶対に負けてはならないと、ブレインはそんな気持ちで木刀を最後まで振り切ってみせた。

 手応えは十分。
 命を刈り取った感触は確かにあった。

「遂に、折れてしまったか……」

 ただ、これまでどれだけぞんざいな扱いをしてもヒビひとつ入らなかった愛刀に、大きな亀裂が入っている事に気付く。
 その小さいなヒビは次第に大きく広がっていき、最後には役目を果たしたと言わんばかりに砕け散ってしまった。

 それと同時に特殊個体もゆっくりと後ろに倒れていく。
 見事に格上の敵を討ち果たしてみせたのだが、ブレインはあまり浮かない表情だった。

 砕けた木刀の残骸に視線を向ける。
 事前にオロチから折れてしまうと聞かされていたが、いざこうなると胸中は複雑であった。
 レベルが上がって強くなったのは嬉しい。
 だが、相棒とも呼ぶべき武器を失ってしまったのは中々心にくるものがあったのだ。

「ありがとよ、相棒。俺はもっと強くなるから、これからも見守ってくれ」

 そして、ブレイン自身も全ての力を使い果たしその場に倒れ込む。
 辛うじて生きてはいるが、しばらくは起き上がる事すら出来ないだろう。
 むしろそれで済んでいることが奇跡である。

 何はともあれ、これで戦いは終わった。
 あとの事はナーベラルが全て何とかしてくれるだろう。
 ブレインはこれまで意地でも手放さなかった意識を開放する。

 ――しかし次の瞬間、閉じ掛けていたブレインのその瞳がパッと見開かれる。

「くそ、マジかよ……!?」

 身体の疲れが吹き飛ぶような強烈な殺気。
 その殺気の元には当然血だらけのまま立ち上がっている特殊個体の姿があった。

 先に動いたのはブレイン――ではなく特殊個体の方だった。
 肩から大きく切り裂かれた傷を負い、今も大量の血を流している。
 おそらくもう長くはない。
 放っておけば勝手に朽ちていく筈だ。

 しかし、立ち上がることさえ出来ぬブレインを殺す程度の時間は、十分にある。

「お前も地獄へ道連れだ。同胞達への手土産として、お前の首を頂くぞ……!」

 そう言ってブレインの頭を目掛けて足を振り下ろす特殊個体。

 あぁ、これは死んだ。
 そんな風に思いながら、ブレインはやけにゆっくりと流れる目の前の映像を眺めていた。

 限界を超え、さらにそこからもう一度超えた。
 もはや指を動かす事すら出来そうにない。
 数秒後には自身の頭が破裂し、辺り一面に赤い花を咲かせる事だろう。
 自分ではどうすることも出来ない以上、降りかかる死を避けることは出来ない。

 ブレインはそっと目を閉じる。
 そうして襲い掛かってくるであろう痛みに備えていると、かつてオロチと出会う前に自身が敗れた男の姿が何故か一瞬だけ頭を過ぎった。

 

「時間切れです」

 

 そんな声を最後に、今度こそブレインの意識は闇へと沈んでいった。

 

   

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